時は天正、豊臣秀吉の小田原征伐。石垣山(現小田原市早川)で秘密裏に築城し完成した時点で周囲の木々を伐採。すると小田原城に籠る北条方からは一夜で城が完成したと錯覚する。そして北条氏を戦意喪失に追い込んだ――。俗にいう「太閤一夜城」のエピソードである。歴史ある一夜城周辺の農地が25年前から不法投棄に利用されたのだ。一夜城入口から数十メートル付近の農地に天野一派が廃棄物投棄、残土処分をしていた。観光客も訪れ人の目につきやすいこの地を選ぶとは並大抵の神経ではない。小田原市農業委員会をして“不法投棄で有名な土地 ”と指摘したが、その闇をレポートする。
平成8年、平成30年、二度も狙われた石垣山の農地
今回、取材したのは“一夜城 ”こと石垣山城付近の農地。城入り口の対面には名パティシエ、鎧塚俊彦氏が経営する「一夜城ヨロイヅカファーム」がある。レストラン他、地元野菜を販売するマルシェ(市場)もあり市内屈指の人気スポットだ。JR早川駅また箱根登山鉄道・入生田駅まではウォーキングコースになっておりハイカーも集まる。取材時は小雨ながらウォーキング、散策客も散見された。
今でこそ騒動の痕跡は見つからないが、今から25年前、一夜城周辺で天野氏一派が不法投棄していたのだ。「一夜城」付近ということで、注目されやすい土地ではあるが“ 天野案件”としてはこれまで浮上しなかった。
一夜城正面から徒歩3分程度か。現在は不法投棄対策のためにみかんが植樹された農地がある。草が生い茂っているため判別できないが農地から下は崖。公図上でも崖マークがあった。「天野案件」の投棄場は「崖」のある場所が選ばれるものだ。同地は、崖に投棄すれば道から廃棄物が見えない。視覚的効果も考慮してこの土地を選んだとすれば狡猾だ。
まずは現在の状況を見てもらいたい。
この通り、現在は投棄対策でみかんの木が植えられている。耕作放棄地にしておくと再び狙われる可能性があるための一策だ。
同地が再三、天野一派に狙われた。記事の構成上、平成8年(1996年)のケースを第一次投棄、平成30年(2018年)を第二次投棄としておこう。補足しておくと一次、二次の間に天野氏子飼い業者が開発を持ちかけたが未然に防がれた。
第一次投棄は25年も昔の話。とある地元不動産業者との雑談の中で得た「昔、同和の人が一夜城の近くに不法投棄をした」という証言から始まった。
「小田原市内で同和関係者が不法投棄」。予想通り、この関係者とは天野氏のことだった。
この時代、すでに天野氏は同和会役員であり、市内で人権啓発活動、チャリティーイベントなどを開催していた。地元の同和関係者の間ではすでに“ 顔役”である。解放運動、人権活動に関わる人物が同時並行で産廃ビジネス、違法な盛り土に関わるという実態を人権派なる人々はどう思うか。
興味深いことに著者の取材以前から地元議員らが調査を始めたという。上記写真の通り現在は落ち着いたこの農地だがなぜ住民の関心が再燃したのか。行政関係者はこう耳打ちする。
「熱海市の土石流が起きて天野氏や新幹線ビルディングが話題になったでしょ。地元で“早川に不法投棄したのもあの人たち(天野氏)だ。この辺りは大丈夫なのか ”と話題になり、県議らが調査を始めたのです。しかも一帯は土砂災害防止法に基づく特別警戒区域の上流にあります。地元住民が不安に思うのは当然でしょうね」
皮肉にも熱海市土石流が違法盛り土、不法投棄に対する意識や危機感を高めたといえる。
1日60台のダンプが石垣山にやってくる!
1996年5月11日、突如、一夜城付近の農地に重機がやってきて作業が始まった。驚いた地元住民らは作業員を問い詰めると「建設残土を運ぶので搬入道路を造っている。頼まれただけだから許可の有無は知らない」と答えたという。住民が市に確認すると把握しておらず無許可だった。
多い時で日に60台のダンプがやってきて建設残土、産業廃棄物まで投棄していった。
なぜこのような事態が起きたのか。この当時、土地埋め立てや残土処理の規制や問題意識が低いにしても異常な行為だ。
当初、地主に対して天野氏側は「土を入れさせてほしい」と依頼していた。“土を入れる ”これは残土処理業者の危険な囁きだ。土地所有者にすれば「農業用の土」と考える。あるいは交渉段階で業者側が「農業に支障がない土」だと説明する。だが実際に持ち込まれた時はガラ(コンクリート塊)などが混じった建設残土や汚泥。類似トラブルは現在でも各地で相次ぐ。
天野氏がターゲットにするのは得てして人の好い地主、資産家といった人々。だから建設残土や産業廃棄物が投棄されるとは地主も想像だにしなかっただろう。地主、行政、業者の三者で話し合った結果、工事は中止になった。これ以降、同地は所有者が転々として“ いわくつき”の土地と化す。
この一件、地元では「天野氏が関与した」というのは周知の話。だが現在、残存する資料には天野氏の名前は出てこない。直接的に現場作業に本人が関与しないのは、過去記事でも指摘した「天野案件」の通り。ところが天野氏の関与を示す唯一の資料がある。当時、区民に配布された「金掘沢建設残土問題の報告について」という文書だ。
同文書には不法投棄に関する概要が記されているが、その業者名に「宮下氏」という名がある。天野氏企業元社員はこの名を即座に看破した。
「タクユー住建の宮下秀明氏のこと。天野氏所有物件の仲介役、実務部隊といった存在ですよ」
この人物もまた天野グループを形成する一人。すでに四半世紀から天野メソッドが発揮されていたことがよく分かった。以上が96年に起きた第一次投棄だ。この後、同地は小田原市農業委員会でも議論の対象になっていた。同委員会令和元年4月25日の議事録から引用してみよう。
当該地(早川の農地)は20年前から地元でも不法投棄で有名な土地でした。その後、所有権移転等もあり現在の所有者となりましたが、3年前にも残土処理の申請がありました。
地元のみならず行政内部でも警戒されるまでになった。後編では、平成30年の第二次投棄及び、「天野塾」出身の子飼い業者が起こした関連トラブルについてレポートする。
ぬぉーーーー!
秀吉の北条氏征伐の神奈川県の史所、石垣山を産廃で汚すとは。
天野の野郎 許せん!
熱海土石流被害者の会の人たちと共に怒りのパワーで絶対おまえに法の裁きを与えてやる