【広島県 三原市】「差別化」は差別と騒ぐ 解放同盟市議に 議会も屈服!

カテゴリー: 地方, 政治 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

ビジネスシーンなどで使用される「差別化」。「差別化戦略」など通常、競合他社との製品、サービスと差異をつける意味で使用される。米・経営学者でハーバード大学経営大学院、マイケル・ポーター教授が提唱した概念だ。もちろん同教授は「黒人差別」などの「discrimination」=差別というニュアンスで用いたわけではあるまい。ところがビジネス用語の「差別化」を差別を助長すると訴える人がいたから驚き。まさかの言葉狩り主は『全国部落調査』裁判の原告の一人にして部落解放同盟広島県連合会書記長、広島県三原市議の政平智春氏。なんと市議会議事録から削除させていたから二度驚き。瀬戸の夕凪も嵐に変わる強引さなのだ。

地方議会はイタい人権ネタの宝庫

津市相生町自治会町事件の当事者、田邊哲司被告が仲間を引き連れ敵対する議員に対して議場で罵声を浴びせる。目下、追跡取材中の熱海市土石流災害では過去、同市議会にて担当職員が開発業者・新幹線ビルディングを「同和系列の企業」と説明した。国政と異なり全国ニュースになる機会は少ないが、実はが地方議会は“人権ネタ”の宝庫である。

各地方議会を入念にチェックしているマニアもいるから恐れ入る。そんな一人、とある同和ウォッチャーがこんな現象を発掘した。

「全国部落調査裁判の原告に興味をもって調べていたらその一人、部落解放同盟広島県連合会書記長で広島県三原市議の政平智春さんが市議会で差別化という言葉に抗議したから呆れてしまって。紛れもなく言葉狩りですよね」

どういうことなのか。三原市議会(平成29年3月予算特別委員会)の議事録を引用した方が早い。

同市の大西英之副市長(当時)、中村芳雄委員が観光政策についてそれぞれ答弁した。

それともう一点は,450年事業の特別委員会でも申し上げたんですが,観光ということでいくと確かに景色とかいろんなものは,それも一つの観光でありますが,やはり他の町と比較して差別化をするのはやはり食だと,食という観点からいくといろんなお店に協力していただくようにお願いしてほしいという話はいたしました。(中村氏)

特に,これからインバウンドに対しての,どこにもちょっと負けない差別化ができるようなきっちりとインフォメーションセンターを設置すべく,今いろんな関係部署と働きかけて,いろんな事業費の支援も含めて今進めているところでありまして(大西氏)

両氏とももちろん「民族差別」「部落差別」こういった意図はなく、単純に「差別化戦略」という意味で使用していたのは明白だ。企業のプレゼンテーションでもパワーポイントを使用した資料にデカデカと「差別化」と謳うのは日常茶飯事だろう。

ところがこれに嚙みついたのが政平市議だった。

差別化の代わり? 格差という言葉もある

世羅町で講演する政平氏。『広報せら』(2019年3月号)より。

副市長らの答弁に対して政平氏はこう指摘した。

以前に指摘をしたことがあるんで,今回も指摘をせざるを得ないんですが,中村委員のほうから差別化を図るということ,大西副市長のほうから差別化を図るという言葉がありました。これは以前,私が指摘をし,この議会の中ではコンセンサスが得られてるというふうに思いましたけれども,あえてまたこの概念的不明瞭な言葉が使われるということについて非常に遺憾に思います。

「差別化」は概念的不明瞭? ハーバード大、マイケル・ポーター教授が提唱し日本国内でも広く認識される。奇しくも同大といえば「ラムザイヤー論文」のマーク・ラムザイヤー教授も教鞭に立つ。まさか部落解放同盟が“ 全国の同和”を引き連れてマサチューセッツに押し寄せるわけではあるまいが。

歴史的に見ても部落解放同盟と表現狩りは血塗られた過去がある。にしても「差別化」を使うなとはあまりに行き過ぎではないか。政平氏本人に聞いた。

ー差別化という言葉を使うなと政平先生が訂正を求めました?

それは事実じゃないね。本人たちが訂正しただけで、わしゃ一言も訂正しろとは言ってないで。

ー先生に言われたらそうなるんじゃないですか。

そりゃ勝手な想像じゃろ。

ーならば「差別化」という言葉を使っていいのですか?

いやいやそれは好き勝手だが、差別化という言葉を使うことを内面的に説明してほしいとわしゃいうたんで。

ー市の関係文書にも「差別化」という言葉はありますよ。

教えてくれて親切やの。あんた。どういう意味で使っているのか説明を求めるだけなんや。差別化を図るというのはね、イメージとしては差別を肯定する論理やろ。

ー全然違いますね。ビジネス用語じゃないですか? 社会にありふれているでしょ?

ありふれてるって。わしらNHKにもちゃんというとるし。NHKの編集局長が来た時に「差別化」はどういう意味で使っているのか指摘をしとるよ。差別化を使うとどういう風にイメージを与えるかということについて。差別を肯定するということやろ。

ー全然、意味が違うと思いますが?

差別を推進するという意味じゃろう? 違うというのはね、例えば「差をつける」というのなら分かるよ。差別という言葉をあえて使うというボキャブラリーの貧困さがな。非常に単純な論理よ。概念的にどう説明するのって聞いとるんよ。

ー他の製品やサービスと違いますよ、という概念じゃないですか?

一般的につこうとる方が間違いなんよ。(市議会で)コンセンサスを得ているわけよ。3、4回議会の中で指摘をしとるんよ。

ー圧力じゃないですか?

圧力(笑)。発言するのは自由じゃないか。なにを言いよるんか。議員の発言権はあるんよ。

ーそういう言葉狩りというんですよ。ならば副市長や委員が「差別」の意図で「差別化」を使っていますか? いませんか?

(差別を)せえという意味でつこうとったわけじゃないよ。しかし「差別化」という言葉を使わないと説明できないのですか? という意味でいうとるのよ。

ー他にどういう言葉ならいいのですか?

だから産地とか「格差」をつけて、我々が負けないような取り組みをしていくと説明すればええわけやろ。

ーえ? 格差?

そう

ー格差だったら(左派が多用する)格差・貧困をイメージして問題だというんじゃないですか?

またそんな。違うやろ。よう屁理屈いうの。

ー屁理屈ではなくまた格差・貧困を助長すると抗議されると思いますよ。

差をつけるのは当たり前やろ。好きに考えなさい。またどうせアンタら好きに何かに書くんやろ。

ーもちろん書かせていただきます。

ハハハ。

ー解放同盟は言葉狩りをすると。

わしゃアンタの顔を見たことがあるがふてぶてしい顔をしとるのぉ。

ーここで顔のことをいいます? 恐縮です

恐縮してくれ。

ー今の話の中で顔を持ち出します?

何も不細工といったわけではない。

ーそうですか。どちらにしてもこれは解放同盟の圧力だと思いますよ。

何が解放同盟。

ー一般的に解放同盟の人に抗議されたら怖いですよ。

解放同盟じゃない。三原市議会議員としていうとるんで。

ー先生のことは解放同盟の役員と知っていると思いますよ。

知らん人もおるやろ。俺のことなんてほとんど知らんで。

ーそんなことはないでしょう。

たまに知り合いが「解放同盟で役員しとるんや」というてくる程度やで。

ーへえ。これからも差別化は不適切用語として指摘していくのですか?

わしゃ適切か不適切かというとるんやない。さっきいうたやろ。どういう意味合いで概念的に使っているのか説明してほしいと。概念として成り立たたん言葉やろ。差別化を図るというのは。

ー概念として十分、成立していると思いますが? 大いに。

ハハハ、はあーー。

ー国会の答弁や企業の説明会でも(差別化は)出ますよ。

テレビのニュースでもやったりしとるけどの。そこまでわしも手が回らんけんの。議会の中でやるだけよ。

ーならこれから「差別化」が使われる都度、削除というのですか?

削除とはいうてないじゃないか。説明してほしいというとるだけで。君らのやり方は分かっとるんよ。

ー分かっとるというと?

意図を。捻じ曲げる。

ー捻じ曲げてないですよ。何を捻じ曲げました?

ずーーっと捻じ曲げている。

ー具体的に?

キミらの自覚がないなら説明しても無理。

ー例えば記事でおっしゃってください。何かの記事で事実を捻じ曲げたことがありましたか?

ネットで誹謗中傷しとるじゃないか。全国部落調査よ。

ーあれは捻じ曲げじゃなくてそのままじゃないですか?

他のところに手を加えているじゃないか。

ー加えてないですよ。

現在の住所まで入れとるじゃないか。

ー現在の住所は捻じ曲げではなくてちゃんと調べてのことです。

それをいうとること自体がおかしいよ。まあちょっと電話がかかったから。

通常、解放同盟関係者に取材を申し込むと無視か、電話を切るが通常だが応じて頂いたのはありがたい。しかし差別の代わりに格差というのは失笑を禁じ得ない。なぜなら仮に「格差化」という用語にした場合、問題視するのは容易に想像できる。

いやしくもを差別といった解放同盟の過去

政平氏の発言の中で気になったのはNHKだ。「差別化」という用語に対して問題提起をしたのは三原市だけではなくNHKというのは「さもありなん話」とメディア関係者。

「NHKの最近の番組は『ファミリーヒストリー』『日本人のおなまえ』『ブラタモリ』といった人物や土地のルーツをたどる番組が多いでしょ。今のNHKは“日本とは何か ”とか“ 日本人とは何か”というコンセプトを重視しているのです。この関係は部落問題に関わる可能性があるから、解放同盟に忖度というのはありえるでしょうね」

今後、NHKの番組で「差別化」「差別化戦略」という用語が使用されるのかチェックしがいがあるものだ。

また自身もかつて解放運動に身を投じた人物に部落解放同盟と言葉狩りの歴史を聞いてみると

「八鹿高校事件の首謀者である丸尾良昭は“ いやしくも”(かりにも、の意)をいやしくもと勘違いして“卑しくもとはなんだ? 我々の前でその表現は許さん ”と激怒しました。『差別化』が差別というのも明らかに難癖としか思えませんね」

と話す。苟もにせよ、差別化にしても「差別を追認する」とは無理筋な論法としか思えない。

ところがポリコレ隆盛期の現在、先鋭化した人権感覚を持つ活動家、マスコミ、学者らが「差別化」は差別だと盲従するのは目に浮かぶ。またこうした主張が全国に広まれば「お説ごもっともでございます」と行政や企業も従うことになるだろう。これが「差別」と決めつけたら右に倣えが当世。「差別化」どころか、将来的にはエタノール、避妊具、否認、こんなものまで「差別」と言いかねない超表現規制社会の入り口に来ている。

耳なし芳一のような意見広告。
政平氏も名を連ねている。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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【広島県 三原市】「差別化」は差別と騒ぐ 解放同盟市議に 議会も屈服!」への5件のフィードバック

  1. 人権看板

    ヤクザの手法。紋々チラ見せしながら、金出せなんか言うてない。そちつが勝手に金出してきたんや。
    エセ同和撲滅には解放同盟が改めるのではなく、みなが知識と屈服しない心を持つことです。

    返信
  2. うましかの一つ覚え

    新社会党って旧社会党の残党的なものなのですか?
    こんな政党があるの知らなかった
    無理筋な言葉狩りまでして差別がある“ということにした状態”を維持しないといけないって、よっぽどそこから何か利益を生み出しているからとしか思えませんね

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      旧社会党左派の一派が立ち上げたもので自治体議員にはそこそこ残っていますよ。

      返信
  3. ぼんぼん

    「本人たちが訂正しただけで、わしゃ一言も訂正しろとは言ってないで」

    これは現在進行形で、部落解放同盟広島県連合会が真宗大谷派に対して
    『観無量寿経』の「是旃陀羅」の言葉について「厳しく指摘」しているのと同じ姿勢です。

    解放同盟広島県連から《「是旃陀羅」を読むな、と言っている訳ではない。考えて欲しいだけだ》と言われている、と大谷派は説明していますが、大谷派は部落問題に取り組む決議文を採択し、お経を読まない方向に進みつつあります。

    「是旃陀羅」という経典の記述は、経典成立当時のインドの差別の現実の記録です。
    また、王子を諫めるのに、カースト外の人を例に出して諫めたことも、差別です。
    そして「旃陀羅」を日本の被差別部落民に当てはめて説いてきた、という事実もあります。

    しかし、『観無量寿経』の主旨が「旃陀羅を差別しろ、被差別部落民を差別せよ」という事なのでしょうか?
    簡単に無自覚に差別をする我々人間の姿を説いているのであり、だからこそ差別に気がつく眼を開くための文言として、経典の「是旃陀羅」の言葉を頂くことが大事でしょう。
    この意識が無いのであれば、「是旃陀羅」を読んではならないと思いますが、
    この意識を持って、堂々と読めば良いと思います。

    どうしても納得いかないのは、そもそも現在、被差別部落に居たことで差別されなければならないのでしょうか?

    現在もリアルな現実を見ず、想像だけで部落に住む人を差別をする人が多いでしょう。
    「部落探訪」動画を拝見しなかったら、「部落は悲惨なところで、差別される人達が暮らしている場所だ」というイメージが私に温存され続けたと思います。

    もう十分に機が熟したと思います。「私は差別される者だ」「あの人たちを差別してよい」という意識の世代間連鎖を断ち切る時ではないでしょうか。

    動画で紹介いただいた、「私は差別される者だ」ということを前提とした「マイクロアグレッション」理論は、被差別者が差別者を支配するための働きかけだと思いました。

    《差別をしない、したくない》という意識を持つ人に、「この世界には差別される人がいる。そして私は差別する側の人間だ」という意識を産み、結局は「差別される者」の存在を肯定し維持する働きになってしまいます。差別の解消とは真逆に進むのではないでしょうか。

    《生まれによって差別される理由はない》という認識が社会で共有されていれば、差別の言葉を投げつけられた時に、毅然としていられます。
    たとえ、私が現実に差別されてきた先祖を持ったとしても、それを理由に差別・偏見の言葉を投げかけられた時、「だから何ですか? 私には差別される謂われはありません」「あなたは、私が差別された先祖を持つというだけで差別するのですね」と、冷静に言い返されたら、差別した側に《人としての心》があれば、過ちに気づくはずです。

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