最近になって2ヶ月に1回くらいのペースで届くようになった、部落解放同盟全国連合会の公開質問状。「公開質問状3の1」までは紹介していたが、先日「公開質問状3の3」が届いた。年末の休み中に届いたために紹介しそびれてしまった「公開質問状 3の2」と合わせて紹介しよう。
以下にやりとりされた文書のそのまま掲載する。復数の人物が質問状の作成に関わっていると思われるが、いずれも昭和の頃の学生運動に傾倒した人独特の「青年の主張」のような文体である。
そして、「公開質問状 3の3」を書いた人物は団塊世代で、鳥取市出身であることを明らかにしている。性別は不明だが70歳くらいであることは間違いない。そう考えると味わい深い。
なお、筆者から全国連への回答では、全国連の関係している「金儲け」についても触れているので、そこも見どころである。
公開質問状 3の2
部落解放同盟全国連合会
私たちの「公開質問状3の1」に対して、宮部から11月5日付けで回答があった。
私たちはこれまで公開質問状で宮部の主張のウソや差別性を様々な面から暴いてきたが、宮部は具体的に答えず、論点のすり替えやはぐらかしばかり書いてきた。そこで前回から論点を絞り、最初に宮部が主張している「自分は部落民だ」というウソについて追及した。
今回の回答書は、ウソにウソを重ねるとこうなるという見本のようなものである。
宮部は今回の質問状に対して、ネットでは「全国連は反権力でね。僕はむちゃくちゃ反権力ですよ。本来だったら全国連は示現舎の味方をするべきだと思うんですね…いい加減、やめませんか」などと泣き言をたれている。
しかし宮部はいまだに「自分は部落民だ」というウソを撤回するどころか、一層振りまいている。私たちは宮部がウソを認めて謝罪するまで、徹底的に真実を明らかにしていくものである。1、宮部は部落民、とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ
宮部は回答書で「不可解なので付言するが、貴団体はなぜ宮部が部落出身かどうかに
こだわるのだろうか」と言っている。ネットでは今回の質問状に対して「部落民かどうかというのは、はっきしどうでもいい話なんです」「こだわっているのが異常」「マウントをとろうとしている」などとも発言している。「これ以上追究しないでくれ」と言わんばかりである。
私たちがこの問題を取り上げるのは、宮部自身が「自分は部落民だ」というウソをつき続けているからだ。そして自分の出身はごまかしながら、裁判では解放同盟員の出身地をさらし続けている。宮部が口先でいくら屁理屈を並べようと、その正体はウソつきの差別者であることを明らかにするために、私たちはこの問題を第1のテーマとしているのだ。
私たちは公開質問状で、宮部が部落民だと主張する3つの根拠が、いずれも根拠など
になり得ず、宮部は一般地区出身者であることを明らかにしてきた。
すなわち、(1)宮部の出身地である「鳥取市下味野415番地の1」は、下味野の中でも一般地区の本村であり、被差別部落ではないこと、(2)宮部は父親の職業を「屠殺業」などと言っているが実は「ジビエ」を趣味にしているに過ぎないこと、(3)宮部の土地が同和対策の土地改良事業の対象になったというが、隣接する一般地区の土地も含めて事業対象とすることは同和対策事業のイロハのイであること、などである。(1)下味野の地番に関して
① 宮部は今回の回答書で、全国部落調査や鳥取市の同和地区の呼称などが下味野となっているから、「番地がどうであろうと、下味野とつけばそこは部落なのである」と言っている。「番地がどうであろうと」? 宮部は、とうとうここまでデタラメな言辞をはかなければ、自分が部落民だと言えなくなったのだ。
また宮部は、部落は権力が作り、その権力が下味野は部落と言ったから部落だなどとくり返している。第1回目の回答書でも、「権力により部落民と認められた宮部龍彦が部落民以外の何であると言うのだ」などと息巻いていた。
権力は戦前の融和事業や戦後の同和事業の対象として、全国の多くの地域で被差別部落を含む大字小字単位で地区指定し、事業の対象地区としてきた。被差別部落であるA地区を含む下味野もそうである。そんなことも知らないほど、宮部は無知なのか。いや、そうではない。知っていながら悪質なウソを重ねているから、その居直りがどんどんひどくなっているのだ。
② 宮部は、裁判所に出した陳述書で次のように言っている。「下味野の中でも千代川に近い地域が部落とされており、下味野本村の枝村である『A』という穢多村の存在が江戸時代の文献に出てきます。そして、実際に戦後間もない頃まではバラック小屋のような家が密集しており、差別のために近親婚が多かったと聞いています。」
また、「鳥取市では下味野全体を部落と思っている人が多いです。…鳥取市によって
同和地区の呼称として『下味野』が使われたので、下味野の区域の住民は、よそからは部落民と思われている」と言い、自分も市職員からそのようにみられた経験を書いている。
そして「下味野はもともと複数の自治会に別れているのだから、部落・一般という考え方はありません…少なくとも明治末期以降は下味野旧本村と旧Aの関係は差別した・されたというようなものではなくて、『なあなあ』の関係で。」などと書いている。
これをみても、宮部は下味野の一般地区本村の出身で、隣接するA部落の差別的状況を聞いており、自分が部落民でないことは自覚していたことを白状している。宮部に問う。全国部落調査や鳥取市の地区指定が下味野であろうと、下味野415番地の1はA地区内ではなく、一般地区の本村であることを認め、これまで知っていながらウソをついてきたことを撤回し、謝罪せよ。
(2)父親を「屠殺業」とすることについて
宮部は回答書において必死に論点をごまかし、父親の職業が「趣味」ではなく、保健所に届けた仕事だと言っている。
宮部は第1回の回答書で、自分から「父親は不動産業者兼屠殺業者」だと言い、あたかも自分が部落民であるというウソの主張を補強するかのような回答をした。それに対して、私たちは父親がやっているのは「屠殺業」ではなく「ジビエ」であることを指摘し、「針小棒大にも程がある」と指摘したのだ。
論点をごまかさず、潔くウソを認めて、撤回し、謝罪することを求める。(3)同和対策の土地改良事業について
宮部のような部落に隣接する一般地区の土地でも、同和対策事業の対象になることが常識であることはすでに述べた。
宮部は第1回の回答書では「そこが部落でなければ鳥取市が『同和』予算を支出するわけがなかろう」などと無知をさらけだしているが、前回と今回の回答書ではまったく反論がない。できないのだ。これに関して宮部はネットでは「ああそうですか、まあそうですね。それがどうかしましたか」などと完全に認めざるを得なくなっている。
それならば、こんなみっともない対応でなく、きちんと自分の誤りを認め、部落民である根拠としたことについて、撤回するべきである。2、宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか
宮部は、「下味野の一部の児童がいわゆる『部落民宣言』をさせられたのですが…なぜ下味野という区域内で『部落民宣言』をさせられた児童とそうでない児童がいるのかということは全く教わっていません。」と言っている。
① 自分が部落民だというなら、宮部自身は「部落民宣言」をしようと誘われたことがあ
るのか。
② 宮部自身は部落差別を受けた経験があるのか。
③ 宮部の親は自分が部落民だと言っているのか。
④ 宮部は親から部落民だと教わったことがあるのか。答えよ。3、神奈川県の原告の本籍地への転籍について
宮部は、解放同盟が「戸籍や住民票」を根拠にしていることを逆手にとって、「それなら戸籍や住民票を移動すればだれでも部落民になれる」といって、自分も神奈川県の原告の本籍地に自分の本籍を移した。そして、「本籍地が部落に有るのだから宮部は間違いなく部落民である」なとど回答している。
これは、宮部の差別者としてのあくどさを典型的に示すものである。宮部の言っていること、やっていることは、現実を無視した下らない言葉遊び、書類遊びに過ぎない。以前から興信所などを使って相手の戸籍をとり部落民かどうか身元調査をする人たちがいる。だから差別から逃れようと、つらい思いで本籍を転々と移す人もいたのだ。そのような部落の人たちをあざ笑う行為だ。
また、それ以上に多いのは、先祖がどうかや、戸籍がどうなっているかなど分からなくても、「あそこの地区の出身だ」というだけで、部落出身者を差別し排除する人だ。「被差別部落」と周りが見なす地区に生まれたというだけで差別を受ける。この身分的差別としての部落差別は、今も厳然とある。
被差別部落に生まれていない宮部は、いくら「自分は部落民だ」「本籍を部落に移した」などと絶叫しても、部落差別を受けることはない。興信所が調査すれば「彼は部落出身者ではないが、本籍を部落に移した変人である」という報告書が書かれるだろう。
宮部を部落出身者などと言うのは、せいぜい「下味野」全部が被差別部落だと勘違いした市職員や市民がいるくらいだ。
宮部の魂胆は見え透いている。自分が下味野の部落出身でないことを明らかにされたために、下味野から目をそらせ、神奈川へと焦点をずらしたいのだ。だが宮部が部落民かどうかは、下味野で決まる。そこから逃げることはできないのだ。
宮部は、いい加減「部落」や「部落民」についての言葉遊び、書類遊びをやめたらどうなのか。そして自分が「部落民である」というウソを撤回して、謝罪したらどうなのか。答えよ。4、部落民と主張するぶざけた動機について
宮部は鳥取ループを初めた当初、ツイッターに「鳥取ループはガチの同和地区住民で、同和地区出身者です。本人が言うのだから間違いありません。アイヌ優遇策が始まったらアイヌにもなる予定です」とツイートした。
また「本当かどうかはご想像に任せますが、この国では誰でも同和地区住民を自称できる」「(このプロフィールは)半分皮肉が入っています」などと述べている。
このふざけた自己紹介だけでも、宮部は自分が部落民だなどと本気で主張しているのではないことがよく分かる。しかしこれは「冗談」などと言って逃げられるような言辞ではない。部落民やアイヌをからかいの対象とする差別者そのものではないか。
① 「本当かどうかはご想像に任せます」「半分皮肉が入っている」とはどのような意味
か。
② 宮部は、「次はアイヌになる」のか。答えよ。5、部落所在地をたれ流すことの犯罪性
宮部が部落出身者であるというウソを暴くことが、公開質問状3の趣旨であるが、宮部が回答書で、全国連は支部名=地域の部落名を公然化しながらゼッケン登校などを行ってきたが、これは寝た子を起こす論ではないのか、全国部落調査の公開に反対するのは寝た子を起こすな論であり、いつから転向したのか、その矛盾について理論的に説明を求める、としているので、一言触れておく。① 宮部は全国部落調査の公開が、〈部落を明らかにする論〉と〈部落を隠す論〉の対立であり、前者の方が部落解放につながるという、路線論争のように押し出している。しかしそれは後からこじつけたものであり、宮部の本音は当初あけすけに自分で言っていたように、「ばんばん売って金儲けしますよ」ということだ。そんな宮部が、路線だ理論だなどと言うこと自体がおこがましい。
この点については、質問状4以降で徹底的に明らかにする。② 私たちが自分たちの部落名を支部名に冠し、ゼッケンや荊冠旗に書き、それを明らかにしながらゼッケン登校などを闘うのは、第1に、部落差別を受ける者としての自覚と、
差別と闘う主体をつくりあげるためだ。部落差別をなくしていく主体は、全国水平社綱領にあるように「部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ということだ。そのために自らの部落を誇りとして掲げて闘うのだ。その場合、差別が厳しい故に「寝た子」として生きる選択をしているきょうだいの痛い思いも引き受け、励まし、ともに闘う戦列に加わるように働きかけていく。
第2に、その主体づくりの基盤の上に、多くの労働者人民との共同闘争を発展させ、部落差別を生み出し労働者階級を搾取・抑圧する国家権力を打倒し、部落解放・労働者解放の未来を切り開いていくのが私たちの運動だ。
単に、「自ら明らかにするカミングアウト」か、「他者が暴露するアウティング」かといった平面的な問題ではない。
私たちのこの立場と、ただ全国の部落地名をたれ流す宮部(しかも金儲けの手段とし
て!)とは、正反対だ。宮部は、即刻部落解放運動への敵対をやめるべきである。以上。2021年12月14日 部落解放同盟全国連合会
それに対しては、次の通り回答しておいた。
回答書
部落解放同盟全国連合会 御中
2021年12月24日
宮部龍彦
2021年12月14日付、貴団体の公開質問状にたいし、次の通り回答する。
1.「宮部は部落民とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ」について
(1)について
旧鳥取市では1996年まで同和地区の範囲を指定していなかった。また、それ以降も事実上属人主義的な同和事業を行っていた。現在では地区の範囲を示す行政文書が破棄され、同和地区の明確な範囲は存在しない。嘘だと思うのであれば、鳥取市に聞いてみればよい。
従って、下味野415番地の1は「一般地区の本村」などという言説に根拠はない。そして、確定していない判決ではあるが、東京地方裁判所が認めたところによれば、地名が全国部落調査に掲載されていれば、被差別対象であるのだから、下味野415番地の1は被差別部落内である。(2)について
鳥取市保健所に登録された食肉処理業者なのだから、間違いなく屠殺業である。ジビエの食肉処理をやったら屠殺業ではないのだろうか。そうであれば、解放同盟中央本部派の片岡明幸副委員長の実家も「特殊珍肉」と称してジビエを扱っているのだから、屠殺業ではないとでも言えるのだろうか。
珍妙なルールを後付けしても失笑されるだけであろう。
(3)について
前述の通り、鳥取市は属人主義的な同和事業を行っており、具体的には同和関係者が所有する土地であれば、その場所に関係なく同和事業の対象になっていた。部落に隣接するからという理由で対象となったのではない。嘘だと思うのであれば、鳥取市に聞いてみれば良い。少なくとも合併前の旧鳥取市でそのような扱いをしていたのは事実である。
2.「宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか」について
これについては、各項目に端的に答えておく。
・誘われたことはない。
・自らのアイデンティティを解明するための、部落研究を妨害されるという悪質な部落差別を現在進行形で受けている。
・言っていない。「自分で言わなければ分からないのに」ということである。
・下味野の部落民と言い張れば部落民ということになるとは聞いている。3.「神奈川県の原告の本籍地への転籍について」について
これは解放同盟中央本部派が裁判の中で、本籍地が部落内にあるから部落民だという趣旨の主張をし、公証役場を使ってまで本籍地が全国部落調査の掲載地域にあることを「証明」し、結果的に東京地方裁判所がその主張を追認したものである。
部落差別は権力が作ったものであるところ、権力側が「本籍地が部落内にあれば部落民」という趣旨の認定をしたのだから、私の主張は正確なものである。ウソではないので、謝罪する理由がない。4.「部落民と主張するふざけた動機について」について
これについても端的に答えておく。
・具体的には既存の解放運動と同和事業に対する皮肉である。誰が部落民か認定しなければ成り立たないような活動は、論理的に破綻しているのである。
・本州で、北海道内でやっていたような固定資産税減免等のアイヌ地区の優遇策が始まればアイヌになろうと思うが、国家権力に見透かされてしまったのか、どうやらそれはなさそうな情勢である。5.「部落取材地をたれ流すことの犯罪性」について
これについては、質問というより意見であると受け止めておく。
しかし、不可解なのは最後に「金儲けの手段」を強調して私を非難しているが、それでは貴団体が2019年に東大阪市から税金を原資とする29,918,300円を受け取る合意をしたのは何なのであろうか。貴団体は実際に東大阪市から29,918,300円を受領したのかどうか、そして何に使ったのか、誰もが分かる形で公表すべきであろう。
また、私は個人名で回答しているのに、貴団体の質問が誰の名で出されているのか明示されないのは公平ではない。最初に「やってもいいんだ!」等と書いたのは誰であるのかを含め明らかにすべきである。以上
そして、今回届いたのが以下の質問状である。
公開質問状 3の3
2022年2月28日
鳥取市出身の役員から、以下の文書が寄せられたので、全国連の公開質問状3の3として扱い、示現舎・宮部龍彦に発出する。公開質問ゆえ、このような参加は大歓迎である。今後も、大いに期待するものである。なお、名前を伏せることは、晒しマニアの宮部ごとき人物から、筆者を無用な攻撃から防衛するために必要であり、宮部がそのことで不平不満を述べることは、自ら天に唾するものであると心得よ。
私たちの公開質問状3の2に対して宮部龍彦から回答が寄せられた。その中でとりわけ回答書の下味野・鳥取市に関わることに絞って改めて質問する。今回質悶状を書いている私自身が烏取市高草中学校区域の被差別部落の出身であり、下味野はすぐ近くである. しかも、 「示現者・宮部龍彦は被差別部落民はない」 と被差別部落・下味野A地区の知人、部落解放運動の仲間、部落外にあっても部落差別撤廃のために学習会を組織していた地域の人たちなど多くの人たちから聞いていたからである。
宮部は「貴団体は、何故被差別部落出身にこだわるだろうか」と問題にするが、実は、宮部は己は被差別部落民ではないと強烈に自覚している。しかしながら宮部は、下味野の被差別部落出身者だと嘘をつき、部落解放運動をあざ笑い、全国の被差別部落や個人を晒し差別を扇動しているから下味野の被差別部落出身かどうかにこだわるのだ。もちろん、私たちが繰り返し明らかにしているように下味野415番地の1は被差別部落ではない。
1、何よりも、宮部自身のブログで、「鳥取市と鳥取地裁(平成25年10月9日)によって私の実家は同和地区でないことが証明されました。」 と被差別部落民ではないと白状している。
「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしいですよ。境界の引き方がいい加減だから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられると親父が言っていましたので実際同和減免の申請をし、烏取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された。」「鳥取地裁は同和減免の対象区域を地域外の人間に開示しなくて良いと言い、さらに事実として、鳥取市は私の実家に対して開示しなかったから」と。宮部自身が言っている。
宮部に問う
(1)「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしい」とは「同和ではない」ということが前提になっているのではないのか。応えよ。
(2)父親は「境界の引き方がいいかげんだからから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられる」といっているが、ここから明らかになることは父親は被差別部落ではないと自覚しているということだ。宮部龍彦自身は被差別部落出身だと聞いたことがあるかどうか。あれば何歳頃、誰に聞いたのか。応えよ。
(3)父親は被差別部落出身者なのか。
(4)母親は被差別部落出身者なのか。
2、宮部は同和減免を受けたいと思い、被差別部落に隣接していることを奇貨として同和減免を申請している。そもそも「同和問題」は同和減免・同和事業の問題だけではない。私は団塊世代の一人で、学校で同和事業に基づく教育は一度も受けたことがない。解放奨学金も受けたこともなく、小学生時代に教師から差別され放題で差別に悩み部落という文字も怖いくらいであった。高校生になって被差別部落出身の公務員の方から本を借りて必死に読んだ。東上高志の本であったと覚えている。私にとって部落差別とは小学校の教師によって自覚させられ、貧困、学校生活や友人との関係で悩み苦しみ抜いた人生の始まりだった。高校時代は被差別部落から逃げることばかりを考え、大学も被差別部落出身と誰もわからないように関東地方を選んだものだ。もちろん生活が苦しかったから送金は一度もなく、育英会の奨学金とアルバイトでしのいだものである。この学生時代に学生運動に触れ、部落解放運動を闘いたいと決意し、初めて自分が被差別部落出身者であることを宣言し、学生運動と共に狭山闘争や生活要求闘争に入っていったのである。
宮部に問う。
(1)宮部は自分が同和減免を申請して通らなかったことを逆恨みし、ゆがんだ差別感情を増幅させ、部落を晒す行為を続けているのではないか。
(2)部落差別は同和事業を受けるかどうかの問題だけではなく、身分的差別全体の問題であり、誰もが悩み苦しんだ経験を持っている。宮部は被差別部落民だと言うが、どんな苦しみ・悩みをもって生きてきたのか。
(3)差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い。本当に残念でならないが、私の中学校時代の友人であるH君は職場でH君の被差別部落の出身地を隣接する地域の人から晒され、悩み苦しみながら、その職場である大坂中央郵便局で自死しました。それほどの苦しみの中で生き、其処まで追い詰められる被差別部落出身者がいることを考えたことがあるか。
(4)宮部が、今やっていることは、インターネット上に被差別部落を晒すことであり、差別によって命を絶つ人もいるかもしれない深刻な問題だ。絶対に許せない。宮部はどう思うか。
3、鳥取市下味野A地区の人たちは誇り高く部落解放運動を担ってきた。
珍しいことであるが下味野神社は2つある。東側にある下味野神社は地図上に神社マークがついていないが、460年前のえのきが立ち、「アマテラス」、「スサノオ」に加えて、赤池助左衛門ノ命がまつられている。鳥取の被差別部落・下味野は豊臣秀吉の鳥取城の兵糧攻めの囲みを破り、毛利方に連絡しようとした郷士・赤池助左衛門が治めた地域であり、一向宗門徒(浄土真宗)が強い地域であった。豊臣秀吉の軍勢に鳥取城主・吉川経家が破れ、赤池助左衛門の治める地域の民衆は、その後、身分既下(へんげ)されたものと考えられる。まさに、当時の下味野A地区の民衆は赤池助左衛門を中心に豊臣秀吉の軍勢と闘った誇り高き民衆だったのである。鳥取の被差別部落は、この下味野A地区を中心に形成されたと言われている。
戦後の解放運動は、この下味野A地区が鳥取の部落解放運動の中心だった。高校生の時、被差別部落の同級生で友人が「相談できる人が大切だから市議会議員の前田さんを応援せないけん」と初めて前田さんという名前を聞いたことを覚えている。前田さんは、私が学生になり、狭山闘争で日比谷小公園に参加したとき、初めて解放同盟中央本部執行委員であることを知ったその人だった。
前田さんは戦後、1947年に国鉄をやめ、郷里(下味野)に帰り、いち早く農民運動に身を投じ部落の完全解放を願い精力的に活動した。解放同盟鳥取県連書記長、中央本部執行委員として解放運動を指導し、1962年、37歳で鳥取市議会に当選して連続26年間勤め、地域住民の生活、教育、文化の向上と地域の発展の貢献した(ブログより) 。
まさに、「戦後の烏取における部落解放運動の中心は下味野A地区だった」と言っても過言ではない。
宮部に問う。
(1)下味野の東側(千代川沿い)にある下味野神社を知っているか。被差別部落・下味野の起源について見聞きしたことがあるか。あるならば、宮部はどう思ったか。
(2)前田さんは1989に亡くなり、親族が意志を継ぎ、市議会議員を務めているが知っているか。その人と話したことはあるか。あるならばどんな話をしたのか。以上、真実を応えよ。
4、私が部落出身者であることに、より一層誇りを持つようになった本が「一向一揆と部落被差別部落の起源」である。
この本は鳥取市出身の石尾芳久さんの書であり、その他、多数の研究を通して被差別部落の起源論に新たな視点で迫り、被差別部落民を励ます内容である。宮部に問う。
(1)石尾芳久さんを知っているか。書物を読んだことがあるか。読んでいるなら、その感想を述べよ。
(2)あらためて問う。示現舎・宮部は何を目的にしてインターネット上に被差別部落や名前を全国に晒し続けるか。
(3)鳥取の下味野A地区の人たち今部落解放運動のきょ うだb 共に闘一フ 仲間に 「被差 、別部落民ではない宮部が何故部落出身者だ」と嘘をつくのか?問いかけると 「ようわからんけど結局金目当てだろう」と応えていた。 このように、 「金目当てだろう」 という地域の意見にどう思うか。真正面から応えよ。
最後に、示現舎・宮部龍彦よ!
下味野A地区や鳥取市の被差別部落民の怒り、全国の被差別部落民、共に闘うすべての仲間たちの怒りを真正面から受けとめ、心底謝罪せよ!
以上。3月15日までに回答を要求する。
2022年2月28 日
部落解放同盟全国連合会
そして、今回は次の通り回答しておいた。
回答書
部落解放同盟全国連合会 御中
2022年3月13日
宮部龍彦
2022年3月13日付、貴団体の公開質問状にたいし、次の通り回答する。
1.「何よりも、宮部自身のブログで、「鳥取市と鳥取地裁(平成25年10月9日)によって私の実家は同和地区でないことが証明されました。」 と被差別部落民ではないと白状している。」について
(1)について
この時点では同和かどうか分からないということが前提となっている。
(2)について
36歳の時に上原善広から聞いたものである。
(3)(4)について
両親ともに被差別部落出身者である。解放同盟中央本部派および東京地裁が、住所または本籍地が全国部落調査掲載地名であれば被差別部落という旨の判断をしているのであるから間違いない。
2.「宮部は同和減免を受けたいと思い、被差別部落に隣接していることを奇貨として同和減免を申請している。そもそも「同和問題」は同和減免・同和事業の問題だけではない。」について
(1)について
部落地名をためらいなく掲載するようになったのは、2007年に愛荘町に同和地区の場所を問い合わせた東近江市の市民が糾弾された事件がきっかけであり、鳥取市の同和減免の件はそれよりも後のことである。時系列的に因果関係がない。
(2)について
「身分的差別全体の問題であり、誰もが苦しんだ経験を持っている。」ということに根拠がなく、質問の前提が間違っている。あえて結論を言えば被差別部落民であることで苦しみや悩みはない、
(3)について
「差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い。」という根拠がない。また、唐突に「中学校時代の友人であるH君」なる人物の話をされても詳細を確認できない。「其処まで追い詰められる被差別部落出身者」が誰のことかわらないが、少なくとも「H君」は知らない。
(4)について
既に部落地名がインターネットで公になって何年も経ているのであるから、「命を絶つ人」が出ているはずなのに現実は出ていないのであるから、「命を絶つ人もいるかもしれない」という予想が誤りであることが現在進行系で帰納的に証明され続けているものと考える。
3.「鳥取市下味野A地区の人たちは誇り高く部落解放運動を担ってきた。」について
(1)について
千代川沿いの下味野神社は知っているだけではなく行ったことがある。「被差別部落・下味野の起源」は国立国会図書館が以下のインターネット上のURLで公開している因幡誌(上)808ページに書かれている。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766077
どう思ったのかと言えば、先に考えることはこの記述の信憑性の検証である。海嘯の難があったという服部村の千代川沿いは確かに鳥取市のハザードマップで一番浸水の危険が高い場所なので、記述の信憑性は高いものと考えている。
因幡誌からは豊臣秀吉の赤池助左衛門が赤池穢多村の主であったことが記されている一方、下味野の庄屋の先祖は現在の気高郡奥沢見にあった大崎城の城主で豊臣秀吉の軍勢と闘った旨が記されている(因幡誌(下)832ページ)。かと言って「民衆」が豊臣秀吉の軍勢と闘った根拠にはならないが、穢多村に限らず下味野全体が秀吉との戦いに何らかの関係があることは推定される。
秀吉と戦いで負けたから身分貶下されたとの説には根拠がない。もしそうなら、下味野全体が穢多に貶されたはずである。
因幡誌の記述からの推定では、赤池穢多村の起源は海嘯の被災民であり、条件の悪い場所に移住せざるを得なかったことから農業以外の仕事をせざるを得ないか貧困に陥り、賤視されるようになったと考えるのが合理的である。
なお「前田さん」は、もとはその庄屋であった地主の小作人で、現在は刑務所の裏手となっている山で松茸が採れる場所をよく知っていたと聞いている。(2)について
市議会議員と言えば上田孝春氏のことであろうと思うが、知っているし話したこともある。どんなことを話したのかは上田孝春氏に聞くのがよいであろう。私としては上田孝春氏が了承するなら何を明かされても構わないし、この書面を上田孝春氏に見せても構わない。
4.「私が部落出身者であることに、より一層誇りを持つようになった本が「一向一揆と部落被差別部落の起源」である。」について
(1)について
石尾芳久氏なる人物は知らない。
そもそも、東上高志氏にしても石尾芳久氏にしても、その人の本を読んだその人のように偉くなれるわけでもない。また、先祖(であるかさえ怪しいが)の行動が誇りあるからといって「俺が誇りを持つ」ということにはならない。(2)について
部落を特定するのは部落研究を一層推し進め、部落の完全解放のためである。
(3)について金目当てという発想が出てくるのは、部落問題で金儲けができるという発想があるからであろう。
他人に金儲け云々を言う前に、貴団体が東大阪市から受け取った税金を原資とする約3000万円をどう使ったのか答えるべきである。
ついでに、野崎支部長の滝岡広治が大東市の市営深野園住宅の駐車場に関連してやっていることをどう思うか。以前、大東市を探訪した時にそのことを地元住民から聞いたものの、噂に過ぎないと思ったので特に触れなかったのだが、最近、それが事実である傍証が次々と出ているところである。覚えがないなら、本人にぜひ聞いていただきたい。何も弁解がないなら、そういうものと受け取るだけである。以上
うーん、読んで驚愕しています。
宮部さん大変ですが、頑張って下さい。
とりあえず『さん』を付ける事と敬語が使えない段階で人としてどうかと思います。
めんどくさいですね。
「青年の主張」のリンク先がおかしいようですが…
すみません、修正しました
宮部しか、宮部いく、どちらが君のひい祖母さんや?
完全に小森さんの別の下味野神社の部落やん。
同和減免なんかエセ同和行為をするなよ。
まあ町ぐるみで同和対策事業寄生虫行為しとるね下味野。
君?
何でその庄屋さんだけ実名を出さないんだ?
笑っちゃうね。
なんて下品で傲慢な質問状なんでしょう。
関西で南京町、鶴橋、大正など昔は怖い場所として差別されてきた所がみんなが遊びに来る楽しい街に変わっていくのを見聞きしてきたが、部落だけが変われないのはこういうところにあるのかもね。
部落探訪を見て近所の部落二ヶ所に足を運んでみた私も差別者と認定されるのかな。
誰も近づけない、口にも出せない隠蔽された町のまま維持して部落差別は無くなるのでしょうか?
宮部さんのおちょくりにひつこく食いついてるけどもっとやることないのかね。
宮部君?w
何でコレで反論しないの?
今は亡きの同和地区wikiからだがこの頃からエセ同和行為?w
鳥取市下味野の同和地区・地区外の居住地の状況。鳥取県教育委員会発行『差別をなくするために ―その2― 同和教育資料社会教育編4』70頁(1981年)より。
本来の同和地区が地区外になり
その代わりに麒麟獅子舞に参加させない君達の下味野神社地区が何故か同和地区になっているw
ここで粘着するよりも、人権啓発センターチャットルームに参加して部落研究に貢献しましょう。
は?粘着?w
被害妄想か?
心療内科に行ったほうがいいよ。
君達親子が同和地区住民では無いのに鳥取市職員に同和減免を問い合わせをし回答させたのは事実やん。
麒麟獅子舞に頑なに別の下味野神社の氏子も参加させないよな?
千代川沿いの下味野神社の氏子は傘踊りで忙しいのです。傘踊り保存会があって村ぐるみにやっているのに、麒麟獅子まで手が回るわけがないでしょう。
は?w
ならば傘踊り地区が穢多村の同和地区やん
君達親子は差別心から明治神官の小森さんや地主の筧さんも巻き込んでエセ同和行為をしたの?
君は何で地元の下味野の探訪をやらんの?
君の蔑視感はたぶん中学などの体育教師かなんかは知らんが体罰教師や市営住宅の同級生への恨みやろ?
そいつらさえエセ同和なんやろ実際にエセ同和行為の同和減免申請や
はた迷惑な神奈川の同和地区に本籍を移したエセ同和行為
差別は無い差別対象は後から移住とか君は北海道のキチガイ小野寺まさるの猿真似やん
全国連の書きぶりは新左翼系特有のニオイを感じます。誰からも相手にされず寂しいので、宮部氏に相手にしてほしくて絡んでいるのでしょう。 寂しいなら寂しいと言えば可愛げもありますが… 宮部氏も寂しんぼうな全国連なんて相手にせずに放置すればいいのに、と思います。