日本会議、森友学園…
元解放同盟員・菅野完に
メディアが忖度!?(後編)

三品純 By 三品純

本題に入る前に奈良の同和行政について若干、触れておこう。前回は川口県連と山下県連について説明した。多くの人のご記憶に新しいだろう「奈良市部落解放同盟員給与不正詐取事件」、通称“ポルシェ中川事件”の中川昌史まさふみ氏は川口県連派だ。興味深い現象を紹介しておこう。2012年10月、奈良県と部落解放同盟奈良県連合会(川口県連)の間で開催された「人権施策調整会議に関する協議」の席上、こんなやり取りがあった。連合会側が公共事業の低価格競争、ダンピング防止策について奈良県公共工事契約課に問うた。奈良県の公共事業は、事前に非公表の予定価格が漏れ談合につながっていたことから、予定価格の事前公表に制度変更。連合会側はこれに反発し、見直しを求めた。

すると県側はこう説明した。

「県内において談合事件が発生し、競争入札妨害罪で逮捕者が出た。このため事前公表は継続する」

ここで言うところの逮捕者。これ、紛れもなく中川昌史氏のことを指したもの。前述の通り中川氏は、川口県連の運動家だった。団体側にすれば「ぐうの音」も出なかったことだろう。そして県側による精一杯の“皮肉”とも解釈できる。あるいは同連合会の勢力が強い頃は、こうした“お返し”もできなかったことだろう。この一幕は奈良の解放運動の衰退を物語っている気がしてならない。中川事件が発生する前後で奈良の同和行政は一変した。そこを行くと菅野一族の天理市は――――

菅野一族中興の祖、菅野留次郎は水平社の英雄

菅野氏が親類とする故・菅野留次郎。天理市議会の重鎮であり、水平社時代の著名な運動家だ。菅野建設の菅野茂氏の祖父にあたる人物でもある。留次郎氏は、旧丹波市町たんばいちちょう時代に、町議会議員になり、ここから菅野一族から議員が輩出されていく。言うならば菅野一族“中興の祖”という存在。留次郎氏は、1958年(昭和33年)4月~1959年(昭和34年)3月、そして1967年(昭和42年)5月から1975年(昭和50年)1月まで天理市議会の議長職にあった。留次郎氏は、議長職を務める以上、戦前のような激しい解放運動はできなくなったと推定できる。そのことは、子孫たちの解放運動に対する“距離”が示していないだろうか。

では完氏との関係は? 茂氏の親族によると完氏の父、幸博氏の父親は茂氏の父親の叔父になるという。幸博氏‐完氏親子は、留次郎氏の血筋から離れ、直系は茂氏、そしてその従弟の豊盛氏が近い。

ちなみに留次郎氏の名は『奈良県同和事業史』にも登場する。1923年3月に発生した「水国すいこく事件」だ。奈良県磯城郡川西村(現・同郡川西町)の老人が嫁入りする女性に「あれはヨツだ」と言ったことから水平社による糾弾闘争に発展。これに対して任侠団体「大日本国粋会」が介入し、水平社と国粋会が衝突した。この時、水平社側の活動家が検挙されるが、その中に留次郎氏がいた。

水平社を敵視する官憲の動向は、事件後ただちにあらわれた。三月二十三日、事件関係者の検挙が開始され、数十名の警官の手で下永部落の松本松太郎外十六名を郡山署に召喚した。十七名中、松本松太郎・森島駒次郎(下永)、山本伊太郎(梅戸)、川崎平吉(嘉幡)、美並彦四郎(御経野)、菅野留次郎(石上)の六名は即日起訴された。『奈良県同和事業史』

あるいは『大阪毎日新聞』(1923年12月8日)の水平社対国粋会争闘事件求刑という記事にも「菅野留次郎」の名がある。また戦前、奈良県高等警察課が作成した「高等警察参考資料」には当時の水平社の組織一覧が掲載されている。その中に石上水平社(丹波市町大字石上*現在の天理市石上町)には「主幹又ハ主ナル者ノ氏名」として松本五郎兵衛、菅野留次郎の記載がある。丹波市町(天理市)の水平社運動の中心人物なのだ。

水平社一覧/右下部に菅野留次郎氏の名が。

ただ完氏から見るとかなり遠い親戚だ。おそらくは水平社運動の草分け的な存在である留次郎氏の遠縁という点も「部落出身」という自意識につながっているのだろう。

では、直系の茂氏の政治履歴を検証してみる。議会でもエキサイトするシーンが多かったのが印象的だ。周囲のからは「乱暴な人」に見えたことだろう。しかし議会での質問は「随意契約」の見直しや、住宅貸付金の回収など、語気こそ荒いが積極的に行政の無駄に切り込んでいる。茂氏の支持者たちは、選挙違反で逮捕されたことについて「はめられた」という意識が強かったが、もし恨みを買うとしたらこうした議員活動が影響したかもしれない。

ただ茂氏から「同和」「部落解放」というものは読み解けない。親族も同和事業との関与を否定した。また豊盛氏の市議活動からも積極的な同和事業の関与は確認できない。いわんや完氏の父、幸博氏の議員生活は、一期と短い上、目立った活動がなかった。地方議会では、地元の商工業者が議員になることや、特に党派色を出さずに議員生活を送る人は多い。幸博氏もこの手のタイプだ。結局、幸博氏は借金を負い自宅、つまり完氏の生家は、競売にかけられ手放すことになる。地元の人は「借金の理由」についてあまり良い話をしなかった。「3年前まで石上の実家付近に(幸博氏)の車が停まっていたけど、このところは見かけないね。近くでおじいちゃんらが草ゴルフみたいなのしてるんやけど、その当時”今日、議員やった幸博さんを見かけたで”と言っていたかな」(飲食店業者)。そして今ではもう幸博氏は、天理を離れているそうだ。

さてこれも前稿の繰り返しになるが「議員」である以上、「同和問題」は何らからの形で関わらざるをえない。なぜなら行政における「人権」の意味とはすなわち「同和問題」のことだから。だから茂氏、豊盛氏、幸博氏らも全く無縁では済まなかっただろう。ただ解放運動を是とした議員でもなく、「今なお根強い差別がー」と一席ぶつ議員でもなかった。

にしても留次郎氏の直系の茂氏が解放運動家でもなく、遠縁の菅野氏が解放同盟員歴を公言する。妙なことだ。

ソ連賛美で、「お前部落出身だろ」という教師の存在

ニュースで登場する完氏は理路整然としている。なにせ、あの曲者の籠池理事長をハンドリングする手腕もお見事だ。しかしその一方で、どうも氏の話は、点と線がつながらないこともある。それが如実に表れたのがこのツイートだ。

俺は中高と私立で大学も米国だし、確かに他の人と教育パスは違うのかもわからんが、小学校の時、それこそ日教組バリバリの先生から「ソビエト〜美しき祖国〜」とかいう8mm映画みせられたり、人権教育の時間に「おい。のいほい。お前部落出身だろ。先生を手伝え」と万座の前で言われたりしたぞえ。2012年7月26日

菅野氏が批判の対象するといわゆる“ネトウヨ”なる人々はとかく「反日」「日教組」「工作員」というキーワードを好む。どうも彼らの中では、過激な左翼思想を抱く教師はみな「日教組」であるらしい。通常、教職員の組合は、民進党系(または社民党系)の「日本教職員組合」(日教組)、共産党系の「全日本教職員組合」(全教)、保守系の「全日本教職員連盟」(全日教連)に大別される。ただ一概に”反日日教組”と言っても、日教組や全教ですら手を焼くエキセントリックな教員や小規模組合は存在する。あるいは学力テストの成績向上に熱心な県教組もあれば、イメージ通りの左派色が濃い県教組もある。また全国には数少ないが、保守系の全日教連が強い地域もあり、各教組の力関係はあくまで地域による。

各教組の主張を見ると全教の方が過激のような気もするが、批判と憎悪はたいてい「日教組」だ。これは保守論壇、保守メディアも同様の現象。少なくとも右の社会において日教組という存在は、一種の「記号化」している。要するに批判が安直なのだ。

では奈良県の教職員組合事情は、というと―――

共産党系が「奈良県教職員組合」、そして民進党系が「奈良教職員組合」という状況だ。もとは奈良県教職員組合だったが、1989年の日本労働組合総連合会(連合)の発足に伴い、当時の社会党系は奈良教職員組合に分裂した。地元教員によると分裂以前から同和問題をめぐり共産党系/社会党系の対立があったという。当時、奈良県教職員組合の執行部は共産党系が強かったため、そのまま県教組の看板を引き継ぐことになったそうだ。

両団体の対立関係はこんなところに見える。

韓国併合100年 いまこそ平和と友好に向けて ~ともに学び理解しあうために~日時: 2010年4月24日(土)

 

** 実行委員会 順不同 **

教育連合奈良県協議会(奈良教職員組合、奈良県高等学校教職員組合、奈良大付属幼稚園・高等学校教職員組合)、奈良県人権教育研究会、奈良県人権教育推進協議会、部落解放同盟奈良県連合会、(財)奈良人権部落解放研究所、奈良県外国人教育研究会、奈良平和フォーラム、多文化共生フォーラム奈良、朝鮮女性と連帯する奈良県の会、アイ女性会議なら、奈良県女性解放共闘、奈良県での朝鮮人強制連行資料を発掘する会、奈良朝鮮人強制連行真相調査団

共産党系の「奈良県教職員組合」の名がない。会の趣旨自体は、奈良県教組も賛同したかもしれないが、実行委員会に名を連ねる「部落解放同盟奈良県連合会」を敬遠したかもしれない。というのが奈良県の教組事情である。

菅野氏は1974年の生まれだから櫟本小学校に入学したのは1981年だろう。組合もまだ分裂前になる。ただ小学生で教員が日教組に加盟していることを判断できるだろうか? おそらく聡明なる菅野氏のこと。小学生で“大人の事情”を察知できたかもしれない。

ただこの日教組バリバリという教員の党派は何だったのか? 先述した通り共産党・社会党両派の教員が組合に混在した時代。「ソビエト〜美しき祖国〜」なる映画を見せた教員は「お前部落出身だろ」の発言主と同一か別人なのか。1960年代に日本共産党は中ソ批判していることから、共産党系の教員がソ連賛美の映画を見せるとは思えない。逆に社会党支持者の教員ならばソ連賛美はあったとしても、「お前部落出身だろ」と発言するのは考えにくい。この発言についてもいろいろなケースが想定できる。例えばこの教員自身が部落民で、このため「部落に誇りを持て」と鼓舞する意味で、「お前部落出身だろ」と言ったのかもしれない。もちろん想像の域を出ないが。

組合と解放同盟/確かに奈良県教職員組合の名がない。

1969年、天理教の機関紙『天理時報』の記事に部落差別の文言があったことから、天理教団は糾弾された。また1970年には天理大学教員の差別事件、1972年には教育学の抗議で差別発言があり、これも糾弾された。

天理市、その名の通り、天理教が由来してこの名になった。教団から市への寄付も莫大だ。

天理市関係者に市議には天理教団の組織内候補がいないか尋ねたことがあるが、一笑に付された。

「教団は市長と直接、懇談できるからあえて議員を立てることはしませんよ(笑)」

天理市内における天理教の影響力は間違いなく大きい。しかしその天理教ですら同和に屈服してしまうのだ。また1970年代には、天理市立南中学校の生徒間差別発言事件、天理市立差別発言事件などが起きている。1989年には、まだ部落解放同盟奈良県連合会に在籍していた山下力氏が市内の中学校で暴力糾弾事件を起こした。

今では、平穏な天理市だが、一昔前は、こういう状況だ。以上の背景を考えても、教職員らは、「同和」について慎重になっていたはず。それに遠い親戚とは言え、かつての水平社の英雄、菅野留次郎の親類の完氏に「お前部落出身だろ」と発言する。こうした光景がどうしても想像できない。それに普段、菅野氏は保守系の論陣や識者に厳しい。しかしそんな彼らが好んで使う記号化された「日教組バリバリ」という表現を使っている。普段はロジカルな菅野氏にしては、このツイート、あまりにステレオタイプな部落差別観と日教組観だ。

微々たることだが、こうした点も「言うほど部落民か?」という気がしてならない。いわんや解放同盟の運動歴についてもご本人から明確な説明はもらえなかった。

さてこれまでの経験上、「解放運動」に関わる運動家は主に3タイプいた。1つはいかにも絵に描いたような土建屋という風体の強面タイプ。最初はとっつきにくい。ただなんだかんだでいろいろと教えてくれる。土地のことや歴史にも詳しい。歴史とは「水平社の結成理念云々」といった機関紙やネットを見れば分かる通り一遍の話ではなく、糾弾集会の内情や同和事業の内幕といった実質的な話のこと。2つ目は、ただの「動員要員」。3つ目は、書生さん的というのだろうか。座付きの研究者や専属ライター、集会や講演会を糧にするイベンター。このタイプは、そもそも地区出身者であるのかも疑わしい。例えば大学の部落解放研究会で“目覚めた”という人も見受けられる。あるいは故郷に同和地区があったことから、都市圏に出てから部落出身を名乗る、こういう人もいた。この手の人は、往々にして本当の同和地区住民より声が大きいものだ。

その点、菅野氏は、「部落民」を名乗るだけの背景は大いにある。ただ一連の発言とともに天理市石上、櫟本での取材を総合するにこの書生さんタイプを想像してしまうのだ。もちろん同氏の生家付近には、同和住宅が並ぶ。だから部落民という自己意識を持つのも自然の成り行きかもしれない。彼はこう言った。「確かに櫟本は部落じゃありませんが、父親の実家の石上は部落ですよ」。ところが石上の近隣住民たちには「石上のモン」と目されてはいない。果たして同氏の解放同盟の運動歴とはどんなもので、また公言する意図は何だったか。残念ながら今回は面談かなわず電話だけのやり取りになってしまったが「答える必要はない」とした上で今後の要件は扶桑社の編集者T氏を介してほしいということだった。何のフォローにもなっていないが、不躾な質問とは重々承知しているが対応してもらったことには感謝したい。

またテレビ朝日にも、菅野氏へ「お詫び」をした意図や出自に対する配慮があったのかを聞いた。回答は書面で送られてきた。

4月4日の放送回につきましては、3月30日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」で森友学園問題についてお伝えした際に、一取材者として籠池氏夫妻に接していた著述家・菅野完氏がツイッターで発信した内容や入手・公表した写真を紹介するにあたって、菅野氏を籠池氏側の人物とも受け取られかねない表現でご紹介してしまったため、番組として改めて説明したものです。(テレビ朝日広報部)

同社は、こう説明するがどう見ても「籠池氏側」という印象はなかった。またお詫びするほどの内容だったのか腑に落ちない。このところ森友学園問題をめぐっては菅野氏の取材も落ち着いたようで、同氏の追跡取材はあまり聞かなくなった。今回は彼の出自に対してメディアが「忖度」ということだったが、同意して頂ける人もいれば、批判する人も多いだろう。しかしメディアの菅野氏に対する態度はどうしても「配慮」を感じざるを得ない。『情報ライブ ミヤネ屋』( 2017年3月16日)で菅野完氏とは? とプロフィール紹介があった。

1974年奈良県生まれ 一般企業のサラリーマンとして勤務するかたわら執筆活動を開始。2015年退職後政治経済分野での執筆活動を本格化。著書「日本会議の研究」「保守の本分」など。

脱原発、しばき隊などのカウンター活動、そして部落解放同盟という経歴を紹介してもいいのでは? いずれの活動も全く悪いことではない。メディアもヘイトスピーチ問題や同和問題に理解があったはずだ。ならば堂々と紹介すればいい。紹介するだけの時間とスペースがなかったのか、あるいは視聴者が分かりにくいという判断だったのか。それは分からない。ただメディアによる「配慮」「慎重」そして「忖度」に見えてしまうとすれば、それは平素からの報道姿勢に問題がある。だから「元解放同盟員・菅野完にメディアが忖度!?」この表題に対して結論を導きだすとすれば”いかにもやってそう”としか言いようがない。(了)

日本会議、森友学園…
元解放同盟員・菅野完に
メディアが忖度!?(後編)
」への3件のフィードバック

  1. 匿名

    なんだこの解放同盟員以上、部落民未満みたいな感じは
    いやだねぇ、何かを笠に着て持論振り回すやつって
    元解放同盟員って肩書は魔よけのお札のつもりかい

    返信
  2. 匿名

    上に出てきた全教の奈良県教職員出身の役員は現在中央の副委員長の役職に就いていますね。
    彼は非常に部落問題に詳しくて組合の部落問題のエキスパートだったと記憶しています。

    返信
  3. 匿名

    完氏と同じ小学校の同級生です。
    櫟本小学校では当時被差別部落の学習は一切してないです。実際、部落という言葉も知らずに小学校六年過ごしました。ソビエトの映画?とか小学校の教師に見せられたとかあり得ません。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です