曲輪クエスト(325) 島田市 松葉町

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By 宮部 龍彦

かつての名前は鶴ケ谷。菊池山哉は次の通り記している。

○島田の町から大井川を渡ると、遠州金谷の町である。即ち島田は駿河の西端である。こゝの曲輪は百戸に近い大聚落であるが、惜しい事に踏査を洩らした。

菊池山哉が訪れることができなかった部落を、筆者は踏査したわけである。

戦前の記録では戸数127。比較的大きな部落だが、静岡県にはこの規模を超える部落はまだいくつかある。

過去の航空写真を見ると、山際の土地に家が密集しており、農業以外の仕事をしていたことが推定される。草履づくりや、様々な商売をしていたようである。

平屋根で古いタイプの、ニコイチがあることから、比較的古い時期から同和事業をやっていたことが分かる。おそらく昭和50年前後の様式だ。おそらくそろそろ耐用年数に到達していると思う。空き家が多かった。

ただ、関西の同和地区と違うのは、ここは比較的活気があるように見えた。この昔ながらのタバコ屋は営業していた。関西の同和地区なら、このタイプの商店は大抵廃業している。

「金属くず商」と書かれ、日蓮宗の御札がある家がある。

ところで、この部落では筆者の曲輪クエストが話題になっていたようで、撮影をしていたら声をかけられた。またアイキャッチ画像の「島田市立福祉館あけぼの」を撮影したことについて、「なんで撮影してるんだ、あんた誰だ」と聞かれた。「曲輪クエストに来た、示現舎です」と言ったら「ああそうか」の様な返事であった、あれは何だったのだろう。

未指定地区であればそういうことはまずないのだが、静岡県であっても指定同和地区というのは、そのような警戒がされているようである。部落に限ってそのようなことをするのは、余計にここは部落だという意識を高めさせるだけだと思うのだが。

曲輪クエストが問題と言うのであれば、現地に隣保館があり、印象的なニコイチ住宅があるのだから、そのこと自体が既にインパクトがあるのではないか。筆者は繰り返し言っているが、同和施設は「顔面の入れ墨」である。それでいて曲輪クエストを非難するのは「俺の顔に入れ墨があることを公言するのはアウティングだ、差別だ」と言うぐらい異様なことである。

この、ニコイチを撮影されることが問題だというのなら、今すぐにでも同和事業を終わらせて、ニコイチを払い下げればよいのではないか? そもそも同和事業をしなければ、古くからの歴史ある村のままだったはずだ。実際、未指定地区である藤枝市岡部町内谷では撮影しまくっても、難癖つけられることはなかった。

同和事業は失敗だったと素直に認めるべきだ。無論、これは住民に責任があるわけではない。「部落差別は江戸幕府が作ったもの」というかつての通説は完全に誤りだが、近代の同和事業が現在いわゆる「部落差別」と言われるような問題をつくったことは間違いないので、今の政府こそが猛省すべきである。政府や運動団体は、そのような主張にろくに反論できないから、必死になって筆者を黙らせようとしているのである。

同和事業を続けること自体が住民の負い目となり、周囲にもよくない影響を与えている。それは、筆者が様々な部落を探訪して実感していることである。今からでも遅くはない。同和事業を返上すれば住民の意識も周囲の認識も大きく変わるはずである。実際そうなっている自治体はいくつもある。

無論、同和事業を返上しようと、未指定地区だろうと筆者は探訪するが。

この部落も静岡県の他の部落の例に漏れず日蓮宗である。

寺のそばにあるこの墓地。墓石の名字は、この部落のみならず、静岡県の部落全般でよく見かける名字の傾向と合致しているように見えた。

最近、マッポン!を強化した。有料機能であるが、最もデータ量が多い2000年の電話帳により分析できるようにした。その価値について、上の画像を見ていただければ、多くを説明する必要はないだろう。一人でも多くの研究者に活用され、地理・地誌・歴史学上の発見がされるべきである。

さらに奥へ進むと、鳥居があった。それに惹きつけられるように石段を登った。

そこにあったのは、法華経の守護神である七面大明神である。つまりここは、藤枝市岡部内谷にもあった七面堂である。

さらに奥には石段が崩れかけたお堂がある。

この名字も、さきほどの墓の苗字と同様の傾向だ。

中には何も残されていないようであった。これは、もう使われなくなった古い方の七面堂かも知れない。

部落地名が書かれた資料や、マッポン!のような強力なツールは研究者だけに提供されるべきという言説がある。実際、裁判所も研究者など限られた人にだけ提供するならいいというようなことを言う。

しかし、何をもって「研究者」と言えるのか。学問の自由は全ての国民の権利であるのだから、誰もが研究者になれるべきであり、恣意的に研究者を限定するようなことこそ「差別」であろう。

公園にあるこの表示版。松葉町は地すべりの危険があることが分かる。ただ、同様の危険があるのは松葉町だけではないことも分かる。

地域の改善が昭和54年に終わったという石碑。時期からすれば、同和事業として行われたことは間違いない。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(325) 島田市 松葉町」への3件のフィードバック

  1. 匿名

    自己陶酔型人間とは宮部氏のような人を言うのであろう。
    #99ade591527e414e4416449942396b7b

    返信
    1. 匿名

      子供の頃クワガタを取るのに近所の部落に入るとよく絡まれたりクワガタをカツアゲされたりしたけど大人になっても絡まれるのは勘弁願いたいな。
      #35cece504377edbd0ceadfddc47b218c

      返信