再現ドラマ「部落解放同盟 日之出支部 セクハラ事件」

カテゴリー: 教養, 調査 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

かつてネットでも大いに話題になった部落解放同盟日之出支部セクハラ事件の再現ドラマを公開しました。2004年から2008年にかけての出来事ですが、当時はメディアが解放同盟の不祥事を採り上げ、議論が出来た時期でした。

2004年10月2日、表西貴文 部落解放同盟日之出支部長の、解放同盟大阪府連への転任を祝う宴席でのことでした。
その日、初対面だった前支部長の津本さんが、酔っ払う前から私に絡んできたのです。
津本「水谷さんのヌード写真を撮って売り出そう。」
水谷「え、どういうことですか?」
津本「日之出支部の資金を稼ぐためや。」
水谷「そんなの嫌です。」
宴席には、今の山口県人権啓発センター事務局長の川口泰司さんをはじめ、20人近くの参加者がいましたが積極的に 津本さんを止める人は誰もいませんでした。
私は水谷麻里子キャロライン。
ずっと市民運動をしていた縁から、ある人の誘いで、新大阪駅近くにある日之出地区の同和事業窓口団体大阪市人権協会日之出支部の職員になりました。
部落解放運動をする団体というつもりで入ったのですが、現実は違いました。
私のように、外から引き抜かれた人は、まあまあやる気がありました。
しかし、部落住民の子というだけで入った人や、大阪市から出向した人たちはそうではありませんでした。
はっきり言えば、人権問題を仕事にするには程遠いレベルの感性の持ち主がほとんどでした。
そして、21世紀になっても、このような昭和時代の町内会のようなノリでした。
津本「きょうは、水谷さんの自尊心をボロボロに傷つけたろうと思とったんや。」
酔っ払った津本さんの発言はますますエスカレートした。
表西さんは腕を組んでしばらくその様子を見ていたのですが、津本さんを止める体でこんなことを言ったのです。
いや、津本さん、30の女のヌードなんて売れんやろ。せいぜい24, 5歳までや。
おまえ、もう三十路前か、三十路前の女なんか、何されても喜ばなあかんで。
水谷「いい加減にして下さい。」
私は本気で怒っていたし、深く傷付いていました。
私はハーフであることで、幼少期から差別を受けた経験があり、そのことが一番心の傷になっているので
もし私がハーフであることまでセクハラ発言に混ぜてきたら、お店にあったワインボトルを割って相手を突き刺してしまうかもしれないというほど、極限状態にありました。
店員「お客さん、もうええ加減にして下さい、嫌がっとるやないですか。やめましょうよ。」
何と、ようやく止めに入ったのは、二次会の店の店員だった。
1ヶ月後、私は山中多美男さんに相談しました。
山中さんは障害者福祉団体の理事長をしていますが、山中さんこそ私を日之出支部にさそった人で、兄弟で初代支部長の大賀正行さんと一緒に支部を創立した1人でした。
私は、山中さんに1ヶ月前の宴席のことを話しました。
山中「何!津本と表西がそんなことをしたのか!」
山中さんは顔を真赤にして、お店のテーブルを叩いて激怒した。
山中さんは、津本さんと表西さんに反省文を書かせました。
津本さんは謝罪して、解放同盟の役職を降りた。
だから私は、津本さんは許すことにしました。
しかし、表西さんの反省文は文章にもなっておらず、何かを箇条書きしたふざけたものでした。
表西さんは役職にしがみついたままで、解放同盟大阪府連も、この問題を放置し続けました。
私はもう日之出支部にいたくありませんでしたが、表西さんが役職を降りるまで職場で戦うことを決めたのです。
そして事件から5ヶ月近く経った日、転機が訪れた。
きっかけは、朝日新聞の記者から取材を受けたことでした。
ある支部長「水谷さん、大変なことになっているよ。朝の8時から大阪市内の支部長が全部集まって会議をしている。」
2005年2月27日の朝日新聞の朝刊の反響は大きいものでした。
記事を見た他の人からも、私のところに電話がかかってきました。
女性「水谷さん、実は、私も同じようなことをされたことがあるんです。」
解放同盟の中には、私以外にもセクハラの被害者がいて、表西さんが関わっている別の件もありました。
被害の告発は女性からだけではありませんでした。
男性「俺なんて、飲み会の席でパンツ一枚で腕立て伏せをさせられました。
裸にされて、太っているのをバカにされた子もいます。」
今は府連委員長で、当時は書記長だった赤井さんもこのことは知っていたし、それどころか赤井さんも日常的にセクハラをしていました。
私はセクハラを受けた他の仲間と一緒に闘った。
しかし、職場で無視されるなどの嫌がらせを受けるようになりました。
水谷「はい、水谷です。」
怪電話「お前…解放同盟を売ったな、許さん、許さんぞ!」
私の仲間は、嫌がらせや圧力に耐えられず、1人2人と脱落していきました。
中には精神を病み、そのまま入院した人もいました。
結局最後まで闘ったのは私だけでした。
そんな私でも、ストレスで2回の初期流産を経験し、人権協会を退職しました。
そして、紆余曲折の末、「部落解放同盟日之出支部のセクシユアルハラスメントを糾す会」を開くことになりました。
実は事前に南方で同様の会を行っていました。
しかし、解放同盟上層部の役員が出席せず、話にならないので流会しました。
2008年3月23日、阪急淡路駅前の福祉施設に、私の言わば弁護団と、
赤井隆史書記長他の府連の幹部、川口さんを含む日之出支部の職員、そして表西さんが出席しました。
金光敏「今日はお集まりいただき、ありがとうございます、私が進行を務めさせていただきます。」
司会は弁護団のリーダーの、コリアNGOセンター理事の金光敏さんでした。
糾す会は表西さんと解放同盟の、ここ数年間のあまりにも酷い対応を糾弾するものでした。
部落差別のことになると とても熱心な同僚だった川口くんは、このセクハラの件に関しては最初から最後まで何一つできませんでした。
そして、会は表西さんの減給か、停職の処分で決まりかけました。
水谷「待って下さい!」
表西さんの辞職を望んでいた私は、マイクを取り上げて表西さんに直談判しました。
表西「分かりました、それでは、辞職します。」
後に知ったところによると、金光敏さんと赤井さんの間で、表西さんを辞職させないことで話がついていたことがわかりました。
しかし、「私」がこの場で表西さんを辞職に追い込むことは想定していなかったようです。
赤井書記長が顔を真っ赤にして激怒しながら、私の座っているテーブルを蹴って出ていった時の恐怖は、一生忘れないでしょう。
2008年4月5日に表西は依願退職し、この事件は一応の収束を迎えた。
なお、表西貴文は2023年4月9日の大阪市議会議員選挙に立候補したが、落選した。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)