1月、筆者は部落解放同盟新潟県連合会による、新潟県立荒川高校に対する糾弾会に関連する文書公開を求めて新潟県教委を提訴したことをお伝えした。その最初の口頭弁論が3月21日午後2時に新潟地方裁判所で開かれる。筆者は原告として出廷予定である。
裁判所によれば、新潟県教委側は応訴した。しかし、以前の記事で掲載した筆者の訴状に対する答弁書はまだ届いていない。そのため、新潟県教委側の主張はまだ分かっていない。ただ、いずれにしても最初の答弁書に被告側の詳細な主張が書かれることは少なく、本格的な論戦は次々回以降ということになる。次の口頭弁論では、裁判官から原告被告双方に対して何らかの釈明が求められることが考えられる。
そして今回、裁判所側の対応で不可解な点があったのでお知らせしておく。
実は事前に裁判所から電話連絡があり、筆者が先に裁判所の書記官室に行き、裁判所職員と一緒に法廷に入ることが求められた。結論から言えば、筆者は裁判所のこの要請を拒否した。裁判所から再三求められたが、断固拒否である。その理由は次の通りだ。
実は全国部落調査事件の裁判で東京地裁や東京高裁から口頭弁論の度に同様の対応をされたが、これは完全に不当な扱いであったと感じた。解放同盟側が多数の原告や傍聴人を引き連れて法廷に入り、その後に示現舎側裁判所職員に連れられて入り、後で職員に誘導されて裏口から出るという対応をされた。
このことは、示現舎が逃げ回っているかのように印象付けるものだし、メディアや傍聴者は裁判所の正門前に集まっているので、示現舎がメディアの取材を受けられれず、一方的に解放同盟側の主張が垂れ流しにされる状態になった。
また、このような対応をする裁判所側の理由説明も納得出来るものではなかった。
裁判所は、最初は警備上の理由と説明していた。後で、多数の傍聴人が来ることが予想されるから、人の流れの整理のためと理由が変わった。しかし、傍聴人が多数来るのなら傍聴券を発行して中に入る人数を制限すればいいのではないかと言うと、傍聴券は配らないという。
多数の傍聴人が来ると予想しながら、傍聴券を配らないのはおかしいのではないかと言うと、それには答えずに、裁判所の廊下等に人が溢れて混乱することを心配しているという。しかし、廊下であろうと裁判所の建物内なのだから裁判所側が入ってくる人を規制出来るはずである。繰り返しになるが、そこまで混乱を予想しておきながら傍聴券を発行しないのはおかしい。
「新潟県教委側の代理人にも同じことをお願いするし、他の裁判でも裁判所が同様の対応をすることがあるので、不公平な扱いではない」と裁判所は取ってつけたような反論をしたが、そのことは前の疑問の答えになっていない。
ぶっちゃけ「裁判所にとって解放同盟が怖い」等、別の理由があるのではないかと聞いても、答えない。また、裁判所の言う事を聞かずに直接法廷に向かったら入廷を拒否されるのかと聞くと、そのようなことはないという。
そもそも今回の裁判は、筆者VS新潟県教委の裁判であって、外野の誰が押しかけようが関係ないことである。裁判所には、通常の裁判と同じような対応をするように「通告」しておいた。
政治にしても行政にしても「同和」に対して異常な扱いをし過ぎる。司法までもそのような対応をするなら、とても公正な裁判が行われるとは思えない。このようなことでは、新潟地裁も解放同盟に言いなりになった新潟県教委の側と見ざるを得ない。
差別解消を言うのであれば、まず、いたずらに同和を恐れないということを裁判所に実践してもらうことにする。