津田大介・あいちトリエンナーレに「愛」も「知」もなかった③

三品純 By 三品純

コロナウイルス拡大による非常事態宣言であらゆるイシューが吹き飛んでしまった。だから多くの人にとって「あいちトリエンナーレ2019」なるものは忘却の遥か彼方にあることだろう。しかしこのあいトレ騒動の幕引きに納得していない人は多いはずだ。愛知県庁や関係者自体はもう「終わった話」と言わんばかりの態度。しかも関連する行政文書の公開通知がきたのはこの3月末だ。嵐が去った今、これらの文書がどれだけの価値があるのか分からない。しかし検証は続けるべきと考える。なぜならここで表現の自由を訴えたた津田氏ら関係者は誰よりも他人の表現に対して不寛容---この点をなんとしても証明したいからだ。

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騒動当時は明らかに逃亡した津田監督。

先述した通りあいちトリエンナーレについての行政文書の情報公開請求をしたのは昨年のまだ会期中のこと。当時「同種の請求が殺到し事務作業が困難」という趣旨の延長通知が来た。しかしこれだけ決定が遅いと「意図的に公開を遅らせた」と勘繰りたくもなる。

12億円を投じた価値はあったか?
津田氏以外のキュレーターの報酬額は非公開だ。
意外と細かく規定されていた。

これまで関係者と愛知県庁の動揺は随所に感じ取れた。愛知県に情報公開の進捗状況を聞こうと連絡するのだがトリエンナーレ推進室の専用ダイヤルにつながるから正直面倒くさい。それは企業のサービスセンターのようで各部門ごとに番号が振り分けられ意見などは一人10分に限定。特徴的なのは再三、通話を録音しているとアナウンスされることだ。おそらく会期中は全国から厳しい声が寄せられたであろう。

無論、脅迫行為や恫喝があってはならない。しかしあいちトリエンナーレに対する不信感やフラストレーションも分かってほしい。当初、津田監督らに対して「とんがったことをやってほしい」と要望した大村知事は騒動になるとまるで“ 知らぬ顔の半兵衛”といった態度。監督の津田大介氏は絶対安全圏のTV・新聞、シンパ内の講演会でのみ勇ましい。2月、故木内みどりさん(俳優)のお別れの会にて津田氏に遭遇。取材を申し込んだが、

「鳥取ループの会社でしょ。いろいろ書いていましたね。取材は受けません。だいたいどうしてここにいるんですか?」

渡した名刺を投げ捨てるように津田氏は去った。ある意味予想通りの対応だ。また過去には表現の不自由展・その後実行委員会の一人、岡本有佳氏にも昨年9月、本件について直撃した。彼女はある意味津田氏よりも公の場で「表現の自由」について説明すべきだろう。

なぜなら性表現については従来から批判的だ。性表現を含む作品についてあいちトリエンナーレへの出品は、反対の立場を貫いた。自身の表現については自由を守れとしながらも他人の権利は認めない。卑怯である。こうした態度について問うてみたが終始、

「個別の問題に応じない」

との回答だった。

講演する 「表現の不自由展その後」実行委員会のメンバー。マイクを持つのが岡本氏。

先に指摘したフラストレーションはこういう点だ。あいちトリエンナーレ問題に関して誰も正面から向き合っていない。その反面、一同はメディアに出るときは雄弁で「被害者」といった振る舞いだ。展示を妨害されたというスタンスで閉幕以来、シンポジウムや講演会が多数行われた。それは直近まで続く。

コロナウイルスの影響で中止になったが朝日新聞労働組合が企画していた「言論の自由を考える5・3集会」はとても違和感を覚えたものだ。同会は1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件(赤報隊事件)から33年目を迎え計画された。元ニュースキャスターの村尾信尚氏が登壇しあいちトリエンナーレの企画展を例に表現の自由を論じるものだ。確かにあいちトリエンナーレにも脅迫行為はあったが、赤報隊事件と同列で語るのはどうだろう。

事件が起きた80年代は暴力団同士の抗争が激化した時代でその危険性は現在の比ではない。被害者の故・小尻知博さんの無念さは計り知れない。そんな陰惨な事件を論じるにあいちトリエンナーレを持ち出すことは滑稽ですらある。何とも向き合わない、批判にも耳貸さない、人の表現活動には冷淡、むしろ津田氏や委員会の方がむしろ「赤報隊的」ではないのか。

報酬額は「個人情報」だから非公開

一応、関連文書は公開してもらったわけだが、例によって黒塗り部分は多い。不思議なのはキュレーターという運営スタッフの報酬額は「個人情報」に該当するという理由で非公開だった。ただ津田氏についてはすでにネット上に流出しているので公開したという説明だ。この点は面白かった。というのもその他自治体で情報公開請求をした場合、すでにネットで露見、流出した情報であっても「黒塗り」という経験をしたことがある。ところが愛知県の場合は実態に即して津田氏分は公開という判断だ。

果たして報酬額を個人情報として隠していいものか。当サイトはライフワーク的に行政主催の講演会、シンポジウムを扱っている。特に解放同盟、関係人物の人権講演会、各種集会については過去たびたび記事にしてきた。自治体の講演事業はある意味、特定団体・特定人物への「懐柔」の意味がある。あるいは「人権」「環境」「護憲」こういった現象に配慮していることのアピールとして。

もう少し言えば自治体にとって利益提供しなければならない人物に対して「講演」という名目で利益供与する。そういうやり方もありえるはずだ。例えば目下、弊社が追跡取材している関電問題における森山栄治―高浜町のように自治体側が配慮すべき人物に対して「講演」「研修」を依頼する、そんなやり方だ。報酬額が「個人情報」として非公開の理由になるのかは、あいちトリエンナーレ問題とは別に問い続ける価値がある。

ニュートラルなポジション?

公開された文書は全456枚。しかし先述してきた通り、公開された情報は納得いくものではない。その内訳は約半数がキュレーターたちの報酬規程、契約書関係。残りがキュレーターミーティングの議事録だ。

この記録文書は2018年1月18日、第1回キュレーターミーティングから始まっている。出席者の欄には津田大介、東浩紀、飯田志保子、会田大也、杉原永純、相馬千秋、鷲田めるろ(敬称略)らの名がある。

当初の議題はあいちトリエンナーレの開催目的等の意識共有として「開催目的、なぜ、誰のために開催するのか」など特に当たり障りのない話題だ。ほとんどイデオロギー的な雰囲気も感じない。どちらかといえばベンチャー企業や学生サークルのイベントのノリといった様相だ。

しかし2019年5月16日のキュレーターミーティングにて注目すべき文言を見つけた。

ここで初めて「表現の不自由展」という存在が出てきた。ここで「全体運営」として

「表現の不自由展」実行委員会が出展作家、「表現の不自由展・その後」が出品作品                                 「表現の不自由展」実行委員会が出品依頼するかあいちトリエンナーレが出品するのか検討。                              →トリエンナーレ公式のキャプション、解説は1つ。各作品の解説については、実行委員会のメンバーが執筆。

「運営対策」という項目があるがなぜか黒塗りにされている。何か不都合なことでもあるのだろうか。そして

あいトリとしてはニュートラルなポジションをつくる必用がある。右にも左にも傾倒することなく、そういった議論の場を作り出すことができるのが芸術祭、というスタンス。政治の話ではなく、美術の議論をする場として。CIRから表現の不自由に入るところに、事前に告知をする。見たくない人が迂回できるような通路を作る。

CIRとは「調査報道センター 」の展示のこと。表現の不自由展がイデオロギー問題をはらむことはキュレーターたちは認識していたようだ。「議論の場」という言葉は津田氏も多用していたが、何をもって「議論」なのかよく分からない。少なくともキュレーターたちがアンチと議論した痕跡はない。またあいちトリエンナーレに展示物に異論を挟めば即座に「表現の敵」「右翼」扱いされた。議論も何もあったものではない。「右にも左にも傾倒しない」というのも都合のいい表現で「表現の不自由展」を持ち出した時点で明らかに「左」への傾倒だ。

それから表現の不自由展問題が起きた時に愛知県側、また大村知事も内容については「寝耳に水」と言わんばかりの態度だった。しかしこれはおかしい。一連のキュレーターミーティングには愛知県職員も同席している。先に挙げたミーティング(2019年5月16日分)で不自由展がイデオロギー問題をはらむことを県側も十分把握していたはずだ。ただ県職員の立場から内容について是非を問うのも難しかったと思う。ならば最高責任者の大村知事に報告し方針を固めるべきだったと思うが…。まあどうあれこの時のミーティングは騒動の出発点かもしれない。資料を根拠に関係者たちに問い続けていきたい。

*入手した公開文書は順次紹介していきます、

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