カオス*ラウンジ 泥沼バトルの 根底に見た 現代美術界の憂鬱

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By Jun mishina

日本の現代美術界をリードする美術集団「カオス*ラウンジ」を運営する合同会社カオスラ代表社員(現在は藤城嘘氏)で美術家の黒瀬陽平氏がセクハラ告発を受けて退社処分となったのは7月24日のこと。だがその後のカオスラ社内での再調査の結果、被害者側への問題行為も発覚。10月20日、同社側が被害者を提訴することを公式HP上で報告した。まさに泥沼バトルの様相というわけだが、その根底に現代美術界の難題も感じざるを得ない。騒動は複雑な人間模様と経緯があるため順を追って検証していく。

日本画壇第一人者・吉村誠司への糾弾

東京藝大前。右が音楽学部側、左が美術学部

話は日本画壇の重鎮、東京藝術大学美術学部教授の吉村誠司氏の騒動から始まる。

東京藝大は間違いなく日本の芸術界の象徴であり、数多の音楽家、美術家を輩出してきた。JR上野駅方面から同大に向かうと道を一本隔てて美術学部、音楽学部各キャンパスがある。道一本で分かれる美術学部と音楽学部だがそのルーツは大きく異なる。音楽学部はその前身である旧制東京音楽学校が西洋音楽を主体とした教育であったのに対して、美術学部の旧東京美術学校はアーネスト・フェノロサ、岡倉天心らが日本画を再評価し「伝統美術」が重視された。その流れは平山郁夫らにも引き継がれ、現在は吉村氏が日本画の第一人者として君臨する。

その吉村氏が若手美術家らから「差別発言」という抗議を受けた。きっかけは日本橋三越本店内 MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYでのこと。美術共同体「パープルーム」主宰・梅津庸一氏らの「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展(6月10~29日)、また美術特選画廊 で「吉村誠司 日本画展 浮遊」(6月24~29日)がそれぞれ開催されていた。若手作家たちと日本画の権威、吉村氏の展覧会が重なった6月27日、同氏による「差別発言」があったという。6月30日には梅津氏が抗議声明を発表。

この模様はすでにNOTEなどSNS上でも報告されているが、関係者への取材をもとに再現するとこのようなものだった。

同日、「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展を訪れた吉村氏。「若手たちが何をやっているんだ」という具合で見学に来た。そのうち参加作家の一人、シエニーチュアン氏に対して吉村氏は「あなたは中国人?」「中国人と話してるみたいだ」「小娘に絵が分かるかあ」といった発言を繰り返したという。

これに対してキュレーター(運営責任者)の梅津氏が注意した。周辺によれば「梅津氏は何度も吉村氏に対して“中国人ではない ”と説明していましたが、それでもしつこく中国人かといじったのです」という状況だった。

このため梅津氏らと吉村氏の間で口論が発生。なにしろ現場には来場者もいたため、ギャラリースタッフらが仲裁しそれぞれを引き離した。

大家が若手にケチをつける――芸術分野に限らずよくあるような話だが、ともかくこれを「差別発言」として若手作家たちが吉村氏と主催者である三越側に抗議したのである。

中国、台湾、韓国などにルーツを持つ現代美術家、HouxoQueホウコォキュウ氏が代表で7月14日付で、三越側に抗議文を提出。詳細は三越伊勢丹宛公開質問状を見てほしい。また三越側からの回答は株式会社三越伊勢丹回答書こちら。

興味深いのは抗議文に賛同したのは本展と無関係の美術家ら。セクハラで告発される黒瀬氏、また藤城氏らカオスラ関係者の名もある。また津田大介氏がここに名を連ねるのは“ いかにも”と失笑を禁じ得ない。それに当事者よりも無関係の運動家が激怒する―――こうした現象は同和あるいは在日絡みの案件でもよくありがちな話だ。

津田氏の関与については「反差別運動界隈」によるいわば“ 他人の差別を見逃すのは差別”だとか“ 全ての差別はつながっている”という発想だろう。ただ奇妙なのは本来、騒動の中心であろう梅津氏の名がないこと。要は仲間の作家たちが政治闘争化を目論み介入してきたのだ。

これについては「アート界がポリコレ化した」といった指摘もあった他、美術界では「東京藝大批判」という風も根強くその象徴たる吉村氏がターゲットになったという意見も聞かれた。

しかし現実的には「現代美術の個展は二者対立構造なんです。普通に開催しても集客は見込めません。そこでプロレス的に対立構図を作って関心を集めるという手法はあります」(中堅作家)というのが本音かもしれない。

通常、個展が開催されると「売上の約10%がキュレーターの収益になります」(美術編集者)ということだが、梅津氏の場合「金は要らないから好きなことをやる」(同前)というタイプだそうだ。という点でいくと吉村氏の態度は梅津氏にとって承服できないものだろうが、政治闘争化はせずといったところ。

部外者としても側聞するところの吉村氏の態度は確かに鼻にはつく。ただ国籍を理由に出展できない、作品を排除されたならば「差別」であるが、あの発言をもって「差別」と言えるかどうか。吉村氏の学生に対する日常的な態度を批判する美術家もいたが、だが一方で「芸術界は今でも徒弟制度に近い。パワハラまがいな指導はごく普通のこと」という評もあり吉村氏が突出して問題があるという訳でもなさそうだ。

このため抗議文に賛同した面々は政治闘争化によって自身の活動を盛り上げようという意図があったのではないか。なお吉村氏、三越側に対しても事情を聞こうと取材依頼をしたが返信はなかった。

黒瀬氏が逆に糾弾される側に

さて吉村批判に名を連ねた黒瀬陽平氏だが今度は自分が批判される立場になる。その前に黒瀬氏の人物像について触れておく。なにしろ美術界とは、実に過酷な世界であるのは言うまでもない。「仮に10万人いたら、成功するのはせいぜい1~2人のイメージ」(美術教員)との見立ても納得がいく。その中で黒瀬氏は「アーティスト、キュレーター、批評家、版権管理、経営者の顔を持つガリバーのような存在」(同前)という。

ただそんな黒瀬氏も「ほんの数年前まで新卒程度の収入」(周辺)との声も聞かれた。そんな同氏の生活の途はまた後述するとして、批評家で株式会社ゲンロン創業者、あずまんこと東浩紀氏に見い出され「アート・コレクティブ」(芸術家の共同体、制作活動の共有空間)の第一人者となっていく。

2015年、東氏の株式会社ゲンロンの協力の下、「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」が設立され黒瀬氏が講師を務めた。同校の特徴としては「福島第一原発麻雀化計画」(2013年)など政治主張を含む作品も目立つ他、あいちトリエンナーレ2019の参加作家の中には同校出身者が少なくない。

逆に言えばあいちトリエンナーレは非常に「東人脈」に偏重したとも言えるが、この点についてはまた別途、検証しよう。

そして8月、カオス*ラウンジのスタッフでもあった安西彩乃氏からNOTE上で黒瀬陽平と合同会社カオスラによるハラスメントについてという告発文が掲載された。要は黒瀬氏と安西氏が男女関係にあり「黒瀬が行っていたのは立場の不均衡を利用した性的関係の要求」と訴えた。黒瀬氏は妻帯者であり「不倫」ということになる。安西氏の告発文では性的関係の強要というわけだが、これに疑問を呈するのは黒瀬氏知人。

「例えば打ち上げでも食事会でも人前を憚らず黒瀬さんと安西さんは仲睦まじく、“大人の関係 ”というのは一目瞭然でした。美術仲間からも黒瀬氏にその関係を正す声があったのです」

また

「今年3月、ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエで東日本大地震をモチーフにした「三月の壁」展が開催されたのですが、会期中の食事会でも仲間内から黒瀬さんの女性癖について苦言が呈されたといいます」(同)

つまり黒瀬氏の女性問題は業界では周知であった。。安西氏の告発文には

黒瀬はカオスラを私物化し、自身の行動によって生じた問題を立場を利用して隠蔽を謀った。2015年にも類似のトラブルを起こし、相手方女性を独断で環境から排除。今回もまったく同じ対応。

とあるが前出知人によれば

「現代作家のN子さんのことです。安西さんの告発文は一方的な内容に見えますが、N子さんがカオスラから排除されたのは事実です」

安西氏は気の毒だが、要は黒瀬氏から“ 捨てられた”という格好。それにも事情がある。

「公表されていませんが黒瀬さんの奥さんは、アイドルプロデューサーのもふくちゃんこと福嶋麻衣子さんです。すでに5歳のお子さんもいます。黒瀬氏のスマートフォンで安西さんとの関係を知り、関係を断つよう迫ったわけです」(同前)

福嶋氏と言えばガキ使『黒塗りメイク』炎上騒動の行く末は超表現規制社会(前編)でその発言を拾ったことがある。特に理由や論理もなく黒人を模した「黒塗りメイクはアウト」という意見に対して当サイトも疑問を呈したもの。今回、取材に協力してくれた一部から起きた「美術界のポリコレ化」という指摘だが、現在の黒瀬問題を考えるに福嶋氏の発言は何やら因縁めいたものすら感じた。

そして黒瀬氏は妻に従わざるを得ないのが先述した経済状況にある。

「もちろん稼ぎでは福嶋さんの方が圧倒的ですからね。黒瀬さんの芸術活動を支えてきたのは彼女ですよ。それが分かっているから黒瀬さんも離婚はできません。安西さんと別れたのも当然でしょう」(同前)

いずれにしても黒瀬氏の素行が発覚したことから、美術界からも批判の声が後を絶たない。

ただこんな意見も。

「これだけ女性問題があったのに福嶋さんが離婚しないのはそれだけ黒瀬さんが魅力的ということですよ。女性から公然と告発されるのも逆に言えばそれだけ黒瀬さんに思いが強かったということではないでしょうか」(カオスラ周辺)

また「もちろんセクハラ、パワハラは許されないが…」としながらも「古今東西、芸術家なんて素行や人間性は滅茶苦茶ですよ(笑)。普通の人間からは芸術が生まれない」(美術家)という意見も一面理解できる。

結局、カオスラ内部で安西氏の聞き取り調査の結果、今度は安西氏を訴えるという泥沼バトルに発展した。こればかりは動向を見守る他ない。

トラブルの先に見えた美術界の憂鬱

本件で何も黒瀬氏を指弾するつもりもなく、またアート界にモラルを、といった思いもまるでない。ただ出版業と芸術界、全く畑は違うが同じ表現物を扱う者としては芸術分野に対する悲哀を感じざるを得ないのだ。

芸術分野での草分け的なメディア、『美術手帖』は過去、黒瀬氏の記事を多数掲載してきた。そして女性問題が発覚すると黒瀬陽平とカオスラのハラスメント、被害者が告発との記事を掲載。また現代の作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家・黒瀬陽平インタビューシリーズ:ジェンダーフリーは可能か?との記事も今になってみれば実に皮肉なもの。

※美術手帖では、美術関係者の論考を通してこれからあるべき「ジェンダーフリー」のための展望を示すことを目的としたシリーズ「ジェンダーフリーは可能か?」を2019年6月から12月にかけ連載したが、そのなかには黒瀬がインタビューに応じた回(現代の作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家・黒瀬陽平インタビュー)もあった。今回の件は黒瀬がインタビューに応じた時点でも進行していたが、インタビューに応じた事実を残す必要性はあると判断し、記事の削除等は行わない。

同編集部はこの部分の記事についても削除などの措置を取らなかったが、賢明な判断だ。削除したらさらに炎上したに違いない。

本来は美術手帖にとって重用されるべき黒瀬氏だが、セクハラ問題についてはこの通り報告記事を出している。だがここで勘のいい人は疑問に思うはず。

筆者舎は全く差別発言とは思わないが、吉村氏の「中国人発言問題」については美術手帖に一字も掲載されていない。仮に吉村発言が「民族問題」としたとして、女性の人権問題とは「並列」であるはずだ。いかにMetooの時代とは言えセクハラが優先されるわけではない。

なぜ吉村発言の際は記事化しなかったのか? 著名人である黒瀬氏や津田氏も抗議に関わったのだから格好のニュースソースと思うのだが…。この点、美術手帖編集部に問うと

お問い合わせいただきました、MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYに関する記事の掲載に関しまして、以下の通りご回答させていただきます。弊社では、記事の掲載基準については開示しておりません。以上、どうぞよろしくお願いいたします。「美術手帖」編集部

との回答があった。これもある程度、予期した回答だが同誌に詳しい美術家は苦笑する。

「それこそ『忖度』と言うものでしょう。美術手帖が吉村氏、また三越ギャラリーを不快にさせるわけにもいきません」

なるほど結局、エキセントリックなイメージが先行する美術界だがやはりそこは「ビジネス」、大人の事情というものだ。

「芸術分野では象徴的な美術手帖でも2015年に民事再生手続きをしてTUTAYAに支援されてなんとか存続しているのです」(同)

こう美術界を取り巻く現状を嘆く声が多かった。美術メディアに限らず美術界自体が一部を除き深刻なほど「金がない」のだ。だから若手たちはすでに“ 売れた有名作家”に依存せざるをえない。引いてはこの関係性がセクハラ、パワハラの温床になっている。

それからもう一点、本取材を通じて美術界特有の考え方に触れた。今回、関係者はいずれも「実名を避ける」ことを条件に取材に応じてもらったが、一つは取材に応じたことが「身バレ」してしまうと本業に影響があるというのだ。その点は行政、人権問題を扱っていても痛いほど分かる。ただそれだけでもない。

「芸術界には“AURA(アウラ/重みや権威の意)が剝れる ”という考え方があります。外部に対して内情を公開したり説明するのはアートの価値を下げるというわけです。だから作家たちは“ 芸術を解せない方が愚か”という考え方がとても強い。あいちトリエンナーレでも起こった“ アートは偉そう”とか“上から目線 ”という反発はここに起因しているかもしれませんね」

口が重い取材相手が多かったが、外部に口外することは美術家としてAURAが剝れると感じたのかもしれない。ただこの思想に従えば吉村氏とのトラブルを公にする必要があったのかは疑問だが、そこは「対立構図で集客」という論理が優先されたのだろう。

話題先行でもなければこの時代の美術展は成立しないのか。それほど芸術界、美術界にとっては受難の時代のようだ。今にして考えると「あいちトリエンナーレ」も物議を醸し出して注目を集める狙い―――もしや津田氏の「炎上作戦」だったら戦略勝ちというものだ。

いずれにしても黒瀬氏が失脚したことは「現代美術界の退歩」とまで嘆く関係者もいた。加えて世に発覚していない美術界のセクハラ、パワハラ問題もいくつか漏れてきたものだ。

なにしろ海外アートばかりがやたらもてはやされるのが日本の風潮。経済事情や美術界の内情を乗り越え国内美術家も大きく躍進してもらいたいものだが…。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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カオス*ラウンジ 泥沼バトルの 根底に見た 現代美術界の憂鬱」への8件のフィードバック

  1. キュレイターに1割でもお金が入る話聞いたことない。
    アーティストとギャラリーが半々でそれ以外は入るケースの方が少ないくらい。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      事件屋というよりも騒動を起こして個展を盛り上げるという風潮があるようですよ

      返信
  2. 大した問題じゃないね。

    津田氏と黒瀬氏の関係性は単に東氏と津田氏の関係性があったゲンロン以前からの付き合いだからまあ割と自然かな?

    返信
  3. K

    結局美術界の問題はお金がない☓→お金を呼び込めない
    ことで、それは自分たちで努力しないどころか、何ならチヤホヤされる立場を守るために新規参入を排除しているからに見えます。その点で『お金は気にしない』と言える梅津さんの登場は意味があるのかもしれませんが、
    例えて言うなら仮面ライダーがショッカー隊員を一生懸命殴ってるようなもので、組織はなんにも変わらないし
    お金は気にしないって言えない人たちは救われない。
    新しい才能が次々生まれてるのに、受け皿を排除し続ける業界団体って滅びるしかなくないですか?
    世の中的には実はアートに触れたいとか絵を買いたいと思っている人は多く市場はあるのに日本のアート界はそこを無死し続けてるから、そこに訴えかけてくる海外アートに持っていかれちゃうんですよ。
    若い才能を助けたいなら利益の半分持っていかれる画廊システムじゃなく、作品がいつでも顧客の目に触れられる環境と作家が儲けられるシステムと顧客が買いやすい環境を作ればいいと思います。
    買いたいと思っている立場からの意見です。
    #b9719f7bbbcb32c477b785f6494d224f

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