曲輪クエスト(339)長野県 佐久市 内山 “法観寺”

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By 宮部 龍彦

菊池山哉は次の通り記している。

○内山村の長さ東西四里、内山峠を越えて上州北甘楽郡下仁田に通する。途中七ツ許りの部落の咽喉を扼して居る。

○白山神、

○内山城には永正年中大井美作守玄岑なる人が在城した。天文年中武田氏に破られ、飯富虎昌が守備して居った。この曲輪が内山城に関係あるかないか詳かでない。曲輪の墓地は江戸時代のものらしくないが、さりとて証左となるべき遺物はない。九戸ばかり、その屋作りは甲州造りである。

今回訪れたのは佐久市内山の部落。法観寺とも、本郷とも、下とも記されている。

残念ながら雨模様の中の探訪となった。気になったのは枯れかけた竹。よく見ると実のようなものがついている。珍しいことだが、一斉開花して、枯れてしまう最中なのだろう。

菊池山哉が訪れたのは、おそらく戦中か戦前のことであろう。当時は9戸、また別の記録では11戸とある。職業は農業や藁工。

しかし、部落解放同盟長野県連合会による『差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み』に掲載された昭和38年の調査では、佐久市 内山町六 法観寺 31戸と記録されている。

一方、柴田道子『被差別部落の伝承と生活』には「32戸の部落であるが、勤めは1戸であった。戸主の職業は土建の下請け3戸、石工10戸、土方17、8戸」とある。おそらくこれは、『差別とのたたかい』と同じ時期だろう。

竹藪を抜けると、菊池山哉も訪れたであろう白山神社が見えてきた。

1948年頃の航空写真によれば、この白山神社周辺の少数の世帯だったようである。その直後に、田畑だったところに家が建って増えている。

前回の香坂の探訪でも触れたが『被差別部落の伝承と生活』には「内山は小諸の加増から平尾、香坂に出た」という証言が紹介されている。これは内山の一(はじめ)さんという石工によるものである。

加増の名字と言えば高橋。東信の部落に高橋が多いのは、やはり加増にルーツがあることが多いためだろう。

分布を1970年代の航空写真と重ね合わせた。赤い印が白山神社。戦前はこの辺りの家はもっと少なかったので、増加の理由は石工の仕事を求めての他の部落からの移住や分家が考えられるだろう。また、伊早坂という名字にも注目だ。これは佐久穂町高野町の部落の名字で、改姓のために今はほとんど残っていないが、高野町との交流の形跡を示している。

佐久穂町高野町でも、当地でも、「おたんぽ」という言葉があったらしい。これは死んだ馬のことだ。死んだ牛馬は焼却しなければいけないことになっていたが、部落住民が食用にするために肉を切り分けて持って帰ることが半ば黙認されていたのだという。

『被差別部落の伝承と生活』および『部落問題・水平運動資料集成』には、「おたんぽ」を巡って内山で起こった事件のことが書かれている。

1926年3月28日、法観寺在住の水平社同人の高橋和作という人物が、死んだ馬の肉を食べたとして警察に連行された。そこで小林という巡査が「貴様が先頭になって掘り出して食ったというじゃないか! だからチョオリッポはだめなんだ。世間の人がチョオリッポというわけがわかるか!」と発言した。

高橋氏が水平社佐久本部に通報しようとすると、小林巡査は50銭銀貨2枚を渡してなだめようとしたが、高橋氏は拒否。長野県水平社と、さらに東京水平社も応援に加わって3週間にわたる糾弾闘争に発展し、4月17日に小林巡査が免職となることが決まって決着した。

そのような歴史ある部落なのだが、今は空き家が多い。

このような廃墟を撮影すると、悪意があるかのように誤解されることがあるが、実際に廃墟が多い部落というのはあるのだから仕方がない。

法観寺という寺が存在したことを示す石碑。刻まれた名字をよく見ると、はしご高の「髙橋」である。

戦後は石工が多い部落だったというが、それを示すように石材店がある。部落民が石材店を経営していたのではなく、その従業員だったということのようだ。

部落の外れに採石場がある。この所有者も部落民ではなかったようである。これらは、名字から推定した知見である。

これが佐久市内山同和対策集会所。看板では同和対策の文字が省略されているが、紛れもなく同和対策である。

農機具保管庫の方には、同和対策事業と明示されている。そして、地区名が「内山町下地区」であることも分かる。

そこを過ぎると、昔は完全に田畑だった所に、比較的新しい住宅地がある。そして、山の方から爆音が聞こえ始めた。

これは紛れもなく、昭和50年代初頭の形式の公営住宅である。

ここに来ると、一層爆音が気になった。すぐ近くの山際に射撃場があるからだ。測定はしていないが、かなりの音。長野県は寒さ対策のために二重窓の家が多いが、それでもこの爆音はちょっとした公害だろう。

菊池山哉が記録した墓地は白山神社の近くにあったようだが、今はコンクリートで固められており、地蔵だけが残されていた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(339)長野県 佐久市 内山 “法観寺”」への9件のフィードバック

  1. 匿名

    文中
    >実際に廃墟が多い部落というのはあるのだから仕方がない。

    何故でしょう?
    1.過疎
    2.住環境
    3.差別
    4.他
    #9e7fe53bc366122d18189174cd7f6bba

    返信
    1. 匿名

      続き
      1.の過疎
      であれば、部落に限ったことではなので、特段、記事にする必要もないだろうし、悪意があると思われないと思うが。何故だろう?
      いずれにせよ少し中に入れば道路事情等貧困を匂わせる街並みであるね。

      #9e7fe53bc366122d18189174cd7f6bba

      返信
  2. 匿名

    部落に住んでることで差別されるということがあるのならわざわざ部落に残らないという選択肢もありそうですが。
    #35cece504377edbd0ceadfddc47b218c

    返信
    1. 匿名

      子供や孫たちのためと、部落から離れた人もたくさんいます。ほとんどの人は故郷を隠して生きてます。
      差別されるのが嫌だから出て行くと言う負の連鎖こそ差別の実態そのものでしょうね。
      また、自分の故郷でもあり先祖代々のお墓もある地をどういった気持ちで離れられたかと思うと悲しくなります。

      #891d31fb4f6f117e5c79898f6c3ac630

      返信
      1. 匿名

        いじめ問題でも昔は転校させるなんていうと、なんで悪くないいじめられた方が転校しないといけないのか、なんてことで否定的な風潮でしたが、最近はできるのであれば転校も選択肢の一つとする考えも早い段階で示されるとか。
        色々思いはあるでしょうがしがらみを捨てることで新天地でそれなりに楽になるなら悪くはないと思いますけどね。
        ま、それができなかった私自身のことを振り返っての思いですが。
        #35cece504377edbd0ceadfddc47b218c

        返信
        1. 匿名

          住所をかえても同じだと思いますよ。心の傷は癒されないし、バレるのではないかと不安をもって生きてる人が多いと思いますよ。親戚関係、知友人、関りを持った人、過去などをすべて切り捨てることなんて到底無理だし家族全員となるとなおさら(ここにイジメとは違う深い問題があります。)
          基本的に差別がいけないのです。
          その差別撲滅に示現舎は役立っているどころか、油を注いでいるのが実態。部落探訪なんて当事者が迷惑がってるのに。同和団体等の不祥事追及はやってもらって結構ですし、VS解同もご自由にです。
          しかし、関係ないほとんどの部落民を巻き沿いにして迷惑をかけていると言う自覚が示現舎にあるのでしょうかね。
          #9e7fe53bc366122d18189174cd7f6bba

          返信
  3. 興亜一心

    ここは自宅から50キロくらい。近々行ってみたいと思います。
    #3c5f140c22135fdd9c5d17a0e1277b98

    返信
  4. ピンバック: 曲輪クエスト(341)長野県 佐久穂町 高野町 相生町 - 示現舎