長らく報じてきた「津市相生町自治会長事件」。当の田邊哲司氏は裁判で起訴事実を認めたものの、『津市役所の闇 津市自治会問題』(田邊哲司、三重タイムズ編集部)で反論を試みている。本書は先般の津市議選(投開票1月23日)を想定し出版された。著書で市をけん制というのが専らの見方だが、同市議選でも田邊氏が特定候補に“ 行動”していた。しかもその尖兵役になったのは昨年、ずさんな政務活動費が発覚した福田慶一市議。当サイトでも田邊氏側近議員として指摘した人物だ。なるほど確かに田邊一派によって根強い“津市役所の闇 ”があった。
脱自治会長事件が進む津市議会
覚えているだろうか。
「この手のニュースはその背景のことを詳しく言えないニュースっていうのがある」
昨年3月9日、『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系、3月26日放送終了)が同事件を報じた際、キャスター・小倉智昭氏が漏らした感想である。視聴者からも小倉発言について疑問を呈された。「この手のニュース」が意味するところを小倉氏に説明を求めても沈黙するだろう。
「同和行政」が背景にあることは明白だ。普段、政府要人に対して時には「人格否定」のような勇ましい口撃をするマスコミ関係者が一介の自治会長に臆する。マスメディアの本質と底の浅さが鮮明だ。
事件に正面から向き合えなかったマスコミ。一方、市議会も自治会長事件について“ 幕引き”したい態度が透けて見えた。話は昨年12月22日、津市議会定例会に遡る。
本会で田邊氏の著書についての緊急質問が提起されたが否決。緊急質問に反対した市議によれば「かえって宣伝効果になる」との理由も確かに一理。だがすでに次期市議選で勇退を決めていた加藤美江子議長、藤本智子副議長も緊急質問について難色を示したという。
両氏は田邊氏から最も敵視された議員である。このため「もう懲り懲り」という心境は理解できるが、市議会全体に“厭戦ムード ”があるのも否めない。
しかし一方で自治会長事件の余波が漏れ伝わってくる。
同時期には旧相生町自治会会計役と田邊氏と関係が深い元職員が「環境パトロール」について事情聴取を受けていたという。環境パトロールはごみ収集所から有価物の持ち去りを監視するため津市が相生町自治会に見回り業務を委託した。年間約1千万円の予算が同自治会に支給されたが事実上、田邊氏の個人事業というのが実態である。
水面下の動きは自治会長事件が継続中である証左。と当時に田邊氏に対する恐怖心と警戒心は根強く残っている。
田邊氏出馬!? そして狙われた新人議員
田邊氏が市議選に意欲—――。
新年早々に奇怪な情報が寄せられた。実際に市議選候補者の事前審査に田邊氏も参加していた。審査を受けた44陣営中、新人一陣営というのが田邊氏である。もっとも「本気ではないと思います。おそらく市役所へのけん制のつもりでしょう」(市関係者)という推測もあり、個人的にも“かまってくれ ”程度だと考えていた。しかし地元住民、関係者には緊張感が走る。
先の裁判後、一応の区切りはついたはずだったが
「今も市職員や市議に内通者がいる」
という不安は市職員、市議、住民からも聞いていた。
「あの本(津市役所の闇)で側近職員たちが実名で攻撃されているのに、荒木忠徳前総務部長だけは全く言及されてないんですよ。ポチと呼ばれた田矢修介市議ですら辛辣な書かれ方でした。他にも批判されて当然の職員はいるはずなのに」(同前)
つまり“ 暴露本”も関係人物に温度差があるというわけだ。
自治会長事件で名が挙がった幹部、管理職は少なくない。庁内における事件の浸透度は高い。県警出身の小松雅和津市危機管理部長が副市長に就任したが、この人事は「反社対応」との見方があった。しかし実際は「自治会長事件と無関係だから」(市議)というのが現実という。悲しいかな「関与していない幹部」を見つけるのが難しい。事件の浸透度との意味が理解してもらえるだろう。
「誰が敵か味方が分からない」
とは事件渦中の時の市職員の証言。
おそらく現在も少なからず庁内の疑心暗鬼は刻まされている。他でもない職員らが痛感していることだろう。こうした背景から住民や市職員が市議選審査を不安視しても無理はない。その後、立候補は見送り。
動向は気になるが、田邊氏もあからさまな行動は慎むだろうと考えていた。
しかし見通しは甘かった。むしろ今回の市議選での振る舞いは“田邊リターンズ ”というに相応しい。ターゲットは日本維新の会公認の新人候補、佐藤チコ現市議に向けられた。
「佐藤候補の陣営に田邊氏が加わった」
こんな情報が寄せられた。当初、佐藤氏と田邊氏が協力関係にあるかのようなニュアンスで伝わったが、取材してみると事情は異なった。
市関係者の話。
「佐藤氏は最初に刷ったパンフレットに“自治会長事件 ”を問題視した文言を入れていたのです。これが田邊氏の怒りを買ったのです。そこで陣営に押しかけ応援に見せたプレッシャーをかけてきました」
告示日前、佐藤氏に事情を聞いてみると
「確かに自治会長事件を掲載しました。その後、選挙カーにグレーの車が追跡してきたり、無言電話がかかってきたのです」
大きな反響があった事件だ。また行政内部の癒着や職務倫理に関わる問題だから新人候補が自治会長事件に言及しても不思議ではない。なにしろ維新は曲がりなりにも「改革」を党是とする。むしろ自然なこと。そこで追跡、無言電話とは不穏な雰囲気だ。しかし当時はまだそこまで切迫した様子を感じなかった。なにより田邊氏の得意フレーズ「法治国家」の根源たる選挙である。そこで執行猶予中の同氏が妨害するというのはさすがにありえない、と考えた。また
「維新という組織もあるし、滅多なことにはならないでしょう」(市議)
という指摘も頷けた。だが今にして思えば「維新だから危うい」という理屈も成り立つ。注視すべきだったと後悔している。
事態は佐藤氏が語った以上に「壮絶」な現場だった。
取材に応じた佐藤陣営関係者はこう明かす。
「実は1月初旬に佐藤は田邊氏、交際相手の中川美佐氏と面会していたんです。維新有力者が“ 一票でも大事だから挨拶しておいた方がいい”と引き合わせました」
先の衆院選で議席を伸ばし勢いがある日本維新の会。佐藤氏の立候補もその余波を受けたものだ。現在の維新ブランドがあれば当選の可能性は高い。にも関わらず田邊氏とつなげる必然性があったのか不思議だ。もちろん彼にも「公民権」はあるわけだが、全国的に報じられた自治会長事件の当事者が陣営にいる――。その引き換えが「1票」。得か損かは各々の判断にお任せしたい。ただ個人的には“マイナス1000票 ”としか思えない。
「中川美佐氏と維新有力者の方が旧知の仲でその縁から面会が実現したんですよ。田邊氏からは“市役所に騙された ”とか“ フードバンクで子供たちに食事を提供してきた”という話がありました」(同前)
田邊氏は非常に雄弁だ。佐藤市議が「善人」または「冤罪」と錯覚したのはありえる。その後、新しいリーフレットからは「自治会長事件」の文字が消えたが、この点は田邊氏の影響ではなく政党の方針だったという。
田邊‐中川コンビと面識を持った佐藤市議。もちろん「挨拶」だけでは済まなかった。
「プライドを傷つけられた」中川を通じて謝罪要求
迎えた告示日の1月16日。佐藤氏の街宣が始まったのだが、そこでトラブルが起きた。先の陣営関係者の証言はまさに“田邊リターンズ ”である。
「一応、維新関係者から田邊氏に“関わらないでほしい ”とお願いしていたんですが…案の定、面倒なことになったんですよ」
選挙カーで市内を街宣中に、とある交差点で公明党候補の選挙カーと遭遇した。候補同士がすれ違う時、「エール交換」をするのが選挙活動のマナーである。
「そこで佐藤は例にならって公明党候補の方に“ 健闘をお祈りします”とエールを送ったんですね。これに田邊氏が激怒しました」(同)
筋違いどころか「意味不明」に尽きる。事情を知らない人は「理解不能」だろう。自治会長事件に関する百条委員会でも公明党は青山昇武市議を中心に鋭く追及した。公明党会派は自治会長事件追及の急先鋒。無論、田邊氏が敵視するのはいうまでもない。
その夜のことである。
「中川美佐氏が佐藤陣営に“あの人(田邊氏)がプライドを傷つけられたと怒っているから夫婦で謝罪に来てほしい ”といってきました。佐藤夫妻は拒否。引き合わせた維新有力者も中川氏に抗議したそうですが…」(同)
プライド。田邊氏がよく口にする。また「中川氏を通じて」というのも田邊氏らしい。早い話が“ オレは直接関与していない”という意味だ。一連の事件でも使われた手法である。田邊‐中川両氏に接触した時点で大失策だが、「謝罪を拒否」というのは候補者としての最後の“ 操”を守った格好だ。
「現職市議を紹介したろか」そして出てきた福田市議
佐藤氏に対しては同情する声もある一方で「脇が甘い」との指摘も当然だ。
「佐藤氏は結城神社(津市藤方)付近、上浜町の中古車センター付近の2か所に田邊氏の仲介で看板を設置したんです。これはさすがにまずい。誰か“遠慮しろ ”と助言できる人はいなかったのでしょうか」(市関係者)
もちろんこの“口利き ”にも裏がある。
「田邊氏は看板設置場所のお宅に御礼として肉を持っていくか、紹介してくれた人(田邊氏)に金を持っていくのが筋やろというのです。佐藤が拒否したのは不幸中の幸いでしたね」(佐藤陣営)
もし妥協して要求に応じたら、選挙違反に問われた可能性がある。過酷な選挙戦は続く。
「ほぼ連日、朝から田邊氏から長電話されるのです。どんな内容? 選挙のアドバイスのようなことです」(同)
また選挙事務所にも田邊‐中川コンビが“ 来襲”したことも。
「選挙ビラはもっと刷らないとだめだ、化粧はこうした方がいい、といろいろアドバイスめいたことをいうのです。応援どころか“ 威嚇”でしょう」(陣営関係者)
災難は続く。田邊派といわれたあの津市議がたたみかけるように登場だ。
「現職市議からもアドバイスを受けた方がいい。紹介するといわれたのが福田慶一市議でした。福田市議は“看板設置の件は失礼だから夫婦で謝罪した方がいい ”とか“看板設置は御礼をするものだ ”というのです。もちろん御礼とは“ありがとうございました”ではありません。金銭の意味でしょうね」(同前)
福田慶一市議の名を覚えているだろうか。福田市議は田矢修介市議と並び田邊派議員としてサポートしてきた。特に露骨なのは「道の駅津かわげ」の運営に関しての議会質問。田邊氏は同施設の運営を熱望していたという。そこで福田氏が一昨年3月の定例会で
本当に道の駅に来ていただいた方々が、満足していらっしゃるのでしょうか。先日、市民の方から、正月に道の駅津かわげを訪ねていたときに、非常に不愉快な経験をしたとの御相談がありました。
このように市の指定管理者の事業者選定、入札方法などについて問うた。実は「市民の方」とは田邊氏のこと。無論、同氏の意向を受けた質問である。驚くのは田邊派市議と批判された上に昨年、政務活動費が大きく報じられた福田市議が露骨な方法で新人候補に接近してきたこと。全く懲りてないのだろう。
当の佐藤氏に一連の関係について尋ねると
「党を通じて(田邊氏への)謝罪はお断りしておりますし、今後もお会いする予定はありません」
と声を落とす。また福田市議の介入も認めた。
佐藤氏の無防備さもまた事実。しかし田邊氏と福田市議に新人候補が委縮するのも無理はない。それ以上に維新関係者が田邊氏を仲介したのは明らかに判断ミスではないか。なにしろ相手は拒否できない新人である。先の陣営関係者がいう仲介した「維新有力者」とは「日本維新の会三重県総支部幹事長の伊賀市・田中さとる市議です」(津市関係者)だった。
同支部にアポイントをとると田中市議から連絡が入った。何故に佐藤氏と田邊‐中川両氏を引き合わせたのか理由を聞いた。
「彼(田邊氏)のことは知りませんでしたが、中川氏は30年ほど前からの知人でした。そこに田邊氏がついてきたということですよ。なぜ紹介した? 有権者ですから一票でも取りたいという思いと(田邊氏は)判決が下っており、公民権はありますから。あくまで有権者として応援してよ、という程度です」
引き金となった「リーフレット」については田中市議は
「最初のリーフレットに田邊氏の名指ししたわけではありませんが、市役所の対応が問題だった、また政務活動費の適正な使用などが書かれていました。一対一の選挙ならそれもいいですが大人数の候補者がいる市議選だから、政策中心のリーフレットに変更したのです」
自治会長事件のみならず「政務活動費」の記載とあれば、福田市議が神経を尖らせたはず。この点に福田市議介入の理由がありそうだ。
一有権者だったと田中市議は強調したが実際問題、ほぼ連日の田邊氏からの長電話、事務所訪問、選挙カー問題、これが「一有権者」のやることだと思えない。
「だから選挙カーのことも対応しました。あの夜(1月16日夜)、中川氏から“ 夫婦で謝罪に来てほしい”と連絡があったんですよ。そこで本当に候補者のことを思ってくれるなら(長電話などをやめて)早く解放することだ。今、やってることは選挙妨害だからもう関わらないでほしい、そう伝えるよういいました」
佐藤市議はかなり参っている様子だったが?
「もちろんサポートしていきますよ。ただ紹介したのは一有権者という以外、他意はありません」(田中市議)
福田市議の“ 圧”についても佐藤市議は認めた。
「それは私も報告を受けています。福田市議は“看板の御礼は持っていくものだ ”と連絡してきたそうです」
田中市議は「厳正な対応」との説明だが、発端は田邊‐中川両氏と面会させたこと。ただの「有権者」ではないことは明白なのに認識が甘すぎだ。それに拒否したとはいえ今後も慎重な対応が求められるだろう。佐藤市議は新人ながら津市政という伏魔殿に迷い込んだ状況。この後は相当な信念がなければ必ずつけこまれる。
また見逃せないのは「夫婦で謝罪」という点だ。これまで田邊氏から謝罪要求された市議は存在するが「夫婦」というのは聞かない。そもそも「夫同伴」という理由も理屈も皆無だ。
「佐藤市議夫が大きな病院の副院長だから“メリットがある ”との算段ですよ。そこで佐藤市議を囲いこもうと。それからリーフレットに自治会長事件の記載を勧めたのは佐藤市議のアドバイザー役の自治体議員。田邊氏はその議員と維新幹事長の田中さとる氏の排除を求め、自分が選挙対策をやると佐藤市議を促していました。そりゃあもう連日のアプローチですから半ば“洗脳 ”に近い状態だったでしょう」(事情通)
過酷な様子が目に浮かぶ。かくいう「洗脳」に一役買った福田市議も罪深い。自治会長事件の初期から田邊派議員と批判され、また政務活動費をめぐり辞職勧告を受けた立場。にも関わらずいまだに田邊氏の「尖兵」「小間使い」とは呆れる他ない。
そこで福田市議に説明を求めたが最後まで応じることはなかった。
事件を経てもなお一味の行動パターンが変わらないのは戦慄すら覚えた。結局、百条委員会そして裁判も全く意味がなかったということか。すなわち
相生町自治会長事件はまだ終わってない。
脱力ですな。
ったく懲りてない。
維新の得意技「改革」で役所をひっくり返してほしい。
個人的には維新信者ではないが。
まだありますよ
外部からこれだけ指摘されても何もできない津市。こりゃ完全に後ろ向きの自治体に転落しちゃってますね。
田中市議のコメント
「彼(田邊氏)のことは知りませんでしたが、中川氏は30年ほど前からの知人でした。そこに田邊氏がついてきたということですよ。なぜ紹介した? 有権者ですから一票でも取りたいという思いと(田邊氏は)判決が下っており、公民権はありますから。あくまで有権者として応援してよ、という程度です」
「もちろんサポートしていきますよ。ただ紹介したのは一有権者という以外、他意はありません」
これを額面通りに受け取っていいものですかね?
まずは額面通りに受け取ります。
ここからです。
上浜町中古車センター以前から胡散臭い車屋で元会長の親父から付き合いやいろんな噂のある車屋で安濃に知らぬ間い居座り
牛耳ろうとしています。毎日元会長があらわれ市役所職員恫喝にも立ち会い噂の切れない中古車センターですまだまだ噂はあります徹底的にし調べてください。肉が大好き。中古車センター嫁さんと桜花道も繋がります。
知ってる知ってる
福田慶一議員の市議会での所属会派は会議録検索システム等から読み取れる限り、「政策集団・改革」(藤岡和美元久居市長との二人会派 藤岡氏の2011津市長選立候補により解体)→市民クラブ(自民系)→(政活費騒動)→市民の声(一人会派)で、立憲民主党系の会派に所属していたという事実はないのではないでしょうか
また、県議時代に所属していた新政みえは確かに旧民主党系といえますが、改選前後の津市議会で県都クラブ(現「津みらい」の母体)・一津会のいずれにも属さなかったことから考えると今なお立憲民主党系の議員として見られるかどうかは疑問が残ります