「全国部落調査」裁判二審は弊社の敗訴で終わったが、判決からは解放同盟員=人権活動家への配慮が滲み出る。同和問題への政治、行政、司法、マスコミの忖度と配慮は従来通りだが、施策はLGBTにも波及してはいないか。各地で広がるLGBTパートナーシップ宣誓制度は同和行政が盛んな頃の部落民宣言と酷似しているのだ。
令和でも 行われる「立場宣言」
同和事業、同和教育が盛んな時代。70、80年代に関西地方で小学校時代を過ごした人には記憶に刻まれているかもしれない。
「部落民宣言」。または「立場宣言」とも言われる取り組みだ。
同和教育を象徴する活動、というより儀式。地域によって違いはあったが、小学校高学年から高校生で立場宣言が行われた。おおかたこんな様子だ。ある日、複数の児童が教室の壇上に立つ。場合によって部落の歴史などを書かれた模造紙を持って皆に語りかける。
「私たちの部落は差別されてきました」
こんな風にクラスメイトの前で宣言させられる。実に過酷な行事だが、それには理由がある。
戦前の水平社の時代から一部で同様のものはあったが、盛んになったのは戦後の同和事業最盛期の頃。当時狭山事件の刑事被告人だった石川一雄氏の救援運動に部落の子供を駆り出すためだった。
立場宣言は、同和事業や運動団体の活動を拡大させる武器にもなった。立場宣言はカミングアウトすることで子供に部落民というアイデンティティを植え付け、固定資産税の減免措置、奨学金、住宅資金の貸付、各種の給付といった事業を辞退する理由をなくし、学校や行政に対しては、彼らが同和事業の優遇の対象であることを見せつけるものだった。
多くの子供にとっては迷惑なことであり、立場宣言のことを知った親から学校が抗議を受けることもあった。だが運動体と事業を継続するには当事者=活動家が必要であり立場宣言はその登竜門だった。
もっとも当の子供の思いや、現場の教師の葛藤とは別に、運動体、マスコミは立場宣言を美談として扱ってきたものだ。
当事者が堂々とカミングアウトして行政に認めさせる。敏感な人はある制度を連想するかもしれない。
現在、政治・行政・マスコミが推進する「同性パートナーシップ宣誓制度」である。果たして同制度は本当にLGBT当事者を代弁し、幸福にするのか謎だ。そして図らずも推進派の活動家が不毛な制度であることを“ カミングアウト”してしまった珍しいケースと遭遇した。
「トイレ苦情に 理解を求めろ」の愛媛県で 起きたこと
反響があった岩手県庁の『多様な性のあり方を尊重するための職員ガイドライン』問題。このガイドラインの記述をめぐって現在、炎上中だと報じた。
「当事者が性自認に合ったトイレを利用することで、他の利用者から苦情が出る場合もあり得ます。様々な方が利用する施設であることを説明し、苦情を出された方に理解を求めましょう。
現在は「お互いに理解し配慮し合いましょう」に修正。同様の文言は愛媛県庁の『職員が性的指向・性自認への理解を深めるための 性の多様性に関する手引き』でも確認できた。愛媛県庁もすでに修正したが特に騒動にはなっていない。だが岩手県の場合、修正をめぐって監修者の弘前大学男女共同参画推進室・山下梓助教らが県庁に抗議中だ。
山下氏が主宰する「いわてレインボーマーチ」は啓発イベントの開催などが評価され「いわて男女共同参画社会づくり表彰」を今月12日に受ける予定だったが、修正に抗議の意味を込め辞退。
人権活動家を不快にさせた行政側の狼狽ぶりが目に浮かぶ。それは殿様と家老のようなもので、「殿! あ、いやしばらく」といった風情で涙ぐましい。
そんな愛媛県を取材中のこと。自治体関係者から聞いたこぼれ話は「同性パートナーシップ宣誓制度」の何たるやを物語る。
「大洲市、今治市でパートナーシップ制度が導入されましたが、現在はまだ申請者はいないようです。こんな地方社会で申請するとは思えません。カミングアウトするようなものですしね」(同)
以前、報じたが東京都パートナーシップ宣誓制度でも早々に申請し、マスコミの記者会見に応じたのはいわゆるLGBTの活動家だ。マスコミ報道だけをみれば当事者は全て制度を歓迎していると錯覚してしまう。なにしろマスコミはLGBT施策にご執心で、なおかつLGBT法に否定的。多分に漏れず地元紙・愛媛新聞も特定当事者ベッタリの記事を報じた。
当事者の 気持ちは政治家と マスコミが作る
ところが皮肉にもパートナーシップ制度推進派の当事者があっさりと欠陥を明かしてしまったのだ。先の自治体関係者の話。
「松山市に『パートナーシップ制度を実現する会カラフル松山』という団体があります。主張は左派やマスコミと同じでしょうね。同団体の副代表が昨年11月1日にNHKの番組に出演したんですが、なんと副代表は“僕の彼がパートナーシップ制度を了解してくれない。一番に申請したいのに、彼はカミングアウトのリスクを負ってまでやることはないと言うので困っている ”と身も蓋もないことを話し出したのです。あれにはNHKも頭を抱えたでしょうね(笑)」
番組の制作サイドとしてはパートナーシップ制度を待望する同性カップルを演出したかったはず。ところが推進派が自ら制度の問題点と本音を暴露してしまった。活動家肌の当事者の主張は皆金言と考えるマスコミにすれば本件もまた“少数派の声 ”ということになるだろう。だがどう考えても制度の不毛さを示す不用意な発言だ。
それに副代表の立場としては自身の活動に好影響をもたらすエピソードでもない。SNS上でもいわゆるLGBT活動家が痴話喧嘩を公にする現象を見たことがある。周囲にどう映ってしまうのか考えない思慮の浅さを感じたものだ。他分野の活動家が気色ばんだオーラに包まれたのと異なりLGBT活動家の場合、どこか享楽的な面がある。おそらく“ 私の彼”発言もそういう性質から発したかもしれない。
そこをいくとこのカップルの場合、“彼氏 ”の感覚の方が自然ではないか。同和事業下の「立場宣言」なら奨学金、減免、公共事業の優遇、企業・役所の雇用枠などメリットは多数。しかしパートナーシップ制度という令和の部落民宣言は少なくとも経済的メリットはない! 実際に喜ぶのは推進派の活動、仕事をやったと示せる行政、寄り添い記事が書けるマスコミといったところだろう。
「当事者の怒り」「当事者からは落胆」…。当事者をつけるだけで論が成立するのが人権関係のニュースの法則である。ここでは「当事者とは誰か」といった定義や議論は無用。パートナーシップ制度を拒んだあの“ 彼氏”のような当事者は政治、行政、マスコミからまず相手にされない人々だ。
むしろ「当事者」とは政治家やメディアによって恣意的な利用をされる。LGBT法成立の立役者である稲田朋美衆院議員のインタビュー記事に多くの疑問や批判が寄せられた。
これまでLGBT当事者の悩みは可視化されてきませんでした。常に「男女二元論」で語られ、「そこに(社会に)いない者」として扱いを受けてきたからです。
稲田氏のお説ではLGBT当事者は「そこに(社会に)いない者」「当事者は社会にいなかったことにされていた」だという。しかし当事者といっても自身の性向を公にできる人、隠れていたい人、様々だ。しかし現在、推進されるパートナーシップ制度はカミングアウトできる「当事者」が前提で設計されたものではないか。こうした特徴も部落民宣言に通じている。
また稲田氏インタビューで印象的なのは「LGBT課題はイデオロギーの問題ではない」としたことだ。もちろん本来はそうあるべきだが、すでにイデオロギー闘争になったのは明白。現に稲田氏は森友学園問題でも名が浮上し、自衛隊日報問題でも責任が問われたが「LGBTに熱心」この一点のみで朝日新聞など左派メディアから好意的に扱われる。イデオロギー化以外の何物でもない。
その点、同和事業は部落解放同盟が事業の受け皿団体になったことでイデオロギー化したが、ただ国の予算で地域が整備されたメリットもあった。ではLGBT法なり、パートナーシップ制度が地域社会に恩恵をもたらすのかと言えば否、だろう。
驚いたことにLGBT施策に積極的な自民系の自治体議員、行政職員の中には地域活性策と考える向きがあった。パートナーシップ制度導入で同性カップルが魅力を感じ移住してくる、と。もっとも移住するのはおおかたその筋の活動家カップルで人口増になるはずもなく、そもそも制度の趣旨と異なる。それでも推進者たちの「当事者がー」の連呼は人権擁護というより打算的、偽善的だ。
しかも当事者とみなされるのはあくまで「特定の活動家」。これは同和、在日コリアン、アイヌ、沖縄、といった他分野でも共通することだ。そして今、LGBTも同じ道を歩もうとしている。世は人権活動家ファースト時代の真っただ中、救われたのは「特定の活動家」だけではないことを祈りたい。
私の中学では在日宣言だったなぁ。
兄弟でも兄は宣言する、弟はしないとかもありました。
まぁ兄弟であることがわかっていれば片方が宣言すればしないほうもバレてしまいますが。
LGBTでもパートナー同士で同じ考えとも限らないんですね。面白いと言えば怒られるかな。
#35cece504377edbd0ceadfddc47b218c
ありがとうございます。在日の人だと本名で学校に通いたいっていう運動がありました。
あれも宣言の延長だと思っています。
在日宣言は米子市がやっておりましたね