思い出の修学旅行が惨劇と化した辺野古沖転覆事故。原因になった抗議船ツアーなどいわゆる「平和学習」を検証してみると観光振興・政策誘導・政治性といった〝大人の事情〟が強く影響していた。理念こそ美しいが、その実態は沖縄独自の観光ビジネスといった方が相応しい。(写真=平和学習の人気施設「道の駅かでな」)
週刊新潮が平和丸船長・諸喜田氏を直撃

【辺野古沖転覆事故】平和丸船長・諸喜田タケル氏は事情聴取中 担当弁護士「今は回答できない」
23日の速報で筆者は平和丸船長、諸喜田タケル氏の関連情報を報じた。『週刊新潮』(4月2日号)は実名こそ出さないが名護市内のスナックに現れた諸喜田氏を直撃していた。
同氏は新潮記者に対して「俺はもうあのとき、死のうと思ったんだから。これ以上、お前に話せない。そっとしておいてよ。時期がきたら言うから」などとこぼした。
精神的に追い詰められた様子が伝わるが、諸喜田氏の発言は重要だ。
諸喜田氏は出航の判断について新潮の記者にこう明かした。
「うん。あの人の判断だから。俺がどうのこうのじゃない。担当はあの人。俺は決める権利ない。(反対協の)海上行動だったら、これはちょっとやばいんじゃないかって一言、言えるかもしれないけど。金井さんの判断」
亡くなった抗議船『不屈』の船長、金井創牧師が出航判断を一任されていたかのような口ぶりだ。また諸喜田氏の発言から金井氏に対して、わだかまりを抱いているように見受けられた。
一方でヘリ基地反対協議会は記者会見で出航について海上行動チームの判断だと説明している。金井氏が実質的な責任者だったとする諸喜田氏の見解とは微妙に異なった。
強力な連帯意識を持つかと思いきや、辺野古基地反対運動は一枚岩ではなさそうだ。
「対峙する「現場」を見ること」と学校は指導
先述した抗議船運営側と学校側の見解を比較検証してみよう。同志社国際高校の西田喜久夫校長は事故発生日の16日、「辺野古の海の美しさを感じ、基地の姿を見ることがポイント。特定の思想をもつように指導するような研修旅行ではない」などと説明した。
ところがSNS上に投稿された学校側からの連絡事項(下記画像)と校長の説明とは乖離がある。
「きれいな海を見る」ことではなく、基地建設と、それに反対する人が対峙する「現場」を見ることです。「そんなコースだとは思わなかった」という人は、火曜(11/11)、16:00までに申し出てくれれば変更を認めます。

「政治闘争の現場だから覚悟を持って行け」。そんな学校側の強い意図が伝わる。ただしこの画像自体、フェイクの可能性も排除できない。
そこで同志社国際高校事務局に真偽を確認したところ「事実です」と認めた。その上で「抗議活動に参加させる、また見せるという意図ではありません」という説明だ。また文中に出てくる「永田氏」も実在する人物で同校の教職員だった。
学校側は抗議活動とは無関係だと訴えるが、反基地闘争の現場を見ることが目的だと生徒に指導していたのは紛れもない事実。活動家にすれば高校生が参加した実績は良いPRになる。生徒が政治利用されかねない状況を学校が作り出しているようだ。
非常に罪深い話である。なにより生徒に反基地闘争の〝動員〟のような真似をさせた。また抗議船は事業者登録していなかったと明かされたが、左翼活動家に底流する「目的のためには手段を正当化する体質」が窺える。そんな危険な船にみすみす生徒を送り出した学校側の安全管理体制の甘さは否めない。
疑問は尽きない。
戦争の悲惨さを学ぶにしても沖縄県内にはひめゆりの塔、ガマ(防空壕として使用された鍾乳洞)、平和祈念資料館、集団自決地など関連施設や戦争遺跡は他にもある。
ところが辺野古基地反対運動は政治課題であり、党派性やイデオロギーが大きく影響する問題だ。判断能力が未熟な高校生に左翼活動家の主張を植え付ける可能性が高い。政治闘争やイデオロギーへの誘導と映っても無理はないだろう
学校側、反対協も「平和学習」の名を借りた「政治闘争」という認識だからこそ、説明が一貫していないのではないか。
協議会、高校ともに説明は明らかに不十分だ。だが奇妙なのは、普段は基地問題で血道を上げる左派メディアや『赤旗』が、この件では驚くほど静かなことだ。
諸喜田氏は共産党員で、過去には党幹部も抗議船に乗船していた。そうした事情を思えば、『赤旗』にとって触れにくい案件なのだろう。他のメディアもまた、共産党への遠慮からか、諸喜田氏に関する報道を避けているように見える。
ところがその一方で〝平和学習を守れ〟とのマスコミ、有識者の論調は活発だ。特に沖縄での平和学習に執着するのはなぜか。
検証してみると①官民を挙げた修学旅行の誘致策②政治的意味③基地が観光資源という矛盾という3つの問題点が浮かび上がった。
平和学習は有力コンテンツ
事故によって同志社国際高校に平和学習のイメージが定着してしまった。しかし修学旅行に平和学習を取り入れるのは現在のトレンドなのだ。
公益財団法人日本修学旅行協会の「今後の修学旅行のあり方に関する調査まとめ」(2024年)のデータは興味深い。修学旅行の内容について全国の高校にアンケートをとったところ「平和教育・平和学習を取り入れる」が2位だった。
「SDGsをテーマとしたプログラムの実施」という回答も左翼イデオロギーを想起させる。特定の思想に影響されやすい状況にあるようだ。

その中でも広島、長崎、そして沖縄は最も平和学習向きと言えるのではないか。次に沖縄県観光政策課がまとめた統計データ「令和6年度修学旅行入込状況調査結果」を紹介する。

コロナ禍では落ち込んだものの令和6年度(2024年)は2084校35万8521人の生徒が沖縄を訪れた。一概に比較はできないが同じく修学旅行の定番、広島の場合は令和6年度が33万2千人。平和学習を前提とした修学旅行の訪問先は沖縄が最有力候補のようだ。
沖縄県としても修学旅行を強く意識し、県や事業者で構成する「沖縄県修学旅行推進協議会」を結成し誘致を進めてきた。そして「平和学習」は修学旅行先を選定する上で〝有力コンテンツ〟として行政も認識しているようだ。
2024年(令和6年) 第2回沖縄県議会での文化観光スポーツ部長の答弁を紹介しよう。
沖縄修学旅行における民泊は、県外の児童生徒が沖縄の生活文化や食をじかに体験することで、沖縄に対する理解を深め、将来にわたって沖縄に親しみを持つなどの効果が期待されるプログラムの一つと考えております。また、平和学習は、沖縄を修学旅行の目的地として選定する大きな理由の一つと認識しており、県外での誘致活動において重要な要素となっております。県としましては、引き続き、教育旅行民泊や平和学習など沖縄ならではの魅力を生かした修学旅行の誘致に取り組んでまいります。
平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館、ガマ体験、戦争体験者の講話などは、沖縄修学旅行の主要プログラムになってきた。
そして議事録を丁寧に追っていくと、沖縄修学旅行の実像はもっと複雑だ。そこにあるのは純粋な教育理念だけではない。観光振興、航空需要の確保、県外との交流政策、さらには地域ブランド戦略までが絡み合っている。
平和学習は教育実践であると同時に、沖縄県にとっては強力な「誘客資源」でもあるのだ。
県は2023年の議会で、航空運賃が修学旅行先の選定において極めて重要な要素だとした上で、「平和学習や民泊体験など、沖縄でしか体験できない魅力の発信」によって需要を取り込むと説明している。
つまり沖縄県にとって平和学習は教育内容という以前に「観光メニュー」という位置づけなのだろう。
このため大きな事件の影響を受け修学旅行がキャンセルされることは県にとっても一大事である。
2001年の県議会では、アメリカ同時多発テロ事件の風評被害により、沖縄観光のキャンセルが相次ぎ、修学旅行だけでも363校、8万4790人に上ったと報告された。同事件以外でもイラク戦争、コロナ禍などが起きるたびに県議会でも修学旅行の減少が問題視されてきた。観光依存が高い沖縄にとって修学旅行の減少は深刻な問題なのだ。
裏を返せば、沖縄観光が修学旅行需要に支えられてきたという証左だろう。子どもの学びの場という建前の背後に、観光立県・沖縄の経済事情があることは見逃せない。
「修学旅行等に基地沖縄をどう繰り込んでいくか」
それから沖縄修学旅行が県外との政治的・政策的な連携の中で推進されてきた点も指摘したい。一例を挙げよう。
長野県との交流はその典型例だ。長野県議会では長野と沖縄両知事の会談を受けて交流連携協定の締結が進められ、その中に観光誘客、子ども・若者交流、大学生同士の平和学習などを盛り込む方針を決定した。チャーター便の運航、定期便就航を視野に入れた誘客、さらには産業振興や農業分野まで含めた包括的な連携が検討されており、修学旅行はその一部として組み込まれている。
修学旅行は「教育」の名で語られながら、実際には行政と観光業界によって制度化された商品として扱われている側面がある。特に沖縄への修学旅行はもはや学校現場の自主的な判断だけで成立しているのではなく、行政・事業者・教育機関が一体となって設計した政策的パッケージなのだ。
もちろんそこに込められるメッセージは自然、癒し、南国情緒といった情趣に富んだものではない。沖縄での地上戦や米軍統治、基地問題を学ぶという極めて政治性の高いテーマだ。
無論、県側もそうした反戦メッセージを重視しており「修学旅行のしおり」で米軍統治の歴史や基地の現状を紹介し、学校関係者やマスコミを現地視察に招待するなどプロモーションも熱心だ。
ここで重要なことは修学旅行が沖縄の歴史や戦争被害を学ぶ装置であると同時に、基地問題をどう理解させるかという政治課題が作用していること。すなわち基地問題と修学旅行の平和学習を連動させるというやり方だ。そうした方針は議会発言でもはっきり読み取れる。
長らく反核・反基地闘争に関わった故・玉城義和元県議は2003年(平成15年)の県議会で「修学旅行等に基地沖縄をどう繰り込んでいくか、お答えを願いたいと思います」と質問した。
〝修学旅行等に基地沖縄を練り込む〟という表現には驚いた。明らかに反基地イデオロギーを前面に出した考え方だ。これに対する当時の観光リゾート局長の答弁を紹介しよう。
県におきましては、異文化体験、平和学習、亜熱帯性気候体験を沖縄修学旅行の中心メニューとして、県外でのセミナー開催や関係者の招聘事業などの誘致活動を展開しております。平和学習のモデルコースとしては、戦跡地や県立平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館などの見学、戦争体験者の講話学習、避難壕の入壕体験などを紹介し、平和のとうとさをアピールしております。また、米軍統治の歴史及び米軍基地の現状についても、県が発行する「修学旅行のしおり」において紹介しているほか、関係者の沖縄招聘時に現地視察などを実施し理解を深めていただいております。なお、修学旅行時においては、本島北部への移動の際に嘉手納基地の外部からの視察やバスガイドからの説明などがメニューとして組み込まれております。(原文ママ)
沖縄県内の米軍基地が観光メニューとして扱われているかのようだ。
強い違和感を覚えたのは筆者だけだろうか。沖縄県民の負担として米軍基地は批判されてきた。ところがそんな米軍基地があたかも観光スポット、アトラクションと化している。面白いことに反基地を打ち出す沖縄メディアもその効果を認めている。
『沖縄タイムス』(2018年6月28日号)の一面記事には驚いた。「基地を一望 中国客歓声 道の駅かでな人気 「世界一の軍事力」間近に興奮」と同紙は報じたのだ。

「道の駅かでな」(嘉手納町屋良)は展望台から嘉手納基地(嘉手納飛行場)が一望できるスポットで人気だ。もちろん修学旅行の見学コースに組み込む学校もあるという。
沖縄県、左翼活動家による劇団沖縄
本来は平和を学ぶ旅のはずが、平和を冠した観光パッケージと化した。これが「平和学習」の実態ではないか。こう指摘をすれば左翼活動家は激怒するはずだ。しかし実際問題としてあれほど忌み嫌う米軍基地が呼び水となり、人気観光地になっている現実をどう考えるのだろう。
マスコミは「沖縄の基地負担軽減」などと訴えるが、その米軍基地が少なからず沖縄県の観光経済に貢献している。もちろん米兵による性暴行事件やトラブル、また騒音問題など沖縄県民への負担は事実としてある。だが単純に「嫌悪施設」と言い切れるだろうか。
県民負担の象徴であるはずの米軍基地そのものが「平和学習」に組み込まれ観光商品として機能している。
さらに基地反対闘争までが「平和学習」の名の下で半ば演出化・展示物化したのだ。反基地の抗議船などはその最たるもの。いうなれば〝劇団沖縄〟である。
同志社国際高校は生徒へ「基地建設と、それに反対する人が対峙する「現場」を見ることです」と指導したことを思い出して頂きたい。「現場を見る」とは要するに「劇団沖縄を観覧する」ということだ。
そして学校側の指導の通り、同校の生徒は基地反対闘争の現場=劇団沖縄の舞台を見た。ところが『平和丸』『不屈』が転覆して、生徒が犠牲になった。このことは生徒に観覧させたのではなく、闘争の舞台に上げてしまったことを意味する。そのような危険なコースを追認した学校側の責任はあまりに重たい。
ヘリ基地反対協議会は「命こそ宝」というスローガンを掲げてきたが、皮肉にも杜撰な管理の漁船で若い命を散らせた。今回の転覆事件はぜひ平和学習の教材にしてもらいたい。
それは「平和」「反戦」を声高に叫ぶ人々を疑えということ。またとない生きた教訓となるだろう。
また沖縄県も今回の事故、平和学習のあり方について総括や検証が必要ではないか。沖縄県にも事故への対応を聞いた。
「沖縄県修学旅行推進協議会で事故について協議して、平和学習のあり方についてもいずれ何らかの報告を発表します」(文化観光スポーツ部 観光振興課)
県としては貴重な収入源である「平和学習」を否定できない。だが平和学習に込められた党派性やイデオロギーは再考を余儀なくされるだろう。
そして「平和学習」という美名の下、中学生・高校生を政治闘争に利用することをどうか謹んでもらいたい。



