イスラエルのサイバーセキュリティ、カウンターテロリズムなどの最新機器と技術の見本市「ISDEF JAPAN」が8月29、30日の両日、川崎市のとどろきアリーナ(中原区)で開催された。会場前では「イスラエル軍事エキスポに反対する会」の杉原浩司氏ら350人(主催者発表)がデモを行いイスラエル、アリーナの運営者である川崎市に抗議した。表面上は左派市民による一反戦デモで当初はネタ記事程度に考えていた。しかしよく検証してみるとこの一件は実に抱える問題を含んでいる。自治体、あるいは企業もまた「対岸の火事」と考えてはいけない。
ヘイトではない!? 外国人に「人殺し」「出てけ」と罵倒する
おそらく川崎市は今、全国でも最も話題性ある町ではないか。武蔵小杉(同市中原区)には巨大なタワーマンションが乱立し一躍、人気スポットとなり情報番組などでもよく取り上げられている。だが皮肉にも急激な人口増加で武蔵小杉駅のラッシュタイムは乗客が改札にすら入れないなどの弊害も招いた。また川崎市は歴史的に在日コリアンが多く在住する。このため民族団体、保守団体による街宣デモに対して反差別、カウンター団体が押し寄せる。双方のデモ隊が対峙する事態がたびたび起きている。そんな熱き川崎市がイスラエルに軍事協力していると活動家たちは激怒しているのだ。
「イスラエル軍事エキスポに反対する会」や杉原氏の説明によると「ISDEF JAPAN」はとどろきアリーナ条例の第1条「生涯スポーツの振興及び市民文化の向上を図る」ことを設置の目的、展示される関連装備が同第16条の危険物の持ち込み禁止に反していると訴える。そして単に軍事関係の催事だから反対という以上にイスラエル主催という点を同会は問題視しているのだ。
その抗議は開催前から始まっていた。同会は8月27日に「ISDEF JAPAN」に参加予定だったソフトバンク本社に申し入れを行い参加キャンセルに追い込んだ。そして29日、とどろきアリーナ前公園に集まった活動家、市民らはISDEF JAPAN会場入りする企業、団体関係者に向け怒りの声を挙げた。
「恥ずかしくないですか」「戦争で金を儲けて嬉しいか!」「もっと勉強しなさい」
関係者が通行する道に行列を作って激しい言葉が投げかけられる。今回の出展企業はイスラエルなど海外の企業も多いため外国人の関係者も目立った。外国人関係者を見つけるやこう罵声が飛ぶ。
「Go Away」(立ち去れ)「Murder」(人殺し)
中には出展企業関係者と思しき若い外国人女性もいたが、無関係でこうした言葉が投げかけられる。ここでは女性へのパワハラといった言説は存在しない。日本人関係者の場合、沈黙して通りすぎる。だが外国人の場合、反論する人もいた。すると一斉に取り囲み激しい言葉が浴びせられる。不思議なものだ。ここに集結した活動家、市民は間違いなく外国人の反ヘイト、反差別にも関心を寄せていることだろう。しかしそんな人々が一参加者に過ぎない外国人に対して「出てけ」「人殺し」とまで言う。こうした形で個人攻撃の必要があるのか。
個人的にも同施設で「ISDEF JAPAN」が開催されることに違和感を覚えたのも事実だ。とどろきアリーナは体育施設でトレーニング室もあり、私も利用する機会がある。ごく普通の公共スポーツ施設でイスラエルの軍事産業が展示される。このことに抵抗を感じる人がいても不思議ではない。かといって反論できない一般参加者に「人殺し」となじることが正しいと思えない。それに仮にこれがロシア、中国の主催のイベントで保守団体が抗議をした場合、まず「ヘイト」認定され、またマスコミも同調して「ヘイト街宣」と報じるのではないか。しかしこの現象を単に右派・左派双方の街宣デモにおけるダブルスタンダードという点で片づけるつもりはない。注目すべきは「ISDEF JAPAN」がイスラエル主催という点だ。
イスラエルという特異な国
イスラエル、というよりユダヤ人とは特異な民族である。歴史的には迫害された民族である一方、パレスチナ問題が関わると「侵略者」の顔になる。つまり強者と弱者の両方の顔を持つ民族だ。本誌が報じた田布施システムという言説は同時に「ユダヤ陰謀論」も関連付けられている。田布施システムは左右両派に信奉者が存在するが左派の提唱者の場合、ユダヤ人が世界の金融を牛耳り支配者であると訴える。ところがそんな彼らも在日コリアンへのヘイトスピーチには批判的だ。「朝鮮人が日本社会で暗躍する」こんな言説が差別で「ユダヤ人が世界で暗躍する」が差別ではないという境界線が分からない。この場合、どちらも妄言に見えるが、しかし後者の場合は左派の学者、メディア関係者らも容認、黙認しているかのようだ。いやむしろリベラルに属する著名人自らユダヤ陰謀説を唱えるケースもある。
そんなイスラエルの軍事見本市である。かの国の軍事産業は基幹産業でもある。世界を見るとアメリカ、ロシア、北欧、フランス、これらの国々も軍事産業が強い。そして有力な武器輸出国だ。しかし仮に同種の展示会の主催国がイスラエル以外だとすれば活動家たちはまた異なる反応を示したことだろう。今回のデモはパレスチナ問題を抱えるイスラエルが主催だからこそ起きたデモではないか。もちろん「イスラエル軍事エキスポに反対する会」の主張もあながち否定できない。「ISDEF JAPAN」で展示された機器、技術によって今このタイミングで殺害されるパレスチナ人も存在するだろう。
現に「ISDEF JAPAN」で配布されたパンフレットを見ると、セキュリティ機器だけではなく明らかに兵器であろう製品が掲載されていた。だから抗議者たちが「武器見本市」と位置付けるのも間違いではない。ただしとどろきアリーナは展示会でも利用されることがあり、イスラエルがセキュリティ関係機器の展示という以上、川崎市の方針を忖度すれば断りにくい背景がある。仮に市側が展示会を拒否したら、今度は逆にイスラエル側の心証を害しかねない。繰り返すが厄介なのがイスラエルはパレスチナ問題に対しては「侵略者」の扱いだが、歴史的には迫害されてきた「ユダヤ人」の国ということだ。だからイスラエルの展示会を拒否することは今度は逆に「ユダヤ人差別」と言われかねない。だから「ISDEF JAPAN」の開催は川崎市としても悩ましい選択だったのは容易に想像できる。
しかし一概に「軍事」「武器」といっても一般的に製造される自動車、電化製品、鉄鋼、IT機器も「軍事転用」される可能性はある。零細工場のネジ一つが兵器の一部になることすらあるだろう。パレスチナに限らず世界では様々な紛争地がある。日本製のピックアップトラックに機銃を積み他民族を攻撃する――こんなシーンも考えられるだろう。だからパレスチナ人を虐殺する可能性がある展示会が不適切なのか、それとも国籍を問わず人を殺す可能性がある製品は全て不適切と考えるのか。「ISDEF JAPAN」がセキュリティ、カウンターテロリズムの対策機器、技術だから分かりやすい。しかしこれがイスラエルのソフトウェアやIT技術の展示会ならばどうなるのか。ソフト関連製品も軍事転用は可能だ。極端なことを言えばあるいはイスラエルの食品展示会はどうか? イスラエル軍がその食品をレーションに使用することもありえる。「風が吹けば桶屋が儲かる」論のようで揚げ足取りのように聞こえるだろうが、そうではない。
何をもって「軍事利用」とするのかは難しいものだ。今後、イスラエル関係の催事が他施設で開催される場合、今回のような抗議が発生する可能性がある。コンベンション・センターの運営企業や自治体はどんな基準で使用許可を出すのか。また今回のデモ隊も「平和」「反戦」を訴える以上、イスラエルだけを批判対象にしてはいけない。どんな国であっても同様の見本市が企画された場合、抗議の声を挙げるべきだ。それが「ロシア」「中国」「韓国」であってもである。
全国の自治体は「行政症候群」から脱却すべき
例によってデモ隊で目立ったのはやはり高齢者である。それもそのはず。平日の昼間に就労世代がデモに参加するのは難しい。8月末だがまだ暑い。高齢者が日中に屋外で立ち続けるというのはご苦労なことだ。だから途中、ダイイン(死体を模した抗議活動)があったが、抗議というよりも本当にダウンしたかのように見えた。紛争地でのダイインは悲壮感がある。川崎市の一角でのダイインは滑稽でしかない。また興味深いのは一般メディアの記者の取材だった。随所で記者たちが参加者に声をかけていたが「地元住民」であることを念入りに確認していた。おそらく他地域の活動家ではなく純粋に地元住民が反対していることを強調したいのだろう。それから一般人のつもりが実は特定団体、特定政党の関係者だったという現象を回避したかったはずだ。なにしろネットで名前を検索すれば一般住民か活動家か判明する。もっとも地元住民といっても“色つき”であることに変わりはない。そんな住民たちはこう訴える。
「人権かわさきイニシアチブじゃなかったんですか」
人権かわさきイニシアチブは川崎市の人権施策で「人権教育の推進」、「人権意識の普及」、「相談・救済、自立支援の充実」、「連携協働による取組の推進」という4つの施策を柱にする。つまりイスラエルの軍事機器の展示会を開くことはパレスチナ人の命と人権を奪う、そういう意味で引き合いに出したわけだ。川崎は歴史的に外国籍住民が多いことから全国に先駆け「外国人市民代表者会議」の設置、市営住宅の国籍条項の撤廃を行ってきた。あるいは「市民協業」「市民参加」を促すのも川崎市政の特徴である。
川崎市に限らず「市民」を謳う自治体は多い。「市民が主役」「市民が中心の街づくり」こんな歯が浮くようなフレーズは要するに“なだめている”に過ぎないのだ。それは企業が「お客様第一主義」を掲げるように。しかしこのフレーズによってチョコレート一つ買うにも消費者に「王様気分」を植え付ける結果になった。権利意識の肥大というものだ。「市民が主役」これも全く同様である。有り体に言えば全国津々浦々の「暇人」に根拠のない自信と過剰な自意識を与えてしまった。市民協業と言っても仮に重大な問題が起きても市民が責任を負うことはない。あるいは市民たちは「市民」であることを理由に責任を拒否するだろう。
声の大きい住民を「市民」という称号を与えてなだめてはみたもののさらに声が大きくなってしまった。「ISDEF JAPAN」の反対デモ終了後、とどろきアリーナ内で「イスラエル軍事エキスポに反対する会」のメンバーらに取り囲まれ問い詰められる川崎市職員たち。その様は糾弾会の様相だった。この模様は関係者らによって撮影されYOUTUBEにも投稿されている。しかしこうした光景を公に晒すのは全く得策ではない。
同和、在日にせよ権利闘争の過程で行政を問い詰め成果を引き出し、これを誇示することは意味があった。しかし今のご時世、ごく普通の一般人が見た場合、「面倒くさい人々」にしか見えないのだ。おそらく同会も団体の成果としているのだろうがすでにこの発想自体がとても前近代的だ。また「市民参加」「市民が主役」と言って市民礼賛してきた自治体職員たちが、皮肉なことに当の市民たちに吊し上げられる。気の毒でもあるが「いい気味だ」という思いも払拭できない。
今回の「ISDEF JAPAN」の開催を認可した川崎市が正しいのか、あるいは反対するデモ隊が正しいのか判断はできない。しかし確実に言えることは「人権」「市民」と美辞麗句を謳ってとりあえず声高き者たちをなだめすかし、問題を先送りしてきた日本の行政の欠点がある。こう思えてならない。何が「危険」で、何が「人権の配慮」なのかそうした議論をすることなしに声の大きさによって態度を決してきたのがこれまでの行政の有り方だ。この現象は「行政症候群」と言ってもいい。「公共の福祉」「公益性」「公平」と言っても結局のところ抗議者の声量で判断してきたツケが回ってきたのだ。「ISDEF JAPAN」もセキュリティシステムで兵器ではないという甘い見通しがあったはず。ところが市民運動とはそうはできていない。この川崎市の判断能力のなさも結局、甘い言葉で逃げ伸びてきたがためである。
もはや人々の価値観の多様化というレベルではない。何が権利で、何が公益なのかあまりに複雑になってしまった。そんな時代にあってもう「人権上の配慮」「公序良俗に反する」こんな通り一遍の行政用語では通用しない。繰り返すが全国の自治体、あるいは企業も「対岸の火事」ではない。自身に身を置き換え考えるべきだ。
反ユダヤと反イスラエル(反シオニズム)は重なる場合もあるが、目指すところは根本的に違うでしょう。両者を混同するのは「部落民が嫌い」と「解放同盟が嫌い」を同一視するようなものです。あるいは「日本人が嫌い」と「自民党が嫌い」をごっちゃにするようなもの。
その手の置き換えはさんざんカウンター団体や左派がわざと混同してやってきたことですからねぇ
例えば朝鮮総連を非難してもコリアンへのヘイトスピーチや差別に置き換えて非難を抹殺したり
日本のリベラルに限らずアメリカとかでもパレスチナ問題になるとリベラルはダブルスタンダードに陥るんですよね
「カウンター団体や左派」に限定する根拠は何ですか?
ダブスタを弄する手合は右翼にも左翼にもノンポリにもいます。
パレスチナ問題でイスラエルを組織的に批判してるのが世界的にもリベラルの左派だから例に上げたのですよ
この記事の団体的な抗議をしてる面々を見ても、パレスチナ問題に関しては左派がダブルスタンダードに陥っていると私は思ったまでです
「耳障りの良い」は日本語としておかしいです
これはよくないです。すみません
他にも日本語としておかしいところがありますよ。
まぁ、所詮その程度の物書きなのでしょうね。
そもそも、どうみても差別主義者がやってるサイトですし。
物書きとして認識してくれてありがたいです。こんなネタ記事に反応してくれたこともありたい話。