川崎市の武蔵小杉駅近くにある「川崎平和館」で1月29日まで企画展「レイシズムにさよならを」が開催されている。15日には「語り場 レイシズムにさよならを」というイベントが開催された。
川崎と言えば、川崎区桜本近辺など、在日コリアンが多いことで有名である。ということは、当然在日コリアンがメインのテーマになるのではないかと期待して、イベントに参加してみた。
ご承知の通り、示現舎は川崎市にある。川崎市は南北に細長く、南部と北部で全く様相が異なる。川崎と言えば労働者の街というイメージがあるが、それはもっぱら南部のことで、在日コリアンが多いのも南部だ。それに対して北部は小田急線が通り、新百合ヶ丘などの、どちらかというと高級なイメージのある住宅地が広がっている。
昨年の6月に桜本で「川崎発!日本浄化デモ」というものが企画されたが、裁判所の仮処分で一部地域でのデモを差し止める決定が出されたのが記憶に新しいところである。
さて、川崎平和館にやってきた。武蔵小杉駅からは歩いて10分くらいのところにある。
まず目についたのが、北朝鮮の拉致問題についての特設コーナーである。「人権」にからむ施設では必ずと言っていいほど拉致問題に関する物件が存在するが、ここは力が入っている。人権というとどうしても「左翼的」な展示物が多くなりがちなので、右側から攻撃されないように、魔除けというか一種のバリアーとして配置しているのではないかと勘ぐってしまう。
それはともかく、目的の企画展の会場に向かった。
企画展では、人種差別に関することが書かれた様々なパネルが展示されている。
人種差別とはまた別のカテゴリーだと思うのだが、部落差別の記述があった。全国部落調査のこともそれとなく書かれている。
見どころは、川崎市内の中学、高校で行われたワークショップの内容である。上の写真は全て公立学校のものである。子供を川崎市内の学校に通わせている方は見ておくべきだろう。
東橘中学校の「レイシズム防止憲法」も、神奈川総合高校の「神奈総のレイシズム禁止マニュアル」も、いかにもテキトーな内容である。そもそも憲法にもマニュアルにもなっていないが、あくまで中高生の学習の一環ということだろう。
このような教育にあまり意味があるとは思えない。「国境は作らない」と憲法に書いたからと言って、どの国も従うわけがない。「根拠のない情報を含むサイトの禁止」をすれば、宗教のサイトなどことごとく禁止である。基礎的な知識、科学的・合理的な考え方を学ばないと、自分たちで主体的に考えることはできないし、また「教師にとって好ましくない意見」というのは排除されがちだ。
1980年代、90年代の「同和教育」も概ねこのようなものだった。
早稲田大学のパネル。「山田ゼミのレイシズム防止マニュアル」の最後にある「血統主義から出生地主義への転換」は筆者も在日コリアンの問題を根本的に解決する現実的な方法はこれしかないのではないかと常々感じていることである。こうやって話題が出ているのだから、ぜひ「語り場」で語らなければなるまい。
そして、「語り場」が始まった。前に座っているのは在日コリアンのハルモニと支援者である。客席には神奈川新聞と毎日新聞の記者、他のほとんどはいわゆる「しばき隊」「男組」の方々であった。また、神奈川新聞の記者はヘイトスピーチデモをなかなか止められなかったことについて反省の弁を述べる一方、他の参加者からは「地元の新聞記者は腹をくくってやっている」と言われる一幕があった。記者というよりは、活動家という感じだ。
「語り場」の主な話題は、やはり桜本で行われた在日コリアンに対するデモと、それに対するカウンターでもである。あの人はヘイトスピーチに怒鳴って対抗してて凄かった、カウンターデモに参加しながらへらへら笑っている人がいて真剣さが足りない、時に暴力的なこともするカウンターデモは一時しのぎでしかないしこれで差別がなくせるとは思わない、などの意見が飛び交った。
語り場の司会者の三浦知人氏によれば、行政の在日コリアン対する施策について、行政に対して文句を言うことも「ヘイトスピーチを同じ構図」だと言うのだ。1980年代くらいは、そういうことはこっそりと行われたが、最近は堂々と「朝鮮人死ね」と言うようになったことが今と当時との違いだという。
そして、最後に質問タイムがあったので、早速筆者は例のことを聞いてみた。
「もし、国籍法を改正して出生地主義にして、次の世代から在日コリアンは日本国籍にするしたら、みなさん賛成ですか? 賛成の方は手を挙げてください」
何人かが手を挙げたが、その直後に客席にいた男性に、「ちょっといいですか」ともの凄い勢いで遮られた。
朝鮮・台湾人の日本国籍は、戦後に国会で議論されずに勅令で剥奪だれたので、そのことに触れることなく議論するのは違うというのである。そして司会の三浦氏は、「この問題の議論には時間がかかるので、ここでは扱わない」として打ち切った。ハルモニたちも「そういう問題でないよね」と頷いている様子だった。
後で、筆者を遮った男性に「国籍法の問題はやっぱりタブーなんですか?」「こういった事は、どこで議論されるのですか?」と聞いてみたが「私は在日ではなく日本人なので、よく分からない」という返事。「議論しないなら、現状維持に賛成することと変わりないのでは?」と畳み掛けると、「あなたとは議論しない」と断られてしまった。
やっぱり在日と国籍法の問題はタブーなのだろうか。
「”あなたとは”議論しない」という言い方からすると、問題提起したのがあの『全國部落調査』の鳥取ループであるということを、相手は知っていたのではないでしょうか。
その可能性はあると思いますが、私でなくても遮られていたと思います。
人権施設に拉致問題の展示物は多いんですか?
私の印象では、人権絡みの公共施設には必ずと言っていいほど拉致問題のポスターなどがあります。
あと、川崎市の人権関連の部署の職員はブルーリボンバッヂを付けています。
法務省が人権課題に拉致問題を入れていますからね。
ただ、本当に拉致問題を解決したいなら、外務省が対応する事案であるはずで、
法務省案件になっているのは、拉致問題が社会運動標榜ゴロに利用されているという認識があるからでしょう。
民団でも総連でも、「同化は拒否する」という基本スタンスで結論が出てますよね。
日本国籍に変更したら、日本の法律はもちろん、道徳、歴史、価値観など日本の全てを受け入れ、全てに従わなければならない。それでは、せっかく築き上げたスパイ・ネットワークが崩壊・消滅してしまう。
スパイとは、「本来そこにいるはずがないのに、なぜか存在している人」のことを言います。国籍が違うというのが、チェック・ポイントになります。在日は在日であり続け、しかし、日本社会のあらゆる現場に「なぜか必ず存在する」ことにより、スパイとして活動できるのです。
日本政府の仕事でも、一般の公務員が他の職場に一時的に移動するときは、その期間だけ転籍します。しかし、公安職員が他の職場に潜り込むときは、公安職員の身分を保持したまま、ターゲットの職場に座席を得ます。同じ仕組みです。
在日の活動には特徴があります。「在日には日本で生活する権利があると叫ぶ」「日本人だけのサークルがあれば、執拗に中に入れろと叫び、最後には必ず入る」「在日を排除することは禁止と主張」などなど。スパイの仕組みを知っていれば、これらの主張は全て、「在日とはスパイである」と叫んでいるも同然です。
韓国については、盧武鉉大統領が在日同胞は帰化するべきという趣旨の発言をしていました。
北朝鮮では、日本からの帰国者は蔑まれていたと聞きます。
スパイをしたいのであれば、日本国籍を持っていてもできるし、むしろその方が有利だと思います。
もはや誰にとって利益になるかというより、一部の在日の「意地」の問題になっていると私は思います。
解放出版社の『放置された1000部落』52頁に「一九三五年調査」の名前で『全國部落調査』が引用されています。清水定一郎『郷土の「むら」の形成と発展 川崎町部落解放史』96-97頁の「1933年 同和地区人口調査」も出典は『全國部落調査』です。
「『全國部落調査』に学術的価値なし」という解放同盟の主張は、ここでもまた破綻しています。
ありがとうございます。要調査資料に加えておきます。
出生地主義に賛成して手を挙げた子供たちが後日「特別な教育」を受けることが無いように願うだけです。
手を挙げたのは大人ですので、ご安心ください。
武蔵小杉の施設に拉致問題の展示があったりというのは、横田夫妻が川崎市民であるというのが大きいかなと思います。
そうか、横田さんって川崎市民だったんですね。納得です。