追跡! 部落地名総鑑(後編)

By 鳥取ループ

(前編からの続き)

部落地名総鑑の原典を追う

部落地名総鑑を手に入れる第3のアプローチは、「原典を見つける」ということである。

部落地名総鑑は全国のほぼ全ての部落の地名を網羅していたと言われる。しかも、地名だけでなく戸数や職業までもが書かれていたという。

そこまでの情報を集めるには、実地調査で全国の部落の場所を1つ1つ訪ねて、聞き込みすることが必要で、住民基本台帳の調査も必要だろう。昔は戸籍や住民基本台帳を簡単に閲覧出来たとは言え、そのような調査を民間人がおおっぴらにやれば非常に目立つはずだ。

そのため、政府、自治体、あるいは部落解放同盟を主とする部落解放運動団体の調査資料からまとめられたのではないかと当初から言われていた。ということは、何とかしてその資料を手にして、坪田氏がやったのと同じプロセスを踏めば、部落地名総鑑と同じものを手にすることが出来るのではないかというわけである。

1977年に部落解放同盟中央本部が作成した「「部落地名総鑑」「部落リスト」差別事件糾弾闘争の中間総括と今後の方向」には、部落地名総鑑の作成過程と内容が詳しく書かれている。

作成者の坪田氏は興信所を経営しており、「71年秋、「某所」より資料を入手し、図書館で新しい地名を探し原稿を作成した」とある。そして、坪田氏は1975年4月ごろから、部落地名総鑑を売り込むチラシを配布し、販売を行ったがあまり売れなかったという。

1975年11月17に部落解放同盟大阪府連で匿名の投書があり発覚。その後の経過は読者もご承知の通りである。

部落地名総鑑の大きさはB5版で601ページ。赤い表紙に「人事極秘」と書かれているだけである。「特殊部落地名総鑑」という表題は坪田氏が作成した売り込みチラシにかかれていたもので、部落地名総鑑自体には発行所、発行年月日も書かれていない。

売り込みチラシでは「5600部落」と銘打たれている一方、実際の掲載数は5360箇所だったようである。

「某所」というのは「終わっていない「部落地名総鑑」事件」(1995年 解放出版社)によれば、「労政問題研究所」のことで、坪田氏はここから部落地名一覧(おそらく「全国特殊部落リスト」のことと考えられる)を入手した。「図書館で新しい地名を探し原稿を作成した」というのは、手に入れた一覧の地名が古いものであったから、現在の地名を調べたということである。

労政問題研究所の部落地名一覧のもとになったのは何かというと、当時紳士録などを販売していた出版社である「朝日通信社」の社内にあったものを書き写したという。しかし、さらにその先について明言した文献は見つからない。

部落解放同盟は、元になった資料は1936年に中央融和事業協会が作成した「全国部落実態調査報告書」であると見ていた。政府も「もともとのネタは政府関係筋から出たものとしか思われない」との見解を示していたが、不思議なことに大元の資料は不明であるというのが、最終的な政府の見解である。

筆者は「全国部落実態調査報告書」という文献を探したが、同じ名前の資料は残念ながら見つからなかった。

一方、1975年12月18日の衆議員議事録を見ると、社会党の和田貞夫さだお議員(当時)が次のように語っている。

私、この「融和事業年鑑」の十五年版を見たわけなんですが、ここの資料と今度の地名総鑑の一部を比較しましたら、合っているところも合っていないところもある。ただ、私つけ加えておきますが、今度の地名総鑑を見てみますと、部落の世帯数の欄を見てみましたら、末尾は必ずゼロか五ですわ。部落によりましたら三百三十三世帯あるところもある。そういうようなものは、三百二十三世帯というように書かないで、三百三十五世帯とかあるいは三百二十世帯とか。だから、巧みに資料を入手してきて、その資料をどこから入手したということを包み隠すために、末尾を必ずゼロか五にしているのですよ。

もちろん筆者はこの「「融和事業年鑑」の十五年版」というのも探してみたが、融和事業年鑑の昭和十五年版には府県の統計があるのみで、個別の部落の一覧といったものはなかった。

また、1977年11月15日の衆議員議事録では社会党の矢山ややま有作ゆうさく議員(当時)が次のように語った。

政府がこれまで極秘扱いにしてきたと言われております「同和地区精密調査報告書」が、最近相次いで都内の古本屋に出回って、高値で販売をされております。東京都の同和対策部や部落解放同盟大阪府連によって現在五冊が回収されたと言われておるのでありますが、この経緯について総理府の長官からの詳細な説明を聞きたいと存じます。

当然、「同和地区精密調査報告書」も血眼になって探したところ、青山学院大学の図書館にあることが分かり、筆者は現物を目にしたのだが、残念ながらこれは全国の同和地区を網羅したものではなく、9箇所の同和地区を選んで「精密に調査」した報告書に過ぎなかった。

しかし、改めて融和事業年鑑の昭和十五年版を見ると、全国の部落数が5371と報告されていて、部落地名総鑑の掲載部落数に非常に近い。資料名は分からないが、ともかくこの時期に行われた調査資料が部落地名総鑑の元になったと見て間違いなさそうだ。

ついに原典にたどり着く

筆者は長きにわたり、同時期の調査資料を探し歩いた。しかし、前述のとおり見つかったのはごく一部の調査資料だったり、単なる統計表に過ぎないものだったりした。ただ、その課程で特定の府県の同和地区一覧表が見つかることもあり、同和地区Wikiのパズルのピースは埋まっていった。

ちなみに、解放同盟や政府関係者の間で話題になっている、同和地区Wiki内のインターネット版部落地名総鑑というページがある。この地名一覧は、筆者と同じアイデアを持った人が、部落解放運動、同和対策、部落史の資料を地道に調べて、気になった地名を書き留めたものである。よって、必ずしも同和地区ではなく、参考程度に考えた方が良い。

さて、2015年末、ふとした偶然から「某所」で1936年に作成された融和事業に関する調査資料を発見した。どうせまた統計表か何かだろうと、あまり期待しないで資料を開いてみると、驚いたことに、内容は全国の部落を網羅した表であった。

資料の正式な名称は「昭和十一年三月刊 全國部落調査[秘]財團ざいだん法人中央融和事業協會」。昔の官公庁で見かける薄い紙に謄写版とうしゃばんで印刷されたもので、本文が336ページ。巻頭と巻末に書かれた序文や統計表等は活字だが、部落一覧はおせじにも上手いとは言えない字で手書きした原版を印刷したものである。

巻頭に掲載された統計表によれば、掲載部落数は5367部落で、ちゃんと世帯数、人口、職業、さらに生活程度まで1部落ごとに書かれている。一目見ただけで、これが部落地名総鑑の原典に間違いないと確信させるものだった。

さらに、これが間違いないことを裏付けるのは、部落解放同盟であった小林健治けんじ氏のブログにあるこの記述だ。

「そもそも「部落地名総鑑」は、戦前の内務省傘下の中央融和事業協会が作成した手書きの「全国部落調査」など、行政対策の必要性から作られたものや、戦後、部落問題の担当部局を持っていた厚生省が、全国の被差別部落の実態を調査して作成したものなどが原典になっている」

手書きであることなど、筆者が発見した資料と一致する。

また、この資料が手書きであることが、発見が難しかった理由と考えられる。活字であればOCRにより文字として認識されるため、グーグルブックスによる内容の検索が可能になる。実際、適当な部落名でグーグルブックスで検索してヒットする書籍から、さらに多くの部落の名前が内容に含まれる書籍を探し、特定の府県の部落一覧表が掲載された書籍を見つけたこともある。

全国部落調査は約80年前の資料なのでとっくに著作権の保護期限を過ぎており、グーグルブックスに取り込まれる可能性は十分にあったはずなのだが、手書きのためOCRによる認識ができないこと、また紙質が特殊だったので取り込まれなかったのではないかと考えられる。

もう1つの裏付けとなる資料は、「同和地区地名総覧 全国版」という本で、これは部落地名総鑑に便乗して、同時期に丸写しされて売られたのではないかと思われるものだ。

この本は、目次と序文だけを、堺市にある舳松へのまつ人権歴史館で見ることが出来るのだが、掲載都府県が全国部落調査と一致している。特に、戦後の同和対策事業の対象地域がないはずの東京都、富山県、秋田県、福島県、石川県が目次に入っているということは、「同和地区地名総覧 全国版」が少なくとも戦後の同和対策に関する資料をもとにしたものではないことを示している。

「同和地区地名総覧 全国版」の目次

「同和地区地名総覧 全国版」の目次

全国部落調査から何が分かるか?

これは筆者の想像であるが、部落地名総鑑の原典は「分からなかった」のではなく、「分からないことにした」のではないかと思う。この全国部落調査は様々な部落問題の研究書で引用されており、政府や部落解放同盟の関係者であれば容易に見ることができたはずである。分からないということは、あり得ないことだ。

おそらく、部落地名総鑑のもとになったのが戦前の融和事業の資料だったということが明るみにされると、同様の資料を集めてまた部落地名総鑑を作成する者が現れるか、さもなければ融和事業の資料自体がやり玉に挙げられて、各地の図書館で廃棄あるいは利用制限をせざるを得なくなったり、古書店等からの発掘も難しくなったりすることから、部落史研究や同和対策事業の拡大に支障が出ることを恐れたのではないだろうか。また、当時は「同和対策事業が行われるまでは、部落は放置され続けた」という建前があり、戦前の融和事業について詳しく語ることは半ばタブーだったこともあるだろう。

しかし、これが部落研究において非常に重要な資料であることは間違いない。

戦後、同和事業の対象とならず、被差別部落であることも忘れ去られたような部落も多数掲載されているため、そのような部落と今でも「差別がある」と主張される部落との違いは何なのか、実際に現地に行って研究することが出来る。

また、主な職業を見ると、部落の職業も地域によって様々であり、部落の産業と言えば食肉や皮革ということが、単なる偏見であることが分かる。

さらに、現在地を調べて国勢調査の小地域別集計と組み合わせれば、「同和地区実態調査」に近いこともできるだろう。

しかし、そのためには、全国部落調査の電子化と現在地の特定が望まれるところである。

既に電子化は終えており、目下同和地区Wikiでは、現在地の特定作業が進行中である。誰でも編集可能なので、我こそはという読者は、是非作業に参加して頂きたい。

同和地区の情報を政府や一部の運動団体が独占する状況を崩すことで、新たな世界が拓けるはずだ。

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追跡! 部落地名総鑑(後編)」への5件のフィードバック

  1. .

    解同の権力は、一つには被差別部落の情報を彼らが独占しているところから生じているのですね。だから被差別部落の地名を載せた出版社や新聞社を糾弾して屈服させると同時に、解同自身は『解放新聞』等を通じて被差別部落の場所(さらには住民の実名や顔写真まで)を堂々と公表するという矛盾した行為がまかり通ってきたわけです。

    「同和地区wiki」はそのようなおかしな状況に風穴を開ける試みとして面白いと思います。被差別部落の情報が社会に共有されれば「おまえムラの地名を暴いたやろゴルァ。それは差別やゴルァ。落とし前に同企連に入れやゴルァ。同和研修の教材を買えや、有料の人権啓発講演もさせろやゴルァ」といういつものビジネスが成立しなくなりますから。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      風穴を開けられればよいですが、「同和地区Wiki」の存在を何とかして無視するでしょうね。
      白々しく土地差別だの部落地名総鑑だの変わらずやり続けそうな気がします。
      1つ変わったとすれば「インターネットに部落地名総鑑が流出」というニュースはもうなくなるでしょうね。

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  2. 左翼穢多部落民忌避者

    鳥取ループが騒ごうが暴こうが関係無い。
    穢多の子は穢多と言う概念がある限り一般人が部落民と婚姻する事は無理。
    穢多部落民と天皇が婚姻したところで天皇の権威、聖性、霊性が消滅し、天皇
    が穢多になり皇統譜が消滅それで終わり。天皇にして、この結末が現実的可能性
    が高い結末、ましてや財力、権力無き一般人が穢多部落民と婚姻は無理。

    解同自身が左翼のふりしてるが実は極右かな?松本、朝田は大陸、満州侵略で部落差別
    解消と言っていたが、その時どきで発言変えている。が、一貫して権力と金を追い求めて
    徘徊は共通しており、本質は暴力、いや殺人も厭わない凶悪なルンペンプロレタリアート。

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  3. シャネル時計 並行輸入 意味

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