本サイトに、幸手市を訪れて欲しいとのコメントがあった。場所は幸手駅の西口、精神病院の裏手にカモフラージュされた白山神社があるという。その周辺だけ周囲よりも雑然としている。
ここが上高野村の西組という古村ではないのかというのだ。
精神病院とは東武丸山病院のこと。
その裏手から2ブロックほど先の場所は、確かに雑然としており、どこが道で家の敷地なのか曖昧な場所がある。
近くに「さつき会館」という自治会館があり、その傍らの小屋の中には、分かりにくいが確かに白山神社がある。近所の人に聞いてみると、古くから住んでいる人は氏子だけど、神社の由来は誰に聞いても分からないという。
「歴史的行政区域データセットβ版」で確認すると、ここは微妙な場所にある。旧上高野村の境界線から、北側にわずかにはみ出しているように見える。しかし、歴史的行政区域データセットは正確に行政区域の範囲を示しているわけではない。
さきほどの住民に聞いていみると、確かにここは上高野村だったという。ということで、村はずれではあるが、一応は村内であったのだろう。
松本という名字が集まっているというコメントもあった。確かにここにあった古村の箇所に多いように見える。ただ、ありふれた名字なので、確証が持てない。
古くから住んでいる老人に聞いてみた。すると、確かにここは上高野村西だという。ただ「忙しい」ということで、それ以上のことは話せなかった。しかも、これは何かを隠しているように感じた。
ともかく「南」という住所表記になっているが、上高野村西だったということは間違いない。付近には東西南北中という地名があるが、これは幸手市になってから新しく付けられた地名で、昔の地名とは無関係なのだという。
ほぼこの時点で確信に近かったが、念の為「セカンドオピニオン」が必要だろう。
少し離れたところの住民から詳しく聞くことができた。確かにあの白山神社付近が上高野村西である。子供が隣の久喜市の小学校に通っていて、人権教育として過去を蒸し返すような授業が行われたとき、「寝た子を起こすなと先生に答えておけ」と言いつけたという。そのようなエピソードを話してくれた。
「西カブ」という呼称もあったという。カブの漢字はわからない。
あの鉄塔の近くに、古村の人が働く屠場があったという。付近の川が赤く染まっていたこともあったそうだ。屠場の経営者は「渡辺さん」という人で、地域の有力者だった。ただ、その人も既におらず、家も残っていないということだ。
市の資料を見ると、かつての上高野村は中5丁目を東西に流れる小河川より南側ぐらいだったようです。よって中5丁目の南半分、南3丁目全域も上高野村でよろしいかと。
なお本古村 w は日光街道沿いの集落から少し外側の立地ですなぁ。※黄色・日光街道、緑色・日光御成道
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私も過去の航空写真を見て、街道沿いの町の裏手というのは、ありそうな立地だなと思いました