住所氏名公開は「ゴミ屋敷」の抑止になるか!?

三品純 By 三品純

全国各地で「ゴミ屋敷」が出現して地域住民、自治体を悩ませている。「ゴミ屋敷」と言っても正式な定義はない。一般的には廃家電、くず鉄、廃材、古家具、家庭ゴミなどを溜め込んだ家屋というイメージだろうか。もちろん不快感は言うに及ばず。単に景観の問題だけではなく悪臭、ネズミ・害虫などの原因にもなる。従来は自治体も手をこまねいてきたが、周辺住民の抗議や要請もあり条例を制定した上で、行政代執行で処理するケースも増えてきた。

そんな中で神奈川県横須賀市は再三の指導にも関わらず対処しなかったゴミ屋敷の家主の氏名(江澤美樹)と住所(横須賀市船越町3丁目27)を8月10日、HP上で公開しその上で8月28日、行政代執行でゴミを撤去した。しかしわずかのうちに再び家屋にゴミが集まり、以前と同等のゴミ屋敷が復活してしまった。要するに住所氏名という個人情報の公開は効果がなかったわけだ。

もちろん横須賀市の踏み込んだ取り組みは評価できるが、結局、本質的な解決には至ってはいない。だからこそ我々、一般住民も行政も「ゴミ屋敷問題」をタブー視せず我がこととして解決方法を模索しなければならない。

個人情報、ゴミ屋敷問題を同時に考える稀有な例

さて横須賀市のゴミ屋敷処理に投じられた費用は19万円。SNSなどの意見を見ると「19万円でゴミを片付けてくれるならありがたい」という声もあった。家主の情報は代執行で処分された後、氏名と番地部分を黒塗りにして現在も横須賀市のHPで閲覧できる。とは言えすでにまとめサイトなどで公開当時の情報がアップされているので黒塗りはほとんど意味をなさない。「横須賀市 ゴミ屋敷」などとググれば誰でも住民を特定できる。そんな状況だ。弊誌もゴミ屋敷問題には関心を寄せており過去、名古屋市の例を取り上げたことがある

ゴミ屋敷の家主は野積みされたゴミを時に「財産」「リサイクル業」あるいは「アート」などと強弁するものだ。先に挙げた名古屋市の家主の場合はリサイクル業と訴えてきた。つまり主人にとってゴミは財産というわけだ。自治体の対応がこれまで後手に回ってきたのも「財産権」を意識してのことだろう。そしてそれ以上に自治体や近隣住民を困らせてきたのはゴミ屋敷主のパーソナリティである。

往々にしてゴミ屋敷の家主は心に「闇」を抱えているものだ。精神的に何らかの問題があるのは言うまでもない。またはある程度の社会性や対話能力を保ちつつも、ゴミ屋敷が形成される前から地域または家族からも鼻つまみ者という場合もある。だから扱いが難しい。経済状況も多様だ。名古屋市の場合はもともと資産家だった。後にも話すが横須賀市のゴミ屋敷も家屋自体はとても立派だ。にも関わらず何がゴミ屋敷に走らせるのだろう。

精神医学分野ではゴミ屋敷当事者を「ためこみ癖」という用語で説明している。この場合、ゴミ屋敷は「収集」ではなく「溜める」という考え方だ。しかしこの分野の論文を見ると研究は途上段階であるのは否めない。サンプルを取るのもなかなか難しいだろう。あるいはゴミ屋敷に向かう原因を心理学者、社会学者に委ねればいかようにも分析するだろう。「社会の閉塞感」「コミュニティの崩壊」などもっともらしい理屈はいくらでも並べられる。しかしそんな分析はゴミ屋敷の異様な景観と悪臭の前に全く意味をなさない。医学的な研究が進めば改善方法も見つかるかもしれない。しかし現状は、登山家ジョージ・マロリーの名言「そこに山があるから」ではないが「なぜゴミ屋敷を作るのか」という疑問は「そこにゴミがあるから」という他ない。

加えて厄介な隣人の悪癖は何もゴミ屋敷に限らない。学生時代、早稲田大学のサークルと交遊があった時に面白いところがあると案内されたのが「早稲田の鳩御殿」である。早大付近の雑居ビル風の建物に無数の鳩が飼われ悪臭、糞害を生んだ。とても不気味な光景でこの周辺では有名スポットだった。これは当時、テレビでも取り上げられた記憶がある。犬や猫の杜撰な多頭飼いが問題になることもあるが、その鳩版というわけだ。なんでもその後、不審火によって鳩御殿は焼失したとも聞いた。

ゴミ屋敷もそうだがこうした家屋の場合、火災のリスクもある。それにゴミ問題に限らず多頭飼いも深刻だ。しかも多頭飼いになると今度は動物愛護法も関わってくる。ゴミ処理は撤去して解体、焼却処分ができるが動物はそういうわけにもいかない。ゴミ屋敷、多頭飼いは一見異なる現象ではあるが、その根底部分は共通する問題もあるのではないか。ゴミや動物というのは表層部分に過ぎず、当事者のメンタルをどう改善するのかが重要だろう。

一方、横須賀市のケースで注目したいのは住所氏名という個人情報の公開に踏み切ったことである。「個人情報保護」これもまた弊誌が取り組んでいるテーマ。というのも個人情報という概念自体が「差別」「人権侵害」と同等に重い「パワーワード」になっているからだ。要するにこの言葉を持ち出せば相手が黙る性質を持つ。

こんな例を挙げよう。大垣市の同和問題を取材していた頃のこと。同和地区住民を対象にした住宅貸付金制度があり、大垣市外のとある住民が対象者になっていた。重大な違反行為だ。しかもこの住民は解放同盟岐阜県連幹部の知人。そこでその住民に対する貸付金の通知書を入手した上で、大垣市人権擁護推進室に問うたことがある。現物の通知書を見せると、完全に沈黙した当時の推進室長。「うーん」と腕を組むだけだ。すると突然、何を思ったか「通知書は親展だ。個人情報の流出だから違反だ」と言い出した。だからどうぞ、と。告発するなりなんなりしてください、個人情報保護法のどの部分に抵触しますか? そんな風に言ってみた。再び沈黙した室長。ここで面白かったのはこの室長が「個人情報」を持ち出せばこの局面を切り抜けられると思ったことだ。森友学園で黒塗り文書が話題になったが、そもそも行政文書はそうした性質のものでここに個人情報が絡めばさらに「黒塗り」が増える。つまり個人情報とは行政にとって一種の免罪符と化した。

困ったことに本来はこうした行政の姿勢を市民側が問うべきなのに、市民自体が「個人情報」に対して異常にナーバスになっている。いや行政以上に一般人の対応の方が異常とすら思う。

とあるスポーツジムで見かけた光景だ。「スミスマシン」という器具がある。人気があり利用者も多い。だから利用時間に制限を加えるためボードが用意される。例えば「17時~17時20分 三品」という具合で予約をしておく。ある利用者が予約を忘れたせいか時間が来てもマシンに来ない。トレーナーがボードの名前を呼び出すと「個人情報だろ」と激怒する始末。そんな利用者がいた。これなども過剰な個人情報保護の産物と言えるかもしれない。

ところがこれだけ個人情報にナーバスなご時世にも関わらずSNSなどを見ると子供の入学式、運動会、誕生日会、七五三などの行事の写真が堂々と公開されている。あるいは中高生にありがちな「交際宣言」でキスやハグ写真を投稿する。ある部分の個人情報には異常に反応しながら、一方でプライバシーが強い情報を堂々と公開する世相。プライバシー保護と自己顕示欲というまるで相反する概念が無秩序に入り乱れ一層、「個人情報」という定義が肥大化していく。

それから個人情報は「懲罰的」に扱われることも挙げておきたい。印象深いのは反差別運動家の久保田直己による「はすみリスト」だろう。SNS上で漫画家のはすみとしこのイラストに「いいね」をつけたユーザーの個人情報を収集しネット上で公開した騒動だ。彼女は『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』などの作品がある保守系のクリエーターで左派からは批判対象になる。久保田は個人情報を公開することが「懲罰」「制裁」「抑止」と考えたのは言うまでもない。確かにSNS上を見ると「お前の本名を晒す」とか、あるいは事件が起きると「容疑者の個人情報を晒せ」といった投稿が目立つ。いずれにしても氏名などの情報を公開することは「懲罰」「制裁」あるいは「抑止」と考えているようだ。とは言えはすみリスト問題が起きた後も彼女のイラストに「いいね」をつけるユーザーは存在する。懲罰にも抑止にもならかったようだ。

こうした実態を踏まえた上で横須賀市のゴミ屋敷の話に戻ろう。繰り返すが横須賀市が江澤の住所氏名を公開したことを批判するつもりは毛頭ない。ただ興味があるのは公開に踏み切ったまでのプロセスだ。そこで今回の行政代執行の担当部署である横須賀市福祉部福祉総務課を直撃取材した。

同課担当者によるとゴミ屋敷は3年前から深刻化し、行政代執行に踏み切る前に100回も指導してきたという。そしてこう説明した。

「本市もゴミ屋敷問題の対応が遅れたのは否めません。このため『横須賀市不良な生活環境の解消及び発生の防止を図るための条例』を4月1日から施行し、同条例に基づいて住所氏名の公表をしました。公開によって抑止効果や懲罰を狙ったというよりはあくまで近隣住民に対する周知という目的がありました。もちろん結果的に抑止という点で効果はなかったかもしれませんが、ゴミ屋敷に取り組むという姿勢を示せたと思います」

今回の公表は同条例の第11条「市長は、前条第1項の規定による命令を受けた者(以下「義務者」という。)が、正当な理由なくその命令に係る措置をとらなかったときは、次に掲げる事項を公表することができる」に基づいたものだ。対象の項目を見るとこうある。

(1) 命令に従わない者の住所及び氏名(2) 命令の対象である建築物等の所在地(3) 不良な生活環境の内容(4) 命令の内容(5)その他市長が必要と認める事項

同課は住所氏名の公開を「懲罰」ではないと強調するが、しかし条例の趣旨としては懲罰的な意味合いも込められたに違いない。ところでこのご時世、住所氏名を公開したことは住民から反発はなかったものか?

「もちろん抗議の意見はありました。もし条例がなければ住所氏名の公開は難しかったと思います」

また質問も尽きかけた頃、同課の古谷久乃課長も加わって補足をしてくれた。今回の横須賀市のゴミ屋敷問題は『ビートたけしのTVタックル』(10月14日放送)の「危険空き家が倒壊寸前!?&迷惑ゴミ屋敷問題ど~する?行政代執行の大問題SP」でも扱われた。古谷課長は同番組のインタビューに応じていた。

「企業名の名称を公開する場合はペナルティーの面がありますが、今回の個人名は見せしめというわけではなくあくまで近隣住民への周知が目的です」(古谷課長)と補足した。結果的に住所氏名公開は意味をなさなかったが、同課の説明通りゴミ屋敷に対して不安を抱く住民に対して「横須賀市は放置しない」というスタンスを示せたことは意義深いと思った。「個人情報」「財産権」を持ち出されたら後手に回りがちな従来の行政としては異例の措置だったからだ。

住民を直撃! ゴミ屋敷は元通りになっていた

横須賀市の姿勢は分かったが、かと言ってゴミ屋敷は復活したという事実が残る。そこでゴミ屋敷の主への取材を試みた。

県道からの風景。右隅にゴミの一部が見える。

ゴミ屋敷は横須賀市と逗子市の境目付近、神奈川県道24号沿いのやや小高い場所にある。もう県道から一目で分かった。家にたどり着く前からすでにゴミが見える。玄関前はゴミで埋まり、周辺にもゴミが並んでいる。この玄関から家に出入りしているとは思えない。本人は家の前にいた。高齢者である。おそらく髪を洗っていないのだろう。まるでドレッドヘアのように髪が絡まっていた。背中を向け、何やら作業をしている。それにしても代執行からわずかの間でどこからこれだけのゴミを拾ってくるのか不思議だ。

これでも以前よりはゴミが少ないそうだ。

「江澤さんちょっとお話を聞きたいんですが」

こう問いかけてみる。無言。全く返事がない。というよりも「生気」を感じない。実はこれまで別の取材でもその対象者が「ゴミ屋敷」とまではいかないが、それに準じるような家主がいた。しかしゴミを話題にすると怒鳴り出す、あるいは独自の人生観を語り出すというパターンもあった。ところが江澤は完全に無反応だ。

本人に声をかけるが全く反応がない。

「江澤さん、住所氏名が公表されたことについてお聞きしたいのですが」

トントンと肩をたたき呼びかけてみるが全く相手にしてもらえない。こちらに気づいていないのか、お互い異空間にいるのかと思うほど。衣服からは強烈な臭いが発される。市民運動の集会では時折、加齢集と尿の乾いた香りが漂うこともあるが、そんなものとは次元が違う。むしろ新宿駅のガード下の臭いだ。

ゴミだらけのワーゲン。まだ走れそうな状態だった。

それにしても自宅を見回すと実は立派な家である。しかもフォルクスワーゲンを所有しているではないか。決して古い型ではない。だが車の中もゴミだらけ。なぜかホイール部分にビニールなどのゴミが埋め込まれている。彼にとっては何か意味がある行為なのだろう。ゴミは無造作に積み込まれているが、しかしビニールゴミは一定の形でまとめられている。混沌とはしているが主にとっては何らかのルールがあるようだ。

主に生活ゴミが多かった。やたらビニールが多い。

とにかく背を向け全く他人とは関わらないといった様子で、「疎外」「孤立」「孤独」というレベルではない。しばらくすると奥に引き込み別の作業をし始めた。絶対に顔を見せず背中を向けていたからこちらの存在自体は気づいているに違いない。ゴミ屋敷主人はたまに雄弁な人もいるが、彼は全く違っており、心を閉ざしていた。失礼だが明らかに「正常ではない」ことは見て取れた。

家主は奥に行って別の作業を始めてしまった。

家主はこんな状況だ。住所氏名を公表されたところで眼中にない話だろう。何も感じてないはずだ。例えば「匿名で姜尚中を中傷していたネットユーザーの住所氏名が公開された」逆もありで「匿名で杉田水脈を脅迫したネットユーザーの住所氏名が公開された」こんな場合の投稿者のダメージは計り知れない。ネットユーザーが匿名にこだわるのも自由に発言できる安全地帯を確保したいのだろう。だから実名公開に恐怖するのも当然のことだ。この手のユーザーにとってみれば「住所氏名の公開」は凄まじいペナルティーに違いない。しかしこの江澤という人物にとって「住所氏名」の公開は少なくとも「懲罰」の意味は全くなかった。あくまで行政の本気度を示すという域を出ない。

結局、ゴミ屋敷は今も残り、江澤の生活状況も改善されていない。また全国の自治体でゴミ屋敷に対する取り組みが続くが、今後もゴミ屋敷は必ずどこかで生まれるだろう。ゴミ屋敷→代執行→元通りといういたちごっこも起こりえる。ならばどうすればいいのか。

もう政治家や学者が言うような「行政サービスの向上」といった甘いスローガンは無力である。だからもっと現実的で即効性がある対処が必要だ。そもそも横須賀市に限らず代執行前から自治体職員らが訪問して指導するものだ。ならばその都度、ゴミの回収、あるいは清掃の補助をすればいいのではないか。あるいは職員研修、新人研修の一つとして訪問に同行させ、一緒に清掃する。これは自治体職員にとって良い経験になるはず。というのも「市民」と言っても、意味不明な抗議をしに役所を押しかける者、突如怒鳴り出す者、そんな光景は何度も見てきた。この類の市民にとって「役所」は最後のはけ口でもある。

以前、関西地方の役所を訪れた時のこと。窓口で何やら恨み言を叫ぶ者がいる。ひたすら怒鳴っている。絶叫も尽きかけた頃、ベテランの女性職員がやってきて「今日はこの辺にしとこか」と諫め追い返した。正直、上手いなあと感心したものだ。こういう対応は教えられてできるものではない。多くの住民と接する中で体得するものだろう。

自治体職員にとってこのような面倒な住民との接触は拒否できない。この辺りのストレスとご苦労はよく分かるが自治体職員という職業の性質上、仕方がないことだ。だからゴミ屋敷訪問は、耐性をつけさせる意味で、特に新人職員には良い勉強になるのではないか。または「人権担当」の部署の職員はそんなに膨大な日常業務があるもの? ご承知の通り弊社はよくこの関係部署を訪れるが、失礼ながらさほど多忙にも見えない。こうしたゴミ屋敷の住民の支援の方がよほど「人権」の向上に役立つと思うが、どうだろう。そして少しずつコミュニケーションを図り距離を縮めて信頼関係を築く、と。もちろんこうした意見も「理想論」と言われたらそれまでだし、あるいはゴミ掃除を自治体に丸投げするためにわざと溜め込むーー。そんなモラルハザードの可能性もある。かと言ってゴミが溜まった挙句の代執行の繰り返しでは意味がない。定期訪問、定期回収、これがゴミ屋敷を解消する一番の近道ではないか。(文中敬称略)

住所氏名公開は「ゴミ屋敷」の抑止になるか!?」への12件のフィードバック

  1. .

    自動車のナンバープレートの写真にはモザイクをかけないと法に触れるのでしょうか?

    宮部さんだったらモザイクをかけないような気がします。

    返信
  2. M

    三品さんのルポは真の意味でのジャーナリズムを体現されていていつも面白く拝読させていただいております。朝日新聞が失ったジャーナリズムをいつも魅せていただいており感謝です。ブンヤは本来かくあるべきと思います。

    返信
  3. さつき

    公共の福祉という立場から、本人の意思にかかわらず
    一度、精神科に措置入院させる必要がありましょう。

    また、親族を探し、成年後見人を選定する必要もあると思います。

    返信
    1. 三品純三品純 投稿作成者

      名古屋市の主の場合は家庭内暴力を始めてご家族が
      別宅に避難していました。親族といっても難しい場合がありますよ。

      返信
    1. 三品純三品純 投稿作成者

      面白いお写真ありがとうございます。
      しかしこれってちょっと微妙なところですね。
      モノがそれなりに規則的に積まれているし。
      なんというか「予備軍」って感じじゃないですか。

      返信
    1. 三品純三品純 投稿作成者

      私は確かにゴミだけど集団で一人を取り囲んだり、ネットで悪態はつかないし
      自民党の作った法律にすがったりしませんしね。

      ところでアナタの過去の投稿を見ると深夜に書き込んでいますね。
      こういうことを深夜に考えるのは絶対にやめた方がいい。
      本当にメンタル病みますよ。老婆心ながら

      返信
  4. 斉藤ママ

    たぶん、ゴミがもったいない、という気持ちと、
    ゴミをどうしていいのかわからない認知の問題の、
    両方があるんだと思います。

    外車を所有しているのには驚きますね。
    買わされちゃったのかも。

    精神障害者が地域在住できる仕組みが行政にあるのですが、
    それを使わないのは、わざとやってんのかもですね。

    返信
    1. 斉藤ママ

      >そもそも横須賀市に限らず代執行前から自治体職員らが訪問して指導するものだ。
      >ならばその都度、ゴミの回収、あるいは清掃の補助をすればいいのではないか。

      精神障害者の行政サービスは、手帳を取得して、サービスを身内が申し込んで、
      行政が審査をして、という手続きがあり、それが出来ない人の事を考えていません。
      出来ない人がたくさんいて、衰弱して亡くなっていると思います。
      食事も出来亡くなる人がいますので。

      厚労省→関東厚生局→地方自治体 の順で福祉予算が渡されていきますが、
      その間で、少しずつ抜かれていき、
      福祉が必要な人の所に届くまでに、なくなっているんじゃないか、と思っています

      要望する人が少ないほど、自治体職員にとって都合がいいのです。
      だって、余ったらいろいろな所に回せますから。自分が作った会社、NPOなどにも。
      自治体職員は、生まれつきの障害者に対しても、厳しい発言しています。
      真の差別はこのことだと思いますね。

      返信

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