2016年7月26日、相模原市の津久井やまゆり園で、元職員の植松聖がこの施設を刃物で襲撃し、入所者19人が殺害され、26人が負傷するという事件が起きた。植松聖は事件後に重度・重複障害者を殺害することを正当化する供述を繰り返していることが報道され、その考えに理解を示すような世論も少なからず見られたことから議論を呼んだ。
「ナチスの思想が降りてきた」と本人が言ったという報道もあったが、ナチス云々は後付けで出てきた話で、 植松聖本人はナチスが障害者を安楽死させた歴史は知らなかったとされる。むしろ筆者がこの事件を知って最初に思い浮かんだのは、オーストラリアの哲学者、ピーター・シンガーのことだ。
長らく日本の捕鯨やイルカ漁が、特に欧米からの非難の的になってきた。しかし、それは資源管理の観点ではなく倫理的な問題に近く、議論は平行線のまま。昨年末にはついに日本が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明したことは記憶に新しい。
なぜクジラやイルカ等の海洋哺乳類を殺すことが倫理的な問題になるのか。そこで出てくるのが、「クジラやイルカは頭がいいから」という議論である。そういった考えの出処が先述のシンガーであり、重度の知的障害者を安楽死させるべきという考えとリンクしていることは、日本ではあまり話題とされない。
シンガーの代表作と言えるのがPractical Ethics(実践の倫理)という本で1979年に出版された後、2011年にわたって2回改訂されている。
特に1993年の第2版は物議を醸した。人間と動物の命の重みに差をつけることを「種差別」と位置付け、自己意識を持っているかどうかで評価すべきというのがシンガーの主張である。
この基準からすると、チンパンジーのような自己意識を持つ動物を殺すことは、自己意識をほとんど持たない人間の新生児や重度の知的障害者を殺すことよりも倫理的でないということになる。実際に、シンガーはそのように主張した。
これは動物愛護の理論的な下支えになっただけではなく、特にキリスト教圏における人工妊娠中絶擁護者の理論的下支えにもなった。シンガーによれば、自己意識のない胎児はもちろん、新生児も「代替可能な存在」である。もし、胎児や新生児が重度の障害者であれば、彼らを育てる親や社会の負担を回避するために、彼らを殺して、次に生まれてくる健常者と代替できるということである。
この考えは特にドイツで物議を醸した。ナチス・ドイツの優性思想を正当化するものと見られたからである。無論、欧米の保守派からは批判されるし、過激な動物愛護活動家によるテロ行為を助長しているといった批判も起こった。
一方で動物愛護や環境保護、中絶容認のような、どちらかと言えばリベラルな考えと相性が良かったので、一筋縄では行かなかった。当然、シンガーの支持者も非常に多い。
筆者はシンガーの「実践の倫理」を実際に読んでみたが、概ね動物も含めた世の中全体での最大限の幸福を実現するということがシンガーの主張である。確かにリベラルないし左翼的な考えとは相性が良いかも知れないが、逆に個人の幸福追求権を軽視した全体主義と見られかねない面もある。
日本においては戦前に「宮中某重大事件」があったり、近年問題になっている障害者に対する優生保護法下による不妊手術を旧社会党が推進していた事実が明らかになったりするなど、意外にも保守派の方が優生思想には批判的であった歴史がある。
また、動物愛護の思想や、欧米のリベラル思想には、このような危うい面もあるということは知っておくべきだろう。
貴記事、興味深く拝読させていただきました。
障害を「個性」と捉える風潮もどうかと思う一方で、障害者を「排斥」するための歪んだ言い分も気持ちが悪いのです。人間は障害の有無問わず、それぞれに得手不得手があります。健常でも素晴らしい人、どうしようもない人がいるように、障害者然り。
私は中途障害当事者になって「福祉」を見てまいりましたが、はっきり申し上げれば利権の温床です。障害者を敵視するのであれば、福祉の甘い汁に群がる偽善者、拝金主義者を一掃することが先でしょう。本気で障害者福祉に取り組む人たちだけがこの世界にいれば現状が明るいはずでしょう。
誤解を恐れずに発言すれば、健常者のセーフティネットの役割が高齢者や障害者福祉に従事する人たちがかなり含まれていると思います。本来であれば高給であるべき大変な仕事にもかかわらず、薄給で重労働かつそこに人の命を預かっているという責任が生じます。やりがいや重責に伴う給与という見返りがあればいいのでしょうが、不満のやり場もなく、特に無知、偏見を是正する環境になければ、狂気が現実のものになるのだと思い知ったのがこの事件でした。
貴記事、部落問題に私が興味関心を抱いたきっかけは小さな疑問が出発点でした。日本には日本人が知らない「日本」がたくさんあります。
植松に関しては「自分は努力してきた、才能もある、しかし報われない」「方や自分ではなにもできない障害者が優遇されたり周囲の手を煩わしているのは社会的に負担である」
で、言いたいのは「自分が報われない社会はおかしい、この手で是正する」「私は苦しい」のだと感じました。そう感じている人は相当数いることでしょう。
そこからさまざまな差別思想も生まれるのではと。
私個人では「犬猫の純血」というものが酷い差別思想だと思っています。犬猫の純血は動物にとって不純であると。
犬猫は言ってみれば家畜なので、その純血が差別と言うときりがないと思います。
食肉牛、豚、競走馬、農産物等は全て血統が管理されています。差別ではなく、生産性や品質管理のためで単純に経済原理です。
宮中某重大事件に保守vs.リベラルの対立が関係あるのでしょうか。あれは保守派の中の派閥争いではないですかね。
1934年に民族優生保護法案を帝国議会に提出した荒川五郎、1937年に民族優生保護法案を帝国議会に提出した八木逸郎、いずれも保守政党の衆院議員であってリベラルではないでしょう。1940年に国民優生法を成立させた帝国議会がリベラルだったとも思えません。
すみません。おっしゃる通り確かに単純に保守・リベラルという分け方は出来ないかも知れません。
小林よしのり氏がアイヌの話に絡めて香山リカ氏と解放同盟を批判しています。
以下はURLは小林氏アシスタントの時浦兼氏
週刊SPA!本日発売・ゴー宣は衝撃!『血の一滴は差別である』
https://www.gosen-dojo.com/blog/21647/
差別反対を唱える者が差別を生む「血の論理」
https://www.gosen-dojo.com/blog/21665/
自認を尊重しても「血の論理」には何の変わりもない!
https://www.gosen-dojo.com/blog/21670/
これは私は、保険金殺人だと思います。
施設利権にからむ事件は、
野田市の虐待死などもそうですが、すごく恐ろしいですね!
なんで恐ろしいのか、調べて欲しいです。
維持をするとすごくお金になるのでしょうか?
施設に入っている方は、言葉がしゃべれないなど重度の方が
多いとは思いますが、普通に暮らせるのに、
家庭の事情で預けられた方もいると思います。
自保険金殺人であんなに目立つ殺し方はしないでしょう
優生思想はよくないけど、平等思想上困るからこの人たちは殺処分しよう、妊娠させないようにしよう、はありえると思います。
アメリカのクリスチャンの原理主義者で妊娠中絶医を殺しちゃう事件があったみたいでした。堕胎バンバンしている医師を倫理的に望ましい人とは誰も思いませんが、純粋な人はぶっ飛んじゃうんですね。
保守リベラル関係なく暴走する人は出てくると思っていいですよ。
そうじゃなかったらリベラルを虐殺すれば解決しますよね。
あのイスラム原理主義のタリバンも出始めのころ、麻薬根絶していたのでかなり人気があったみたいでした(ご当地では今も人気かもしれません)。とはいえお友達にでっかいテロリストがいたわけで延々と戦争してましたが、米国と協議があるような話がありました。
ソビエトにもユダヤ人がいました。迫害から逃れ平等な理想な国に燃えていたみたいです。ルイセンコという人が遺伝でおかしなことを言い始めてました。共産主義的な遺伝学というのでしょうか。まともな意見を言ってしまったユダヤ人科学者は粛清されちゃったそうです。
ところで、大麻利用者は死刑にしよう、となったら植松君どうするおつもりなんでしょう。貧者と知的障害者はドラッグでジャンキーにしてしまえ、という優生思想があってもおかしくないんですけどね。向精神薬の大量処方はそれに近い考えと思ってもいいです。日本でも薬物中毒を生んでいます。
虐殺もマイルドなやり方があってですね、違法ドラッグを高額で買わせて廃人にしていく、という方法です。