学術・研究:部落探訪(235) 長野県 佐久市 瀬戸 西耕地坂上

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

佐久市瀬戸に小さな白山神社が残る部落がある。戦前の記録ではわずか9戸の部落ではあるが、水平社が結成された。水平社同人として高橋市次郎、高橋豊一という名前挙げられる。

そして特筆すべきは、宗教法人GLA創立者の高橋信次の出身地であるということだ。

見た目は何の変哲もない農村。特に同和施設があるわけでもなく、おそらく同和地区指定はされていないと考えられる。
高橋信次は戦後に復員した後、大学で学び直し、電子技術者となった。部落には彼が設立した会社が今も残っていた。

しかし、今回訪れたときには閑散としていた。

実は2016年にもこの場所を訪れている。当時、この「高電工業株式会社」は操業しており、授業員が出入りするのも見えた。調べてみると2019年に市内の別の場所に移転し、今年の4月には「長野コーデン株式会社」に社名変更していた。代表的製品として蛍光灯用インバーターが紹介されている。

長野県の部落は高橋姓が多い。ここも表札は全て高橋。最大部落である小諸市加増に高橋が多く、この部落も加増から派生したということだ。

そして、長野県の部落も白山神社があることが多い。部落の起源が長吏であり、弾左衛門と関係があったのだろう。ただ、この白山神社はしめ縄が傷んでおり、蜘蛛の巣が張っていた。

これが2016年に撮影したもの。一応しめ縄は交換されているように見える。

中を除くと、氏子の名前が例外なく高橋であることが分かる。

中を撮影した。

これが2016年の撮影。

この石柱には弘法大師、観音菩薩の文字が見える。白山信仰はもともと神仏習合のものだが、長野県の白山神社は特に神仏習合の色合いが残っているそうだ。

この白山神社の周辺のごく小さな一角が部落である。

周囲の地形は特徴的だ。崖があるのだが、その上は馬の背のようになっていて、すぐ反対側にも崖がある。

崖の上に墓地がある。

真夏で日差しは強かったが、風が涼しかった。やはり信州の部落を探訪するなら夏がよいだろう。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(235) 長野県 佐久市 瀬戸 西耕地坂上」への7件のフィードバック

  1. 神仏習合

    >>長野県の白山神社は特に神仏習合の色合いが残っているそうだ。
    同行者の方の話なんでしょうが、何を根拠としてそう言っているのでしょうか?
    大体の所で神宮寺が併設されて残っているとかなら分かりますが、ご神体に権現
    と書かれたものがあるとか、境内地に仏教系の石塔が見られるぐらいではそもそも
    神仏習合なので当たり前では?

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      同行者のコメントです。同行者は何千箇所も全国の神社を巡っているそうです。
      その上での主観ということでしょう。

      返信
    1. 佐久市中央隣保館

      市全体の人権施策として市役所近くに設置したもので、特定の部落の為ではないでしょうね。

      返信
      1. >佐久市中央隣保館

        調べてみたら、臼田人権文化センターを兼務しているとのこと。

        返信
  2. >>長野県の部落は高橋姓が多い。
    信濃国 四条高橋□作又太郎 貫平… 右醍醐天皇御宣旨ニテ従坂本御所ニ御年貢為催促ト国々仕被下者ナリ

    返信

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