3月16日に辺野古沖で事故死した抗議船「不屈」の船長、日本基督教団・金井創牧師をきっかけに同教団が注目されている。日本基督教団は反基地のみならず反原発、従軍慰安婦など歴史認識問題、死刑廃止の取り組みなど宗教団体というより、政治団体や左翼セクトのようだ。そして部落問題も教団にとって重要な活動テーマ。『早稲田奉仕園』『日本基督教団部落解放センター』(大東市)を中心に左翼闘争、解放運動を続けている。(写真=東京・早稲田奉仕園前)
令和日本のラスコーリニコフたち

「一つの微細な罪悪は、百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は人類の進歩のためなら良心の呵責なしに殺人することすら許される」
世界的文学作品『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフは独自の境地に至り殺人を犯した。昨今の左翼活動家、野党議員、マスコミ記者、環境団体を見ていると、ラスコーリニコフが重なって見えてしまうのだ。転覆事故直後のヘリ基地反対協議会の不遜な態度。そして遺族の悲しみが癒えぬ中、左翼文化人、マスコミ、活動家は「平和学習」の意義を訴え、犠牲者の高校生を侮辱するような言動も散見された。一連の反応は反体制無罪を思い起こさせる。
転覆事故で死亡した金井創牧師からもそんな態度が伝わった。
反対闘争の中で金井氏は配送業者を妨害したとSNSに投稿。何の権利があるのか不思議でならないが、自分が描いた正義を達成するなら許されるという独善的な思想だろう。

金井氏は2006年に沖縄県南城市の「佐敷教会」に赴任して以来、基地建設阻止行動に関わってきた。牧師は一般の会社員のように異動があり、定期的に諸教会へ赴任するものだ。ところが金井氏の場合、20年も沖縄に留まり反対活動に従事してきた。労組風にいえば専従牧師といったところだ。
日本基督教団は共産党、新左翼と同等の存在といっていいかもしれない。本部の東京・早稲田の「日本キリスト教会館」は左翼活動の発信源だ。
本土出身の牧師が20年も沖縄に留まり基地反対活動に身を投じ、その上、抗議船の船長を務めた。一体、何の職業なのか、またこのような状況を続けさせる教団も理解できない。
金井氏の活動に対しても、関係機関や専門紙が支援・後押ししてきており、日本基督教団としても責任が問われる。
日本基督教団は事故後、3月17日に「辺野古沖船転覆事故について」と題して、網中彰子総幹事名で声明を発表。その中で「辺野古沖船転覆事故」対策本部を設置したことも明かした。
辺野古沖の船転覆事故において亡くなられた高校生とご家族、ご関係者の皆さまに心より慰めをお祈りいたします。日本基督教団は事故の一報を受け、3月16日(月)16:30に教団役員会において総幹事の下に「辺野古沖船転覆事故」対策本部を立ち上げました。深い悲しみの中におられる高校生のご家族のため共にお祈りください。
対策本部ではどのような活動を行うのか?教団事務局はこう回答した。
「まだ祈りの段階でまだ報告書などは出せていません。(事故について)調査している段階です」
教団として総括できるのか興味深い。
攻撃的な主張の一方で「愛」「寛容」「赦し」
日本基督教団の牧師たちは左翼活動家のように反戦、反核、人権を声高に叫ぶ一方、「愛」「寛容」「赦し」といった普遍的価値を訴える。社会運動にキリスト教倫理を当てはめるから、字面だけは妙に真理らしく伝わるものだ。
特に教団は解放運動と反靖国神社に取り組むが、靖国神社問題特別委員会が発行した『ヤスクニもんだいってな~に?』の記述にその一端が垣間見える。

「ある国が一方的に攻めてきたらどうしようと心配する人がいますね」という問いに対して「そんなことがあろうとは思えませんが」と断言する。
なぜそう言い切れるのか。根拠はなんだろうか。北朝鮮からのミサイル発射、中国艦船による領海侵入、日本基督教団にとってはこうした行為は「脅威」でも侵略の危機でもないようだ。
こう続く。
「たとえそうなっても、その暗闇の中で主なる神のみ国こそ輝く光です」
言葉だけは一見、平和的、人道的ではある。だが攻撃を受けた場合について、何らの答えや対応策を示してはいない。言い方は悪いが綺麗事、絵空事だ。強い政治メッセージの後で突如、聖書の独自解釈を持ち出すのはキリスト教団体の典型的な主張スタイルだ。
教徒やシンパの間では共鳴し合えるのだろう。現実社会で通用するのか一度、路上で説法してみるといい。十字架の下で仲間と気勢を上げるだけのエコーチェンバーに過ぎないことを実感するだろう。
日本基督教団部落解放センターの規約に上田卓三の名

解放運動と反靖国を重視するのは日本基督教団だけではない。日本最大級の仏教団体「真宗大谷派」の教師修練でも部落問題と靖国問題が重視されている。大谷派も僧侶の発言をめぐり部落解放同盟から糾弾され「解放運動推進本部」を設置した。
糾弾からの専門機関の設置という流れで影響下に置いたのだ。
日本基督教団と部落解放同盟との関係史をひも解く。1974年の「豊中教会代務牧師部落差別発言」をきっかけに1975年、大阪府、大阪市、東京都の同和対策担当部門が仲介して解放同盟と教団が会合を持った。いつの時代も行政とは運動体の補佐役なのだと痛感する。
その後、日本基督教団内の文書にも差別的な表現があったとして、1975年5月15日、教団は部落解放同盟から糾弾。その後、教団は部落差別問題特別委員会の設置を決定した。
さらに1978年の第20回教団総会で継続的に部落問題に取り組むと決議。その「取り組みの徹底継続」を実現するために設立されたのが「日本基督教団部落解放センター」なのだ。
同センターは部落解放同盟の影響下にあったことははっきりしている。『部落解放一万二〇〇〇キロの旅 走れキャラバン』(日本基督教団出版局)が詳しい。
外部団体である解放同盟の力を借りるという、これはやや強引なやり方であったかも知れないが、こうでもしなければ、当時の教団ではセンター設置は決められなかった。反対する側の理論ばかりでは部落解放は進まない。「机一つ、電話一本でいい」と訴えた主事今井数一さんの叫びが今も私の耳にひびいてくる。京都の被差別部落の中で生きている働き人の某氏でさえ、反対された時は、ショックだったと話していた。
解放同盟、または朝鮮総連、民団もそうかもしれない。彼らは行政に対して〝活動拠点〟を求めるものだ。そうして得た権利は〝勝ち取ったもの〟と運動の成果だと誇る。
また『日本基督教団 実録教団紛争史』(小林貞夫著)によると同教団教憲教規集には解放運動の原点になったとして上田卓三元衆院議員、元部落解放同盟委員長の名が出てくるという。
「人権、中小企業、国際交流の上田卓三」と公言した、上田は商工団体「大阪府中小企業連合会」(現ティグレ)を創設。同和事業から利益を得るスキームを考案した。
『日本基督教団 実録教団紛争史』によれば当時、解放同盟はキリスト教社会運動家、賀川豊彦(1888~1960年)の『貧民真理の研究』の記述を取り上げ、キリスト新聞社、教団出版局に出版停止を求め抗議活動を行った。
著者の小林氏が1989年、常議員会に参加した際、「賀川豊彦と現代教会」が中心議題で部落解放センター委員が常議員全員に感想文を要求。その際の配布資料の一つ、西中国教区部落解放セミナー報告にはこう書かれていた。
「我々が今取り組まねばならないのは、賀川を手がかりに現代教会を批判するというよりも、むしろまず、賀川という偶像を毀することに全力をふるわねばならないのではないか。天皇、賀川、ヒットラーは同じ系列につながる偶像であることを知らねばならない」
小林氏はこの主張に反対したが、20名ほどの常議員が支持した。他にもセンターからの主張は非常に過激なもので「聖餐式は差別であり、洗礼も差別を招く」といったものだ。
聖餐式(せいさんしき)とはキリスト教の礼拝の中心となる儀式で、イエス・キリストの「最後の晩餐」に由来する。洗礼は水を用いて罪を洗い清め、キリスト教の信者となるための最初の公式な礼典である。つまりキリスト教のアイデンティティに関わる儀式も否定しようというのだ。
日本の根幹をなす皇室、家族制度の廃止を求める解放同盟や左翼団体の主張と酷似する。
賀川豊彦は当時、「三大聖人」として「カガワ、ガンジー、シュヴァイツァー」と称えられたほどで、キリスト教徒にとっては象徴的な人物だ。賀川を否定させられた当時の教団関係者にとっては屈辱だっただろうが、教団は解放運動という外圧に屈した。
暴力を容認、外には平和を説く原点はこれだ!
解放センターの設立は日本基督教団が左翼活動に走った過程がよく分かる。
金井牧師だけではなく過激な活動に走る牧師が存在するのは、教団の歩みからすればむしろ当然のことだろう。それにしても攻撃的な言動の一方で「愛」「寛容」「赦し」を説く姿は不気味である。
この原点は一体、どこにあるのか。『日本基督教団 実録教団紛争史』にその一端があった。
安保闘争、反大阪万博闘争の後、中核派が教団の乗っ取りを狙ったという。
1974年の「三菱重工ビル爆破事件」に対して「東アジア反日武装戦線諸氏らへの死刑・重刑攻撃に抗議するキリスト者の会」を結成。教団幹部らも賛同し、教団新報に声明を発表。
この状況を小林氏はこう述べた。
この人々が中心になって、教団内では暴力を容認しながら、外に向かっては平和を強く主張し、戦責告白に生きるべきだと主張し続けたことになる。客観的に見れば、許容できないものであり、説得力を持てなかった。このような歴史が、教団史に二十年間分は記されることになってしまった。
こうした教団の歩みを考えると金井氏だけが特別な牧師ではない。むしろ彼は日本基督教団の活動方針に従い実行した〝殉教者〟かもしれない。
教団側は3月16日に「辺野古沖船転覆事故」対策本部を設置したが、どのような検証が行われるのかは不明だ。事故を契機に教会による政治闘争、直接行動に一定の歯止めをかけるだろうか。
筆者はむしろより過激になっていくと予想する。仮に内部で苦言した場合、「右翼」「反動」などと糾弾されるだろう。そこに教団とは無関係な活動家までが介入してくる可能性もある。しかし純粋にキリスト教を尊崇する信徒が政治闘争を受け入れるのかは別問題だ。
かつては「多くとも人口の1%」と言われたキリスト教。ただでさえ信徒が減少する中で、人口の1%どころか残るのは左翼活動家か解放運動家という末路が目に浮かぶ。




平和主義 言ってるくせに 火炎瓶