学術・研究:部落探訪(15) 長野県小諸市加増(前編)

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

小諸こもろ市と言えば、思い浮かぶのが島崎しまざき藤村とうそん千曲川ちくまがわ旅情の歌。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子ゆうし悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もくによしなし…」というフレーズだろう。そして、島崎藤村と部落と言えば、小説破戒はかいだ。

ここ小諸市加増かますは「破戒」の舞台となった部落である。貴重な歴史資料と共に、この部落を探訪してみよう。

1933年の調査によれば、世帯数と人口はそれぞれ120世帯、661人とされる。

小説「破戒」には、主人公丑松うしまつの出自について次のように記述されている。

そもゝは小諸の向町むかひまち(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中でも、殊に四十戸ばかりの一族いちまきの『おかしら』と言はれる家柄であつた。

この「向町むかいまち」こそが加増の部落のことである。

まず、最初に目についたのが「惟善いぜん学校跡」と書かれた案内板だ。その名前の響きから、もしかするとと思って行ってみると、やはり思った通りであった。

IMG_2910

IMG_2907

この地では明治13年から部落改善事業が始まっていた。その記念碑とも呼べるものがこうやって今に残されている。この地に被差別部落があって、「荒堀あらほり」という名前であることがこれで分かる。

ここは2011年に小諸市によって作られた「惟善学校跡地記念広場」であり、解放新聞でもその除幕式が報じられていた

IMG_2909

IMG_2912

広場には立派な白山神社があった。また、広場は地元住民にとって駐車場でもあるようだ。

IMG_2925

「荒堀老人憩の家」という施設がある。この部落は近世までは「向町」と呼ばれており、その後は「荒堀」という名前が定着したようである。

ところで、「破戒」には次のような会話がある。

だ校長先生には御話しませんでしたが、小諸こもろ与良よらといふ町には私の叔父が住んで居ます。其町はづれに蛇堀川じやぼりがはといふ沙河すながはが有まして、橋を渡ると向町になる――そこが所謂いはゆる穢多町です。叔父の話によりますと、彼処は全町同じ苗字を名乗つて居るといふことでしたツけ。其苗字が、確か瀬川でしたツけ。』

『成程ねえ。』

『今でも向町の手合は苗字を呼びません。普通に新平民といへば名前を呼捨です。おそらく明治になる前は、苗字なぞは無かつたのでせう。それで、戸籍を作るといふ時になつて、一村こぞつて瀬川と成つたんぢや有るまいかと思ふんです。』

『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県ちひさがたの根津の人でせう。』

『それがあてになりやしません――兎に角、瀬川とか高橋とかいふ苗字がの仲間に多いといふことは叔父から聞きました。』

IMG_2961

このフェンスの下がその蛇堀川である。この川が「部落」「一般」を分けるものであったようだ。

なお、会話にあった「瀬川せがわ」という苗字は、この地では見られない。むしろ「高橋」が圧倒的に多く、それだけでなく、なぜか長野県の部落には高橋姓が集中しており、長野県では知る人ぞ知ることのようである。

無論、高橋姓が多い場所が全て部落というわけではないのだが、特に小諸・佐久地域では高橋姓が目立つ。

IMG_2977

実は、幸福の科学の大川おおかわ隆法りゅうほう総裁にも多大な影響を与えたとされる、GLA教団の創始者、高橋信次しんじの出身地である、佐久市瀬戸せと西耕地にしこうちにも行ってみたのだが、その地にある白山神社の寄贈者の姓は全て高橋であった。

vlcsnap-2016-09-02-09h41m42s145

vlcsnap-2016-09-02-09h41m50s254

vlcsnap-2016-09-02-09h42m05s041

vlcsnap-2016-09-02-09h42m28s602

vlcsnap-2016-09-02-09h42m36s884

vlcsnap-2016-09-02-09h42m39s248

亀井文夫のドキュメンタリー、「人間みな兄弟」には1960年頃の加増の映像が出てくる。農村の貧しい部落として描写されている。

なお、「人間みな兄弟」のDVDを買いたい方は、日本ドキュメントフィルムに問い合わせるとよいだろう。

IMG_2939

それから50年、昔のような茅葺きの家はさすがに残っていないが、この部落には廃墟と空き地が目立つ。

IMG_2917

廃墟の1つには、離れの便所が残されていた。

(次回に続く)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

学術・研究:部落探訪(15) 長野県小諸市加増(前編)」への7件のフィードバック

  1. アクビちゃん

    柴田道子『被差別部落の伝承と生活: 信州の部落・古老聞き書き』214頁によると、信州の部落民の一部は文盲ゆえに意味を知らされぬまま「土手下だとか、橋脇とか須加尾など」といった苗字を付けられたそうです。しかし土手下という苗字は長野県の電話帳には登録がありません。集団で改姓したのでしょうか。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      おそらく、土手下といった苗字を付けられた人は非常に少なかったのではないでしょうか。

      それよりも、どうして高橋があんなに多くなったのか由来に興味があるところです。

      返信
      1. アクビちゃん

        「苗字でポン!」すると東京都調布市国領町8-9-3の高橋三枝子さんが異常に多く登録されています。これはなぜですか。

        ttp://jpon.xyz/2000/27/59/8.html?all

        返信
        1. 鳥取ループ 投稿作成者

          これは電話帳データのエラーっぽいですね。原因は不明です。

          返信
  2. 水鏡

    長野県の被差別部落には風呂下(ふろげ)姓も存在していた様に思います。

    明治新政府が国民に姓(苗字)を名乗る事を法制化した時に、読み書きが不手得な被差別部落の住民が地元の僧侶に…知恵を拝借したところ風呂下姓を名乗るように提案された様です。

    文盲にて訳も解らず…姓を名乗る事に喜びを感じたのですが…世代が交代し時が経ったある日…

    風呂下の姓に関しての真の意味を知ることになる…

    「風呂の下の垢ほどに穢れた人達」と言う本当の意味を知り、ただでさえ出自を他人に知られたくないのに…一種の消えぬ烙印を押されたようなもので風呂下の姓を名乗る者は悲嘆に昏れたと…話に聴いています。

    現在において長野県に存在するであろう風呂下姓の人達は…その姓を名乗る事で社会的不利益を受けるので裁判所申立による改氏申請により苗字を変えているはずである。

    返信
  3. うしまつ

    最近になってこのサイトの存在を知り拝読させていただいてるもので、古い記事へのコメント、すみません。
    破戒の瀬川丑松のモデルは大江礒吉だそうですね。
    私が子供の頃、父親に教えてもらった長野県S町の被差別部落の住民がすべて高橋さんでびっくりしたのを覚えてます。その昔は刑場だったようで○塚もありましたが、最近ストリートビューで見てみたけど見当たりませんでした。

    返信
    1. ニコイチ

      お隣の佐久の事ですかね? 良く知ってますよ。下越のことですかね?浅科もそうだとか・・・ともにニコイチがありますのですぐに分かります。同和集会場もあったような記憶があります。

      返信

関連記事

学術・研究:部落探訪(293)埼玉県 狭山市 柏原 下宿

柏原(かしわばら)の部落は高杉晋吾『部落差別と冤罪』で、狭山事件に絡めて引き合いに出されている。狭山事件との接点と言えば、石川一雄氏の友人で一度逮捕されたものの釈放された東島明氏がこの地区の出身である。 なお、石川一雄氏 […]

学術・研究:部落探訪(292)熊本県 熊本市 南区 城南町隈庄 萱木

熊本では数多くの部落を探訪する準備をしてきたものの、いろいろあって気がついたら日没が近づいていた。最後の探訪先に選んだのが萱木(かやのき)である。ここを選んだ理由は、たまたま今いる場所から近かったからである。 地名で言え […]

学術・研究:部落探訪(291)熊本県 熊本市 南区 日吉2丁目 7, 14

熊本では時間が限られていたので、どの部落を探訪するのか迷った。その中で選んだのが、比較的規模の大きな未指定地区と推定される場所である。現在の熊本市 南区 日吉2丁目7番地、14番地で、昭和初期は100世帯あったとされる。 […]

学術・研究:部落探訪(290)熊本県 菊池郡 菊陽町 原水 馬場

『各墓地で憤りをあらわに「死んでも差別が」熊本県知事が部落視察』という記事が、2004年11月15日のウェブ版解放新聞に掲載されている。当時の潮谷義子熊本県知事が「部落の人びとは死んでまでも差別をうけるのか」と憤りをあら […]

学術・研究:部落探訪(289 後編)熊本県 熊本市 中央区 本荘・春竹

前回に続き、熊本最大の部落、本荘・春竹を探訪する。 食肉業者が集中し、部落のステレオタイプに合致する部落らしい部落なのだが、少なくとも現在は運動は盛んとは言い難い。むしろ、部落だの同和だのといったことは、既に終わったこと […]

学術・研究:部落探訪(289 前編)熊本県 熊本市 中央区 本荘・春竹

熊本県で最大かつ最も有名な部落と言えば本荘・春竹地区である。昭和初期の記録では本荘111戸、春竹307戸とされる。 2016年に日本テレビで「いのちいただくシゴト 〜元食肉解体作業員の誇りと痛み〜」というドキュメンタリー […]