大乗仏教の経典『観無量寿経』の「是旃陀羅」が差別用語だとして真宗大谷派は部落解放同盟広島県連から「不読」を要求されてきた。2022年9月19日の記事で内情を報じたが、木越渉宗務総長が今年6月の改選を前に〝不読対策〟メンバーを幹部に据えた。総長の強引な進め方は同県連への忖度との批判が漏れてきた。
なぜか広島県連だけが怒っている

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の宣言の下、1922年に創立された全国水平社。2022年に100周年を迎えた際はマスコミのキャンペーン報道、運動体の式典、イベントが行われた。一方で、水平社運動とも縁が深い真宗大谷派内では、大乗仏教の経典の一つ『観無量寿経』の「是旃陀羅(ぜせんだら)」の不読問題で紛糾していた。
参考記事。
過去記事から経緯を引用する。
「観無量寿経」は歴史的に浄土真宗で重要な経典だが、その中で「旃陀羅」はインドの被差別民(チャンダーラ)を意味し、日本で被差別部落民に相当すると考えられてきた。
「観無量寿経」の教説の中で母親を殺そうとする阿闍世王に月光大臣がまるで是旃陀羅のような悪逆の者だ」と諭した。これが部落差別を助長するとして部落解放同盟広島県連(尾道市)委員長、故・小森龍邦氏らが大谷派に対して是旃陀羅の「不読」を要求してきた。
「不読」とは文字通り読経する際に是旃陀羅を読誦しないことだ。是旃陀羅問題の歴史は長く、水平社結成から書き換えや訂正を求められてきたが、内部からも難色を示す声もあり現在も読経されることがある。実は宗教を問わず経典、聖書内に差別用語があり修正を求める事例は少なくない。

「是旃陀羅」問題に関する決議
私たちは、近年、部落解放を願う人々から、教団の根幹である教学・教化・儀式に直結する厳しい提起を受けてきました。『仏説観無量寿経』序分にある「是旃陀羅(ぜせんだら)」という言葉にかかわる問題です。このインドにおけるアウトカーストの人々を表す「旃陀羅」という言葉は、人間の尊厳を否定する根源的な差別語として機能してきました。
私たちは、その言葉を聞くことで心が痛い、耐え難いと感じる人がいることに思いが至らず、法要儀式で読誦を繰り返し、またその言葉に「穢多」・「非人」という言葉を当てて教化してきた歴史がありました。私たちは、あらためて差別される痛みや苦しみを感じてこられたすべての人々に対し、深く謝罪いたします。また、私たちは、全国水平社創立以来、「親鸞に帰れ」という願いのもとに発せられる悲痛な叫びに、真に向き合うことができませんでした。
信心の問題と差別によって人間が否定されるという問題を切り離してしまうなど、教学・教化・儀式の課題として受け止めきれなかったと言わねばなりません。それは、カーストの克服を大きな課題とした釈尊の教えや、「みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」と吐露(とろ)した宗祖親鸞聖人の教えに違(たが)うものであり、念仏の僧伽(さんが)を求める同朋会運動の精神に対して、自ら背を向けるものであったと深く慚愧(ざんき)いたします。
私たちが、是旃陀羅の問題をはじめ、聖教(しょうぎょう)における女性差別、また障がい者差別等、すべての差別問題における課題を共有することは、同時に、教えを通して我が身の差別性が自覚させられていくことであります。全国水平社創立百年、立教開宗八百年を目前にした今、私たちは、差別を受けてきた人々に二度と同じ苦しみを与えることがないよう、また、差別をし、見過ごし気づけなかった過ちを繰り返すことのないように、あらためて、「人間解放」という人類共通の願いに向けた具体的な一歩を踏み出すべきであると考えます。私たちは、宗憲前文の「同朋社会の顕現」という使命を果たすために、国家・宗教・民族・性別などのあらゆる差異(ちがい)を超えて差別のない社会を求め、継続的な努力と歩みを重ねていくことをここに誓います。以上、決議いたします。
2021年6月28日 真宗大谷派 宗議会議員一同 2021年6月30日 真宗大谷派 参議会議員一同
部落解放同盟が宗教団体を糾弾した過去は多数ある。ただし是旃陀羅問題の事情が異なるのは部落解放同盟広島県連が独自に取り組んできたことだ。もっといえば故・小森龍邦氏(県連委員長、衆議院議員、新社会党委員長)の個人活動という側面が強い。
通常、広島県の解放運動は県東部(尾道市、府中市、福山市、三原市周辺自治体)が盛んだった。1999年、解放同盟や教職員組合が国旗掲揚、国歌斉唱への反対、抗議に悩んだ校長が自殺した「世羅高校事件」は国旗・国歌法を制定する契機になった。激しかった広島解放運動の中心にいたのが小森氏というわけだ。
小森氏は大谷派内で「先生」で通っており、著作でも是旃陀羅問題を論じている。また教派内の講演会で登壇することも多数だ。2013年、同県連は『現代の聖典・学習の手引き』(真宗大谷派宗務所出版部)の「解説・是旃陀羅について」の箇所に差別表現があると問題提起した。
つまり是旃陀羅問題は解放運動全体の取り組みというより、小森氏への配慮という印象だ。小森氏の死後、広島県連に引き継がれているが、現在の県連役員に経典に関する知見があるとは思えない。要は小森氏の運動遺産といえよう。
経典が読めなくなってしまう

仮に被差別部落在住の信徒が是旃陀羅について疑義を訴えるならばまだ理解できる。ところが、全く無関係の広島県連がなぜ介入し続けるのか不思議だ。
大谷派の寺院は全国に点在するが、各地の檀家らが不読を要求したなどという話は聞いたことがない。
なにしろ社会はポリティカルコネクトスの勢いが強い。それは宗教団体にも例外なく影響をもたらされるだろう。ある僧侶はこう訴えた。
「無量寿経優婆提舎願生偈には『女人及根欠 二乗種不生』(視覚など五感や意識が備わっていないこと)もあるが女性や障害者差別といわれかねない。人権上の配慮というならば同列に扱うべきなのに、是旃陀羅だけにこだわるのは単純に人権団体への配慮でしょう。しかし現在の常識や社会通念で『不読』を決められてはもう我々が読む経典など無くなってしまいます」
同様の疑問は仏教研究者からも投げかけられた。
「親鸞が遺した和歌や蓮如上人の御文には女性差別的な表現や概念が多数、書かれています。時代背景が異なる上、差別的な意図があったのかは解釈が分かれます。そこで大谷派内では『真宗大谷派における女性差別を考える女たちの会』が問題提起してきましたが、宗派側は広島県連のような丁寧な対応はありません。何が差別なのか、また交渉に応じるのかは運動体との力関係によるということでしょう」
また時代背景や体制に合わせて経典の内容や解釈が変わることの危険性。このことは内部からも危惧する声がある。本来は是旃陀羅の何が問題なのか、宗派内部で議論し尽くすべきだ。ところが特定の外圧によってしか課題を検討することができないのか。
『中外日報』(1月9日)で仏教学者、田代俊孝仁愛大学学長のコラム「親鸞聖人の著作に見られる差別言辞 ― 価値観の時代的変遷において問われる課題」でも同様の指摘がみられる。
田代氏は親鸞の著作物における差別言辞を指摘した上でこう訴えた。
浄財を用いて研修を重ねながらも外圧を受けないと差別が課題化されない所に深い悲しみを感じる。
議論を避け外部による「研修」という形でその場を取り繕う。是旃陀羅問題で露呈した教団の体質だ。
本来ならば広島県連としては水平社100周年にあわせて大谷派に是旃陀羅の「不読」を宣言させたかったのだろう。ところが100周年には間に合わなかった。
そして昨年、大谷派は「不読」問題に関して交渉を終了したとの情報が舞い込んだ。どうやら裏事情があるという。
木越宗務総長が改選前に爪跡を残したい
2月27日、真宗大谷派の木越宗務総長は先月27日、参務役員2名を交代し内局改造を行った。内局とは大谷派における官僚。9月には宗務総長の改選を迎えるため木越総長はもうお役御免の状態。
それでも内局改造に至ったのは「是旃陀羅問題で爪跡を残したいのでしょう」(前出議員)との思惑があるようだ。
『中外日報』(2月28日号)によると今回の内局改造に際して木越総長は是旃陀羅問題について「読誦を決着つけたい」とした上で「是旃陀羅問題の課題に当たってほしい」と語ったという。
この人事が「不読」の専門要員というのが専らの評価。木越総長が改選前に爪跡を残そうというわけだ。
さらに新体制では不読を進めるための委員会を立ち上げて「不読」を進めていく。ところがそのメンバーというのが〝いわくつき〟というのだ。
「法話冊子で妊婦を蔑視するようなコラムを書いて辞任に追い込まれた大谷専修学院前学院長も不読の委員会メンバー。これでは是旃陀羅問題の議論は期待できないでしょう」(議員)
紀元前の時代に生み出された仏教の概念が一部の活動家、爪跡を残したいだけの一教派のトップによって変えられていく。仮に是旃陀羅を不読にした場合、次は別の仏教用語が「差別的」だと続いて「不読」の要求闘争が起きるだろう。
そのたびに突き上げを食い、再び教派内部が混乱する。そして浄財による研修やシンポジウムの開催で〝取り組んだふり〟を外部に示す。しかし教団、仏教界が先細る中でいつまでこうしたやり方が続くのかは疑問だ。
解放同盟員は穢多非人やチャンダーラとどんな関係があるんですかね。
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何にも関係ありませんね(笑)
まだこんなことやってるとは・・・驚きました。
こんなの普通の人は言われないと一生知ることもないのに。
大石寺みたいに勘違いして余計なことばかり言ってくる団体とはお付き合いをやめればいいかと思いますが。
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正面から「時代背景を考えろ、差別的な意図はない」と主張すればいいだけなのですが
小森は全国部落調査裁判の原告陳述書でも噴飯ものの薄っぺらい仏教知識をひけらかしてご満悦でしたね。解放同盟の威光を利用すれば、無学歴で無知無学の小森でも「先生」づらができる。戸手商業高校で暴力犯罪をやらかした前科者が仏教界の碩学を「指導」する立場になれるわけですから、さぞ気持ちよかったことでしょう。
息子に先立たれる不幸に見舞われたのは何の仏罰だったのでしょうか? カルマがあるとすれば、戸手商事件以外でも余程の悪事を働いた結果でしょう。犯罪歴があるインチキ仏教者という点では、かつて対談した麻原彰晃と同類です。
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こういうことを言ってるのは広島だけというのがなんとも・・・
昔、朝まで生テレビの部落特集で広島から動員されたと思われる観客がギャーギャー騒いでうるさかったのを思い出しました。
最後は「被爆と部落という二重の差別を受けた者の気持ちがわかるか?」という決め台詞(?)をしたり顔で叫んでましたが。
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被害を受けた(?)ことを誇るような人種は社会運動標榜ゴロ。
しかも同和団体は賎民の血筋とは無関係ときている。
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