菊池山哉の『長吏と特殊部落(上)』にはこうある。
本郡は江戸初期設置された中仙道が、南北に縦貫する。今曲輪の踏査に當って、中仙道の西側を、南から初めて、北に進み、郡界箕田村から、東側に移り、南下して新郷村に終る事とする。
○白幡の曲輪は、中仙道に座して、浦和町の南端に位する。
○白山神、社殿は大きい、神體は鏡、棟札はない。
○農家10戸許り。
○豊多摩郡の白幡にも、白山神社がある。白幡と白山と、何か關係があらうか。
ここは和名抄堀津の郷であらう。直ぐ北辻町に、式内調神社がある。但し中仙道の開通は、慶長年間であるから、ここへ出だのは、其後であらう。草創の事は分らない。
昔白幡村そのものが、曲輪であったかも知れない。寺を醫王寺と稱し、金子内匠なる人が、藥師堂を建て、醫王寺は其別當寺と云、鎭守八幡社の境内には、10抱への老杉があったが、明暦2年の大風に倒れたと云。古村には違ひない。
別の記録では5戸で靴を作っていたとも。
結論から言うと、菊池山哉はあからさまな間違いを書いていた。


