事前に予定していた部落を探訪した後、時間が余ったため、急遽訪れたのがここ。地名で言えば前田東町と前田西町。中川上、中川下とも言われた部落である。
戦前はそれぞれ33戸、16戸だったと記録にあり、2つの部落は隣接している。特に密集地区ではなく、比較的土地に余裕のある農村部落のように見える。
新川の堤防道路から探訪を開始した。なお、この石碑は部落とは関係なさそうである。
堤防の下にソーラーニコイチがあるので、ここが指定同和地区であることがすぐに分かる。
この場所は前田西町である。しかし、昭和初期の地図では「中川」と書かれている。前田東町、前田西町が部落というわけではなくて、その外れに小さな村がある。
現在でもこの場所の小字は中川である。そして、前田西町の側は新川の川下に位置するので、ここが「中川下」ということだろう。
香川県の同和地区では、自動車が物置代わりに置かれているのをほぼ全ての地区で目にしたが、ここでも道路上に置かれていた。しかも、タイヤが外され、簡単には動かせないようになっている。
そこから少し西に歩くと、高松市中川文化センターがある。隣保館である。隣に児童館が併設されている。
この施設の前の道路が前田東町と前田西町の境界となっている。
琴電長尾線西前田駅の近くのこの辺りは前田東町である。西前田駅のある場所は前田東町なので注意されたい。
記録によれば中川下は商業と農業が中心で生活程度は悪くなかったとされる。一方、やや世帯数の多い中川上は日稼ぎが中心だった。
この団地形式の改良住宅にも太陽熱温水器があり、ベランダではなく屋根の上に戸数分だけ載っているのが壮観である。
地図を見ると小字は「下所」となっているが、下所の中心はもっと南側であり、ここはあくまで中川の一部のようである。
前田文化センターという施設もある。
ただ、これは市の施設ではなくて地元の自治会館のように見える。名字は杉田が多く、善通寺市の与北町等と人の交流があったことが推定される。
本来はあまり良いやり方ではないように思うのだが、農村部落でもニコイチが建ち、持ち家と混在したような状態になるのが香川県の全県的なやり方のようである。
この地域も、高松市民にとっては、いろいろな意味で印象深い地域のようである。
地元です。レポートありがとうございます!
この辺は昔からガラが悪いから近づくなと言います。
香川県の探訪、大変有意義でした。高松市内の指定地区はあと三つあると思いますが、探訪済みでしょうか?一つは探訪済ながらお蔵入りというのがその三つのうちのどれかですかね。
ここが面白いから前から
拝見しています。
何か最近はコメント欄が騒々しくて
見ているだけでゾワゾワしますね。
色んな意見があるから面白いんですけど、
ワハハって最後に言う人、
粘着質で気持ち悪いですし、
みっともないですよ。
私は決して筆者ではありません。