ニッポンの「上級国民」~東京都世田谷区・大場家①~

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By Jun mishina

今年4月、豊島区東池袋で旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(88歳)が運転する自動車が暴走。母親と3歳の女児が死亡した他、多数の重軽傷者を出した。この悲惨な事故はまだ記憶に新しい。通常、死傷事故は運転手が過失致死傷などの疑いで逮捕されることが多い。ところが飯塚氏は逮捕されなかった他、メディアの呼称も敬称や肩書きだ。飯塚が官僚で叙勲歴もあったことから何らかの「配慮」「忖度」が働いていたとの憶測が飛び交った。そして誰ともなく言い出した。「飯塚は上級国民だ」と。飯塚が上級国民なのかはさておいて、この国には政治力・行政への影響力・実業・資産・ネームバリュー、全て備えた一族が存在する。そして今回、紹介するのが東京世田谷区の大場家だ。

「上級国民」。本題に入る前に本稿で言う「上級国民」を定義しておこう。そもそもこの言葉、ネット上で生まれたスラングだ。概念としては理解できるが、どういう定義付けられているのか検索してみる。するとどうもWikipediaでは編集合戦が起きたようで削除になっていた。

そこで『ニコニコ大百科』、その他のまとめサイトなどを読むと造語に至るにはこうした経緯があった。2020年東京五輪のエンブレムデザインで盗用が指摘されたアートデザイナーの佐野研二郎氏が「(デザインの専門家ではない)一般の国民の方々」と発言した事をネット住民が「上級国民」と逆手に取って命名したようだ。そうした不満やストレスが蔓延する中で、飯塚院長の事故が起きたため一気に「上級国民」という用語が広まった格好だ。

5月に大津市で16人の保育園児の死傷事故を起こした女性ドライバーは逮捕され飯塚は“ 放免状態”だ。同種案件でこれほど処遇に違いがあるのだから「上級国民」との批判が起きても無理からぬことだ。

あるいは同氏に限らず政治家、芸能人、著名人などのトラブルに対しては「上級国民」が使用されることもある。単に富裕層という意味ではなく政治的、行政的、司法的に「守られているのではないか」という疑問が投げられ「上級国民」と揶揄される。『上級国民/下級国民』 (橘玲・小学館新書)という書籍が刊行されていることからも、ネット以外でも「上級国民」は定着しているかもしれない。

本稿で扱う上級国民は以下の要素を重視した。

・国政・地方問わず政治的に影響力を有すること。
・地域経済にも関係していること。
・膨大な資産を有すること。
・地域的な知名度を持つこと。
・少なくとも二代以上、社会的地位・資産を受け継いでいること。

こう言ってしまえば例えば安倍首相、麻生財務相、鳩山元首相といった政治一族で話が片付いてしまうが、日本にはこうした著名政治家、経営者に限らず上記の条件を満たした「上級国民」が存在する。

東京商工会議所の役員も務める大場理事長。

世田谷代官以来の名門一族

東京都世田谷区は富裕層が多く在住する地域だ。特に同区成城、深沢、奥沢は全国屈指の高級住宅街として知られる。あるいは特撮映画の円谷プロダクションのスタジオがきぬたにあったことから怪獣マニアにとってはウルトラマンの町、桜新町は『サザエさん』の町、そういう顔も持つ。あるいは田畑があり野菜の無人販売もあり農村風の顔もある。様々な特徴があるがとにかく“ハイソサエティ ”なイメージが強いのは確かだ。そんな世田谷の「顔」というのが大場一族である。

現在、代官屋敷は工事で閉鎖。郷土資料館は入館できる。

世田谷区役所(世田谷区世田谷4)は昭和の名建築家・前川國男の設計によるもの。前川はモダニズム建築の旗手だ。第一庁舎はややもすると無機質になりがちな打ち放しコンクリートだが実に温かみと機能美を感じさせる。これにけやき並木のコントラストがとても美しい。

ここから世田谷通りに向かい駒沢公園通りを南下して、通称「ボロ市通り」を西に向かう。すると右手に世田谷信用金庫本店(大場信秀理事長)がある。正面玄関には武家屋敷風の門のような造形だ。その対面には世田谷代官屋敷と世田谷郷土資料館がある。大場理事長は世田谷代官の大場一族の第16代当主なのだ。

さて「世田谷代官」といったところでよほどの歴史マニアでもない限り初耳という人が多いだろう。江戸時代、彦根藩の飛び地領であった。大場家とは彦根藩世田谷領の代官だ。一説には世田谷大場家は平家一族の大庭景親の子孫とも言われる。 初代大場越後守信久は北条一門だった吉良家に仕え武名を挙げたが、北条氏の滅亡とともに帰農。しかし1633年、井伊家が世田谷領を拝領すると信久の孫、盛長が若干15歳で初代世田谷代官に任命された。そして大場一族の私邸が代官屋敷となりこの間、補修や再建を経て現在に至っている。

それから歴史エピソードとして世田谷代官屋敷前にある「ボロ市通り」についても触れておかなければならない。この通りは「ボロ市通り桜栄会商店会」として発展してきた。毎年12月15・16日、1月15・16日の4日間、開催される「ボロ市」は世田谷の名物。このルーツは1578年、北条氏政が世田谷新宿に楽市を認可したことだ。ボロの由来についてははっきりしないが、徳富蘆花の‎『みゝずのたはこと』の中で、草履の材料やつぎ切れに襤褸ぼろを買う者、とある。古くなったものにボロを織り込めば強くなる、そんなことからボロ市と呼ばれるようになったとか。

話を戻そう。世田谷領は水源に恵まれず稲作には不向きだった。このため農家は畑作や雑穀が中心だったが、なにしろ100万人都市の江戸がある。この地の百姓は野菜・果物などの青物を江戸に運び生計を立てていた。ところが宝暦から天明(1752~1787年)の干害、飢饉で世田谷は荒廃した。そこで復興に尽力したのが大場弥十郎景運だ。弥十郎は農村の復興に尽力したが、とても事務処理能力も長けた人物で出納帳簿などを丁寧に記録した。このため弥十郎の記録は『彦根藩世田谷代官勤事録』として刊行されているなど、貴重な資料である。その後、大場家の代官職は13代目、信愛まで続いた。

なお井伊家と言えば“ 井伊の赤備え”、徳川家の先鋒を任された一族だ。ところが戊辰戦争では新政府軍を支持したため、藩は存続。世田谷領も彦根藩の支配下にあったが、1871年の廃藩置県で荏原えばら郡に属する村は東京府、多摩郡内の村は神奈川県に移管した。世田谷領は解体になる。

信愛の長男、信續のぶつぐは1952年、大正時代に設立された世田谷信用組合を「世田谷信用金庫」に組織変更し、初代理事長に就任した。また翌年には大場代官屋敷保存会を創設し同じく初代理事長になった。それからその次男、信邦が1961年、同信金理事長を継ぎ、現在は信邦の長男・信秀氏がの理事長だ。江戸時代にあっては代官の職にあり、そして今は地域の信金の理事長を務めている。ミスター世田谷と言っても決してオーバーでも嫌味でもなかろう。

莫大な区からの家賃収入

まさに華麗なる一族。世田谷区きっての名門一家の「大場家」だ。特に人口増加、開発が進み歴史遺産、郷土史、地域文化というものが薄れゆく東京でこうした伝統的一族が存在することはある意味では敬意を払いたくなる。ただそのことと「利得」「権益」とは別で考えたい。というのは世田谷区役所との関係にある。

世田谷区役所は本庁舎の第一、第二庁舎の他、第三庁舎・世田谷総合支所がある。その裏には通称、ノバビルとも呼ばれる分庁舎が建つ。第三庁舎からはなんだか迷路のような通路でつながっている。実はこのビルは大場代官屋敷保存会(大場信秀理事長)の所有であり、世田谷区からは毎年、保存会に多額の家賃が支払われている。

当初の契約は昭和63年10月1日から昭和74年3月31日まで、月額327万6982円(1㎡当たり月3620円)で、ノバ開発株式会社(世田谷区世田谷1-37-4)との間で締結されている。月額約320万円として年計算すれば3840万円が家賃として保存会に支払われてきた。

その後、平成15年4月1日に契約者の変更の申し出があったという。この時の契約者の名義は大信興行株式会社 (世田谷区世田谷1-37-4) となっているが、カッコ内の住所通り、所在地は変わっていない。さてこの住所は大場代官屋敷保存会と同じである。現在の大場邸からすぐのマンションに入居している。

最新の契約書を見ると賃料は月額397万5300円に値上がりした。年に換算すれば約4700万円という膨大な家賃だ。ところが長年、世田谷区議会では庁舎機能の分散が問題になっており、買い取りかあるいは他地域の移転も検討されてきたが現在に至っている。当然のことながら保存会としてはこの家賃収入がないというのは大変な痛手に違いない。

保存会と世田谷区の最新の契約書面の一部。

だからこのところ流行りの「忖度」が働いた、と。こう考えている関係者は少なくない。2013年、区幹部に 保坂世田谷区長の後援会「未来をひらく会」の案内を配布したことが問題視された。同会はいわゆる政治パーティーのことだったが、呼びかけ人の名前だけ列記されていたという。大場信秀―――。この名も呼びかけ人に含まれていた。「忖度」が働くに十分な背景があると思えてならない。(続く)

社民党出身だが、地域の財界からも支援を受けている保坂区長。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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ニッポンの「上級国民」~東京都世田谷区・大場家①~」への3件のフィードバック

  1. .

    記事と無関係なコメントで失礼します。「バロン」探訪動画を興味深く拝見しました。植垣氏は出所後に朝鮮族の中国籍女性と結婚し離婚しましたが、23歳の女性が56歳の元服役囚と結婚した理由がよくわかりません。何か政治的な背景があったのでしょうか。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      スナックのお手伝いをしていた女性のことと思いますが、おそらく政治的な背景はないと思います。

      返信
  2. kohtei

    示現舎は詳しいね。
    ブラタモリ東京世田谷編
    大場家大場信続(14代目)、ボロ市を守り続けて来た
    世田谷代官屋敷大場信秀(16代目)から飛んで来た。
    #ecdb5c48f30d13de68a4022a09de6e23

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