日本人のおなまえ研究(6) 「明治新姓」だけじゃない! 「昭和新姓」「平成新姓」もあった

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By 宮部 龍彦

いよいよ平成の終わりが迫っている。4月1日の新元号発表を心待ちにしている方も多いだろう。そこで、今回は特別企画として、日本でもトップレベルの名字研究者である宮本洋一氏に、元号と名字の関係を解説して頂いた。

まず、昭和姓の起源の真相から書く。

『朝日新聞 1985年1月1日号朝刊』の23面の「それぞれの昭和 第1回」に「昭和一族 時代と歩み風説60年 父がもらった、全国で多分一つの名字。ただ今32人、にぎやかに正月を迎えた」との見出しで埼玉県秩父市吉田久長(旧:秩父郡吉田町久長)の昭和姓の人の話が出ているので引用する。

 生まれたとき、辰雄さんは『小菅辰雄』だった。『昭和辰雄』になったのは、昭和七年五月六日、十二歳のときだ。父親に養子縁組の話が持ち上がる。縁組がまとまったり、取り消されたりした混乱の中で、戸籍を失った。『新しく籍をつくるとき、町の有力者に『昭和』の姓をつけてもらった』と亡くなった父から聞いた

朝日新聞 1985年1月1日号朝刊 「それぞれの昭和 第1回」

「明治新姓」があるように「昭和新姓」もあった。

同記事の続きでは「弟二人は、幼くして死んだ。昭和の姓を、ひとりで継いだ」とあって昭和姓は1人から32人に増えている。

続いて平成姓が発生した事情を記す。

『朝日新聞 1989年2月6日号夕刊』の2面に「徐偉さん一家『平成』姓で新生活」とした見出しの文があり、起源を次のように説明している。

『平和と成功という意味が込められているので、とても気に入っています』昨年秋、故国に永住するため来日した中国残留孤児の徐偉さん(43)と妻の劉芳さん(41)、長男の徐志剛君(17)、長女の徐麗娜ちゃん(8)の一家はこのほど、栃木県小山市で新しい生活を始めるのを機に、日本姓を『平成(へいせい)』とする手続きをした。黒竜江省チチハル市で育った徐さんは、昭和62年の残留孤児調査に参加。身元は判明しなかった。『平成』という名字は、小山市に住む身元引受人の吉森豊さん(62)が考えた。『まさか元号が自分たちの名字になるとは』という徐さん一家。だが、『新しい生活を新しい時代に始めるのにぴったりだ』と思い、賛成した。名前も少し変え、平成偉男(たかお)、芳子、志剛(しごう)、麗那(れいな)に。

「平成」一家は1日から、小山市内に新居を構えた。今後、偉男さんは吉森さんの経営する会社で働くほか、子供たちはそれぞれ地元の学校に入る予定だ。「私たちの故郷は2つあります。この2つの国がいつまでも平和であってほしいですね」というのが「平成」一家の願い。

朝日新聞 1989年2月6日号夕刊 「徐偉さん一家『平成』姓で新生活」

別の新聞の記事では『中日新聞 1989年2月4日号夕刊』の10面に父の名前が「中山太郎」だったとある。復姓するとすれば「中山」となるはずだった。

 中国東北部(旧満州)から栃木県小山市に永住帰国した中国残留孤児一家が四日までに、同市役所に新元号にちなみ「平成(へいせい)」の日本姓で転入届を出した。中国黒竜江省チチハル市から帰国した徐偉さん(43)、妻の劉芳さん(41)、長男(17)、長女(8つ)の一家四人で、新しい日本名は姓が「平成」名前が「偉男」「芳子」「志剛」「麗那」に。徐さん一家は「平和で成功するという意味のありがたい姓を頂いた」と新生活に向け希望を膨らませている。
 徐さんは昭和六十二年二月の訪日調査で肉親捜しのため来日したが、肉親らの名乗りはなかった。故国への思いは断ち難く、昨年十月永住のため一家で来日し、埼玉県所沢市の帰国孤児定着センターに入所、日本語や日本の習慣などを学んでいた。昨年暮れ、中国からの引き揚げ経験のある小山市中央町の会社役員吉森豊さん(62)が身元引受人となり、このほど同市内の雇用促進住宅に新居を構えた。
 新しい日本姓は、吉森さんと徐さん一家が話し合って決めたが、徐さんは「学者が苦心して決めた新元号を名乗ることができてうれしい」と喜んでいる。
 一家は日本での生活に慣れ次第、徐さん夫妻は吉森さんの会社で働き、志剛君と麗那ちゃんは市内の小中学校に通うのが希望という。
 徐さんは昭和二十年九月、チチハル市で中国人に預けられた。父の名は「中山太郎」と言い、終戦後は第一監獄長。両親は日本に帰国し、徐さんは生き別れになった。

中日新聞 1989年2月4日号夕刊「「平成」の姓で再出発 中国残留孤児徐さん一家 永住帰国で届け出」

1989年の時点で4人だった平成姓は増えているのかは不明である。『毎日新聞
1989年2月5日号朝刊』の26面では栃木県小山市の町名と番地まで記している。ただし、集合住宅であって該当の住所を住宅地図で調べても確認することはできない。

 栃木県小山市に永住帰国した中国残留日本人孤児一家が再出発の希望と決意を新元号に託し「平成(へいせい)」の新姓で四日までに住民登録した。
この一家は同市若木町三の八の二の平成偉男(たかお)さん(43)=中国名・徐偉▽妻芳子さん(42)=同・劉芳▽長男志剛さん(17)=同・同▽長女麗那さん(8つ)=同・麗娜=の四人。
 偉男さんは昭和二十年十一月、中国黒竜江省チチハル市で生まれたが、日本人の両親の名前も親族も不明。中国人に育てられ、中国人の芳子さんと結婚した。六十二年二月、肉親捜しで初来日、縁者は見つからず、いったん中国にもどったが「父母の国で暮らしたい」と昨年十月、一家で再来日した。

毎日新聞 1989年2月5日号朝刊「帰国残留孤児一家の新しい姓は「平成」 栃木・小山市」

また、2003年以降の電話帳では大分県杵築市山香町内河野に平成姓の記載がある。ただし、同地では芸名で本名ではない。

最後にまとめると昭和姓、平成姓は元号が語源で明治新姓よりもさらに新しい「昭和新姓」、「平成新姓」だった。

日本姓氏語源辞典 の解説も合わせてご覧頂きたい。

メイジ 【明治】3 日本姓氏語源辞典
タイショウ 【大正】3 日本姓氏語源辞典
ショウワ 【昭和】2 日本姓氏語源辞典
ヘイセイ 【平成】1 日本姓氏語源辞典

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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  1. すずき

    素敵なお話でした。ひどい意味な氏もありますが、改名ならぬ改氏ってできるのかなと思いました。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      家裁の許可があればできます。実際、自分の名字が気に入らないという理由で改氏された、大楢さんのような例があります。

      返信
  2. 藤原

    いつも勉強になります!
    自分は木村重成の末裔らしいんですがどうなんだかわかりますか??

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