紛糾する韓国・従軍慰安婦の支援団体「正義連」(旧挺対協)と尹美香前代表の疑惑。「正義連が2016年から過去4年間に集めた寄付金49億2千万ウォン(約4億2千万円)のうち、慰安婦に支給されたのが9億2千万ウォン(約8千万円)」などの実態が浮き彫りになっていく。「従軍慰安婦問題」は長らく政治利用、外交利用されてきたが活動家の「利権」と化したようだ。韓国内で言われる「被害者中心主義」との方針の下、“被害者の涙は何よりの証拠 ”とばかり元従軍慰安婦たちを前面に押した活動スタイルはまさに国家的大スペクタクル。しかし政治、外交、反日運動においても慰安婦問題は停頓状態のように見える。むしろ慰安婦たちは振り回されているかのようだ。(タイトル写真は2011年12月14日、外務省前でスピーチする元従軍慰安婦を名乗った故・宋神道さん)
左翼十八番「囲い込みビジネス」
「こちらナヌムの家です。出版社の方ですね、そちらに対してはコメントできないのでお断りします。失礼します。申し訳ないです」
正義連の疑惑について韓国広州市・ナヌムの家に見解を問うたところ電話でこんな連絡が入った。通常、運動団体等に対するコメントや見解の依頼には「逆ギレ」「無視」「無反応」という対応が多い中で韓国から連絡してくれたことは感謝したい。
念のためご存じない方のために補足をすると「ナヌムの家」とは元従軍慰安婦とされる女性数名が入居するホームと資料館を合わせた施設だ。ナヌムとは「分かち合い」の意。禅宗系の仏教団体「曹渓宗」と補助金、寄付金によって運営されている。日本からも報道関係者、観光客、研究者などの来訪者が多く、日本語ができるスタッフも少なくない。
またナヌムの家もトラブルと無縁ではなく園長によるセクハラ事件、支援金横領疑惑などを起こしている。あるいは過去、このような問題を報じたのでこちらも併せてご覧頂きたい。
記事についての詳細は各々、ご確認頂きたい。端的に言えばナヌムの家のスタッフとして勤務していた日本人男性、村山一兵氏が解雇された内幕を報じたもの。村山氏はナヌムの家勤務以前から日本に被害女性を招いて証言を聞く「全国同時企画」を開催していた。当時、慰安婦問題では名うての活動家だった。慰安婦問題の秘蔵っ子のような村山氏に解雇問題が起きたのは2011年の話。当時、ナヌムの家に質問状を送ったところ詳細な回答があったが
村山氏 は報告、連絡、相談などの社会的ルールを無視し、全て日本からのボランティア依頼、各地における集会依頼メール、要求、相談、文書作成、写真使用等に関し、報告無しで本人のみで、消化・処理・行動していた。日本側から公式以来は事務所宛ではなく、全て 村山一兵氏宛になる。村山一兵氏は日本の代表者ではなく「ナヌムの家」の日本人担当職員である。
という書き出しから始まった。そして問題点が指摘されており、業務上のミスが相次いだこと、不明瞭な会計処理、そして村山氏がナヌムの家の許可なく日本国内へのシンポジウム参加、などを挙げていた。当時、応対してくれたのは金貞淑事務長。日本語が堪能だ。その話しぶりから特に村山氏が日本からの依頼、連絡を単独で処理した点を問題視したように感じた。
確かに社会団体、企業問わず「組織」に対する連絡事項を「担当者」が個人的に処理するのは問題行為だ。であると同時にナヌムの家を利用して個人活動はさせない、ということだろう。
当事者を囲い込むことは政治上、運動上、重要である。乱す者は許さないというわけだ。「当事者」は社会運動団体にとって財産そのもの。メディアが社会運動団体、市民団体に擦り寄るのも一つに「当事者」の提供というメリットがある。市民団体が提供した「当事者」に取材することで「当事者」に“ 寄り添えた”という体の記事が作成できる。無論、記事内容が恣意的になるのは否めない。
慰安婦問題など囲い込みビジネスの最たるものだろう。つまり特定の社会問題についてのいわば“活動権”や“情報発信権 ”を独占するというのである。だから団体インサイダーのフライング、個別活動を決して許しはしない。話を聞くに村山氏にも落ち度があるように思えたが、にしても「社会運動」における虎の尾を踏んでしまったのだ。
社会運動にとって「当事者」は死守しなければならない。しかもそれが歴史の生き証人となれば猶更。しかしもうこの慰安婦囲い込みは限界が来ているように思えてならない。
慰安婦デモ出席時には血圧チェック
左翼というものは本当に身勝手な人々だ。死刑反対集会などでは支援者たちは「被害者の視点だけで裁くな」「被害者意識だけでは危険」こんな風に批判する。しかし一方、従軍慰安婦となれば資料、当時の文献よりも慰安婦たちの証言ばかりが優先される。慰安婦の場合、歴史認識問題も絡むわけだがその当事者と称する人々が生存しているのが大きい。当然、高齢者だが集会などにも参加しスピーチすることもある。
またナヌムの家の場合、訪問者がおり慰安婦たちと対話することもできる。もちろん各種メディア取材もある。日本の支援者が言うには
「取材や訪問者たちを相手にするとハルモニ(おばあさん)たちは血圧が上がるから心配なんですよ」
と健康上の配慮も必要だ。民族衣装を着込み勇んで現場に駆け付けるかと思いきや実相はかなり異なる。だから在韓国日本大使館前で行われる「水曜デモ」にハルモニたちが参加する場合は体温や血圧のチェックを受ける。なにしろ彼女たちは高齢者であり中には基礎疾患を持つ人も少なくない。そんな人たちがメディア対応、公の場でのスピーチとは激務だ。しかもインタビューでは常時“お付きの人 ”もいる。自身の経歴についての“設定間違い ”も起こりえる。健康状態含めてフォローする介添人は必要だ。
おそらく我々が想像する以上のストレスがかかっている。朝鮮半島の伝統である「泣き女」(*葬式などで泣き続ける仕事)ではないが、日本批判をするにも相当気分を高揚させなければならない。時に泣き、身振り手振りを併せてセンセーショナルに日本批判を展開する。シンパにとっては悲劇的、懐疑的に見る者にとっては芝居染みている。活動は健康上、決して芳しくなさそうだがそれでも高齢者が多いのは不思議だ。
2013年に死去した李容女さん。1926年2月10日、京畿道驪州生まれ。2000年、日本軍性奴隷戦犯国際法廷に出席。彼女の活動生活も壮絶だ。糖尿病の治療中だった李さんは入院中、禁止されていた酒、タバコをやめられずにいた。ナヌムの家でもたびたび飲酒しては注意されていたという。ナヌムの家も入所、退所を繰り返しており2012年、正式に対処。公的には旧日本軍の性虐待でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したという話だ。しかしこのような精神的な問題は「従軍慰安婦であり続けること」の心理的ストレスの方が大きいのではないか。李容洙さんの反旗もストレスと無縁だとは思えない。
冒頭でも紹介した2011年12月14日、「「日本軍『慰安婦』被害者に正義を! 日本全国、世界各地で同時に行う『韓国水曜デモ1000回アクション』 外務省を『人間の鎖』で包囲しよう」の様子。支援者を前にスピーチする宋神道(2017年没)さんだ。宮城県女川町に住んでいたが東日本大地震の津波で自宅を失う。被災した元慰安婦ということで話題になった。慰安婦活動家は意外と長寿が多いが、宋さんは享年95歳。デモに参加した時は89歳という高齢の上、闘病中ということもあり車椅子で介助されながらの活動だった。
ここまでさせなければならないのか。そんな風に思った。自身の身に置き換えて想像してもらいたい。高齢で不自由な身にあって大衆の前に引っ張り出されるという現実。これも生業とは言え過酷な生活だ。むしろ慰安婦活動の方が真の悲劇ではないか。
加えてこんな事態も見逃せない。2017年2月13日の「聯合ニュース」によると2015年に成立した日韓合意による支援事業について元従軍慰安婦46人中34人が受け入れたものの、うち5人は反対だった。この5人というのがナヌムの家に居住していたという。合意を受け入れ和解すると今後、慰安婦活動の障害となる。こうした意図が明白だ。
正義連や水曜デモについて公然と批判する元慰安婦活動家、李容洙さんだが従来は最もエキセントリックな活動家だ。「女性のためのアジア平和国民基金」(1995年)も批判し、支援金受け取りを拒否。そして受け取ったフィリピン、台湾の元慰安婦を公表しろと悪態をついたことがあった。これも2015年、日韓合意反対派に通じる。和解は運動団体の終焉になりかねない。
目を血走らせて活動すること。こんなことが彼女たちにとって安住の地なのか分からない。支援金で静かな余生を過ごす。このことの方がよほど幸福のような気もする。しかし「慰安婦当事者がいる」ことが最大の活動の根拠であり、交渉カードでもある。日韓の戦時補償問題における最大の旗印は堅持したいに違いない。
元従軍慰安婦たちは高齢で大変失礼ながらもう生い先短い身だ。つまり数年後には最大の根拠を失うということを意味する。「当事者」が最大のカードだったこの慰安婦運動において大きなダメージとなるに違いない。その時に全く無関係の活動家による“被害者の涙は何よりの証拠 ”という理屈が通用するのかどうか。
そうとう稼いだし議員にもなれたしで。高齢者が消えてくれてちょうどいいやと思っているのでは。
居なくなってしまえばなんとでも言えますからね。「私にはこう証言していた」って。
次の稼ぎネタはもう決まってたりして。