【事件探訪】三重県津市・橋北中学校 水難事故現場を歩く

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By 三品純

1955年7月28日に三重県・津市立橋北中学校の女子生徒36人が同市中河原海岸で水泳授業中に溺死した「橋北中学校水難事故」は今でも各種メディアで取り上げられる。一つに突如、発生した「異常流」の検証、また溺れる女子生徒を防空頭巾をかぶった何かが海中に引き込んだという心霊・オカルト話である。ご承知の通り現在、当サイトは津市自治会長問題について取材中だが、この中河原付近もまた対象エリアだ。せっかくの機会なので事故現場を訪問してみた。心霊話が発生したのはどうも戦前の悲劇が影響したようだ。

防空頭巾、モンペ姿の霊の原点

同事故はドギュメンタリ―風バラエティー番組等でもたびたび取り上げられてきた。また古くは少女漫画家・丘けい子さんが事故をモチーフにした『海を守る36人の天使』(1967年)を週刊マーガレット誌上で発表。この当時の少女漫画は「悲劇」を扱った作品が多いが、本作は海難事故という悲劇をドギュメンタリ―タッチで描いた。丁寧な心理描写や事件経過の追跡等、事件を振り返るには絶好の資料だ。同氏HPで無料公開されているのでぜひご一読を。

現在、現場の浜は遊泳禁止区域。遠浅の海が広がりどこか無機質な浜だ。事件の記憶を留めるものは「海の守り」女神像がある。映像を参考に。

オカルト好きの間ではいまだに「心霊説」が根強い。NHK「幻解!超常ファイル 夏の心霊スペシャル第3夜「日本最恐!心霊スポットの真実」(2018年7月26日)は地元でも話題になっていた。同番組では当事者にも取材し、一部週刊誌の「飛ばし記事」という見方を示したがこれが真相であろう。

では「防空頭巾の心霊」は一体、どこから生じたのか? 先の自治会長取材の中で偶然、1945年の津市空襲を知る土地の古老と出会った。やはり古老も水難事故の噂を知っていたが「心霊現象」については一笑に付した。しかしそのような噂が出るのも無理はない、と戦時中を振り返る。

第二次世界大戦中、津市は香良洲飛行場敷地に旧三重海軍航空隊が置かれた軍事上の重要拠点だった。このため米軍の攻撃目標になり、1945年には大規模な「津空襲」が起こり、市内の大部分を焼失、死者は全体で約2500人。B29爆撃機による凄まじい空襲だったという。

「ほらアンタ、爆撃機だけやあらへん。グラマン(米艦上戦闘機)が頭の上を通ったんやにぃ」

そして被害を拡大させたのは「焼夷弾」だったのだが、なにしろ抵抗する術もなければ情報も乏しい。

「焼夷弾って分かるか? あれはな、水なんて関係ないわ。なんでも焼いてまう。空襲が起きた時に長谷山(市中心部西)へ逃げた人、それから中河原付近の浜に逃げた人がおった」

もちろん著者は焼夷弾の恐ろしさなどは知る由もない。戦争映画・ドラマ、小説の世界のものだ。しかしどちらかと言えば海側に逃げた方が助かる気がするのは浅はかな発想だろうか。

古老は「長谷山に逃げた人は助かって、浜に逃げた人は焼け死んだ。焼夷弾は海や川なんて関係あらへん」と話す。つまり中河原付近の浜に防空頭巾やモンペを着た人が多数、焼死したと推定できる。

津空襲の記憶は後世でも語り継がれるが、萩原量吉元三重県議によれば

空襲警報聞こえてきたよ。いまは僕たち小さいから大人の言うことよく聴いて、慌てないで騒がないで入っていましょう、防空壕

市内の子供たちはこう歌いながら避難したという。朗らかな歌詞だが恐怖の中でこれを歌う‥。表現できない痛ましさが込み上げる。

住宅街の中にひっそりとたたずむ海の守りの女神像。粗大ごみを置かないでほしい。
遠浅の海。

こうした犠牲者がやがて「防空頭巾の霊が足を引っ張る」という話につながっていくのだろう。しかも事件年代を考えると空襲の記憶はまだ多く市民に刻まれていたと思われる。

「ここらの海は遠浅だから一見、穏やかそうに見えるけど離岸流ちゅうて強い波が起きるよ。それで工業が発展してから赤潮が発生するやろ。そうするとコチ(魚)でも貝でも、こんな大きくなる(手を広げて)。ほんでみんな獲りに行くんだけどドボっと足が水底に引っ張られたような気になる。泳いだり、入るのは向いてない海やな」

訪問したのは10月だから海水浴シーズンではないが、季節とは無関係に荒涼とした浜である。

なお先ほど記した丘けい子さんの『海を守る36人の天使』のラストシーンで広い浜の中にポツンと女神像が置かれた描写があった。しかし現在は堤防ができて像は堤防の内側、住宅街の中だ。開発が進み風景も随分、変わったわけだ。像の付近には雑草が生えるが砂地も確認できた。つまりこの付近も浜だったことが見て取れた。

他でも話を聞こうとおそらくは事故の犠牲者と同世代と思しき女性にも声をかけてみたが

「ごめんね、私、嫁いできたもんでよう分からんの」

この一帯は戦後、開発が進み工場、トラック会社、資源回収業、なんでもやれたということで他地域から住民が流入してきたのである。時代は進み風景も変わったが津空襲も水難事故もぜひ地元で語り継いでほしいものだ。

三品純 について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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