【熱海市 土石流】“同和系列” 天野二三男、力の原点は 秦野市にあった(後編)

カテゴリー: 熱海土石流 | タグ: , , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

前編に続き天野二三男氏がどのようにして「同和」を背景に強大化したのかをレポートする。神奈川県湘南地域から静岡県に至るまで広範囲に暗躍してきた天野氏。そのビジネスモデルは主に土地の乗っ取り、乱開発、盛り土といったところだろう。もちろん行政指導を逃れてきたのも「同和団体」の肩書きが効果的だった。しかし同和地区出身でもなく運動も素人同然だった天野氏がなぜ自由同和会神奈川県本部会長職に就けたのだろう。答えは簡単だ。前会長の伊藤玄勝氏から事実上、同本部を乗っ取ったのである。本来、天野氏にとって「伊藤玄勝」は恩人のはずだが仇で返していたとは――――。

秦野市議会でも天野氏は名指しで批判されていた

秦野市は海に面していないが意外にも「湘南」に含まれる。海はないが丹沢の麓に位置しており、地下水が豊富。名水百選の一つに数えられている。市内各地に湧き水スポットがあり、涼をとるには格好の場所だ。のどかな町に天野氏が触手が伸びたのは90年代半ばのこと。

市中心部から西の山間部に浄徳院(同市菖蒲)という曹洞宗の寺院がある。同院の墓地造成に絡み天野氏はトラブルを起こしていた。

まずは事情を聞こうと 浄徳院を訪ねたが当時の住職は亡くなっていた。現住職は当時まだ子供で、事情は全く分からないという。同寺の坊守によると市内の僧侶と開発業者が当時の住職に山林開発を持ちかけてきたそうだ。とにかく同寺にとって残ったのは傷だけ。思い出したくもない様子だ。

代わって近隣事情通氏の解説に頼るとする。

「市内の僧侶というのは伊藤玄勝さんのこと。それから開発業者というのはお察しの通り、天野二三男さんですよ。2人が浄徳院にやってきて“うちは同和団体をやっていて造成事業でも役所が優遇してくれる。ペット墓地も備えた霊園を造らないか。見晴らしもいいので景勝地にもなるかもしれない ”と住職を口説いたわけ」

その時に同和の名刺を差し出し住職を納得させたのだろうか?

「全国自由同和会(当時)かぁ。その名前は心当たりないです。だけど同和の名刺なんて要らないと思うなあ。なぜ? 伊藤さんといったら同和のことをやっている人で有名だったから。お寺のネットワークなんて狭いものですよ。当時、伊藤さんといったら“ あぁ(察する意味)”だったし」

ところが造成工事が始まると景勝地どころかトラブルが相次いだ。

「重機などは放置。おまけに造成地は山林だから土砂崩れが発生しました。土で埋まった畑も出て補償問題に発展したんです。だから熱海市の土砂災害が起きた時に知人がから電話があって“ あれ(熱海市土石流)は浄徳院の時の天野がやったんだって”というから驚きましたよ。なんで役所は放置したんだって」

同氏は続ける。

「住民説明会で部下は来るんだけど肝心の天野さんはいませんでした。妙な名前の会社だったけど。(縄文時代の登記簿を見せる)。それです。縄文時代ね。しかし代表者は別の人だったと思うけど、天野さんが事実上の責任者というのはみな知っていました」

当時、秦野市議会でも浄徳院開発が問題視されていた。07年熱海市議会の「同和系列」発言よりも厳しい口調で和田厚行委員(当時)から追及されていた。

同市議会平成11年度決算特別委員会(2000-11-16)より引用する。異常な開発状況が垣間見える。呆れる他ない。

農業委員会があそこへ天野さんというのが土砂をじゃんじゃん入れちゃって、農業委員会が体を張って止めたんですけれども止めきれなくて、その後浅見武さんの実家にあの土砂が崩れて浅見武さんの実家の畑のカボチャがこんなになってみんな埋まっちゃって(中略)

人が誰もが入れないように、そして小型ユンボを捨ててある。同じ業者です。それは天野という業者でございます。その業者がそういうふうにしているにもかかわらず、今回の事実上のこの縄文時代という会社ができたそうですけども、この縄文時代の社長は天野さんではありません。天野さんは裏のオーナーです。すべてを取り仕切っているのは天野さんです。その方が今回も三廻部に墓地をつくるんだということで土地の両方の地権者の了解も得ず、道路をつくちゃった。

農業委員会が体を張って止めるという辺り、凄まじい状況がうかがえる。すでにこの時代に「裏のオーナー」と見極められていたのは興味深い。
(なお同院の敷地の一部27㎡だけが不可解なことに秦野市の所有になっている。取得経緯について現在確認中)

地元住民たちが抗議する最中、またしても天野氏は雲隠れしてしまったという。結局はやりっぱなしという顛末で、同院は独自に解決せざる得なかった。もちろん責任は天野氏だが伊藤氏も関与したのは事実。地元では「熱心な解放運動の理論家」という声もあったが、その裏の顔を知らないのか、見て見ぬふりをしていたのか。

それにしても驚くのは熱海市議会だけでなく、秦野市議会でも天野案件が取り上げられたことだ。しかも秦野市に至っては「天野という業者」と名指しされている。あるいはこの時代に厳正に天野氏に対処していればあるいは熱海市伊豆山土石流も防げたかもしれない。

伊藤玄勝会長を「名誉職」で事実上のクーデター

運動家として一目置かれた伊藤氏だが、組織運営という点で天野氏の方が上手だったか。天野氏は自らが会長になった方がより事業にも役立つ。こう考え始めたのだろう。

元関係者が内幕を明かす。

「天野さんは玄勝さんを排除して自分が会長になろうと画策しました。もちろん任意団体とはいえ強引に乗っ取るわけにもいきません。正式な手続きを経たという体裁にしました」

その方法は狡猾すぎて感心すらしてしまった。

「まず天野氏は子飼いの社員たちを支部長にします。それも市区町村単位の支部ではなくて、例えば鴨宮支部だとか地域を小刻みにして自分の息がかかった支部長を作りました」

当初、県本部の組織拡大という名目上、伊藤氏も容認したというが

「支部長を増やした結果、役員会で天野さんが新会長に選出されたのです。そりゃ息がかかった支部長が増加したわけだから、多数決で有利になりますよね。つまり今、残っているのは同和の活動家などではありません。もとをただせば天野氏の社員ばかりです。結局、伊藤さんは名ばかりの名誉顧問に追いやられました」(同)。

いわば恩人であるはずの伊藤氏を裏切った格好だ。自由同和会神奈川県本部と天野氏企業は表裏一体と指摘したが、どころか“そのまま ”と見るべきだろう。ただ例外が事務局長の八木橋聖一氏だという。

「八木橋さんは自民党本部で行われた大会の時に、ある関係者が“ 彼が天野さんの下でやりたいと言っている”と紹介されたんです。同和問題については特別な知識を有しているわけではありません。ただ事務処理や法務関係に長けていました。だから事務局長職は向いているでしょうね」(同前)

またこんな証言も見逃せない。

「天野さんは酒を飲まないから実は社交やパーティーが得意ではないのですよ。渉外関係も八木橋さんがサポートしていました」(同)

伊藤会長時代は神奈川県内でも広範囲に支部があり、特に横須賀は熱心な会員もいたというが天野体制についていけず会を離れていった。

「副会長経験者ですら居心地が悪くなって県本部から出ていきましたからね」(同)

まるで旧ソ連など共産圏の党人事を想起させる。

また天野氏知人も吐き捨てるようにつぶやいた。

「神奈川県本部というけれど天野体制下では“自由同和会小田原市本部 ”ですよ」

天野氏は同和問題について勉強したというがそれは歴史、文化、地域事情ではなく本当に習得したのは「同和団体」という存在が内包する行政・企業への影響、交渉術ではなかったか。

好例を挙げよう。通常、国が公認・交渉団体に指定するのは部落解放同盟(旧民主党系)、自由同和会(自民党系)、人権連(共産党系)の3団体。ところ都道府県になるとローカルルールがあり、神奈川県は公認団体を全日本同和会、部落解放同盟、人権連としている。つまり神奈川県は自由同和会を公認団体としていない。ところが神奈川県下の自治体に対し天野氏は隠然たる勢力を有する。

不思議に思う人もいるのではないか。その答えは著者よりも市OBの証言の方が説得力があるので紹介しよう。

「公認団体ではない、というのを天野氏は逆手に取るのです。仮に行政側が“ 公認3団体ではないから要望は難しい”といった場合、“同和団体に差をつける気か? うちも真面目に活動しているのに差別じゃないか! ”とこうくるわけですよ。行政は弱腰という批判も分かりますが、当の職員はグーの音も出ません」

当サイトも他地域の自由同和会のトラブルを報じてきたが、天野氏はかなり異質な存在といえる。そういう意味では小田原市同和会であり、天野同和会といった方が適切かもしれない。こんな状況を追認してきた関係自治体は事態を切り抜けるべく画策する姿が目に浮かぶ。「同和を守って人命無視」。これでは大勢の犠牲者や被害者が浮かばれない。

小田原市板橋の住宅街奥にある廃棄物の山。これも天野氏が放置しているものだ。すぐ隣に崖があり下には民家がある。神奈川県と小田原市に確認と対応を求めたが、今のところ返答はない。

(参考)秦野の同和事情については部落探訪(44) 神奈川県秦野市曽屋中野をご参考に。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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【熱海市 土石流】“同和系列” 天野二三男、力の原点は 秦野市にあった(後編)」への5件のフィードバック

  1. にわか

    >この時代に厳正に天野氏に対処していればあるいは熱海市伊豆山土石流も防げたかもしれない

    とのことですが、秦野市の責任も大きいですね。当時の行政対応を詳しく知りたいです。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      ご指摘の通りです。今秦野市に当時の状況を調べてもらっています。

      質問した議員さんにもアプローチしていて連絡先は生きてますが
      まだ接触できていません。

      返信
  2. jack

    こんにちは、地元民です。
    そうなんですか······
    曽屋と言う住所はかなり地域が広く
    一般的に被差別部落の地域は地元では
    才ヶ分って呼ばれてます。
    昔からあそこの住民と関わるなと言われてました。
    実際かなり糾弾が有ったようです。
    かなり前ですが、あの地区の住人と
    トラブルになると、すごい数の人間で
    家まで押し掛け糾弾された話を
    複数の人に聞きました。
    数十年まえになりますが私の同級生は
    才ヶ分の住民で18歳になると市の全額補助で
    自動車教習所に通ってましたし。
    今はどうなっているのでしょうかね。

    ps
    いつもyou tube観てます。
    これからも御二方の活躍を期待しています。

    返信
    1. 赤和会

      バス亭の名前?東寄りだな。苗字も違うし非人地区?
      字誂で長源寺ほうらい会館辺りと河原町だよね。

      返信
  3. ピンバック: 【番外編】 “疑惑の砲弾” 『週刊文春』甘利明金銭報道の 裏に天野二三男がいた! - 示現舎