去る2013年…と2年も前のことなのだが、神奈川朝鮮学園の文化祭に行ってみた。長らく記事にしそびれてしまったので、今さらながらその時のことをレポートしようと思う。
朝鮮学校と言えば、高校無償化の対象から除外されて、そのことをめぐって訴訟の真っ最中である。それにしても、北朝鮮による拉致問題が明るみになり、北朝鮮本国との関係が注目されて、世間から見た印象は下がる一方の朝鮮学校に、未だに通う生徒がいるのはなぜか。
そういった話を、弊舎の本を買いに来た元朝鮮学校の生徒だという人と話していると、勧められたのが「朝鮮学校の文化祭に行ってみては?」ということだ。行ってみてはと言われれば行くしかないだろう。
そこで11月、横浜市神奈川区沢渡にある神奈川朝鮮中高級学校の文化祭に行ってみた。ちなみに、現在は中等部の生徒はおらず、事実上は日本の学校で言えば、ここは高校ということになる。
まず、目についたのが、このいかにも社会主義テイストのアートだ。
遠目には一瞬橋下徹に見えてしまった。ハングルで「燃える情熱と力強い情熱で、守れ我が家継承しよう私達の伝統」と書いてある。要は、この学校を守ろうということなのだろうか。
これは校歌。これもハングルキーボードで書き起こしてグーグル翻訳にかけてみたら「神奈川横浜日当たりのよい沢渡に~」みたいな歌い出しなので、たぶん、日本の学校でもありそうな内容の歌詞なのだろう。
さて、イベントの内容は出店で食べ物をだしたり、日頃学習したことを発表したりといったものである。文化祭なので当たり前か。朝鮮学校らしく、チヂミやトックなどの朝鮮料理は欠かせない。
また、朝鮮半島の歴史の解説や、北朝鮮に修学旅行した時のレポートもあった。
さて、そろそろ本題であるなぜ朝鮮学校に入ったのか生徒に聞いてみた。
「通訳になりたくて、韓国語を勉強したかったので。」
とある2年生の女生徒はこう答えた。それにしても「韓国語」というのが気になる。ここは朝鮮学校ではないのか。
「言葉は同じだから、あまり北とか南とか関係なく、言葉を勉強したいだけの日本人の生徒もいますよ」
…そういうものなのだろうか。とにかく、彼女が言うには、あまり政治的なことは考えなくて、インターナショナルスクールみたいな感覚で通っているらしいのだ。他の生徒に聞いても、答えは似たり寄ったりだ。
しかし、3年生の教室では討論会っぽいことをやっていた。朝鮮学校よりの記事を書くことで定評のある神奈川新聞の記者も来ており、ここならアツい声を聞けるかもしれない。
教室の正面に掲げられた、この肖像画に気になりつつも、日頃の疑問を3年生の男子生徒にぶつけてみた。
筆者「今、朝鮮学校に通っている生徒は3世や4世で、そうなるともはや“在日”と言えるものなのですか?」
生徒「まあ、そうです。初級学校だと4世や5世がいます」
筆者「そうなると、朝鮮から来たのは“ひい爺さん”や“ひいひい爺さん”になってしまうわけで、例えば私も含めて3世代もたどった先祖がどこで生まれたか知る人は、ほとんどいないと思います。それでも、国籍にこだわる理由は何なのですか?」
生徒「それでも、我々には祖国への思い入れがあるのです」
筆者「祖国と言えば、さっきから“あれ”が気になるのですが…」
と、筆者は例の肖像画を指差した。
生徒「私達の先祖が日本で苦労した時に、“あの方”を頼りにする他なかったのです。そして、いろいろと助けて頂いたので、あのように掲げているのです」
筆者「では、あくまで仮定として、今は日本の国籍制度は血統主義ですが、アメリカのように出生地主義にすると言ったら賛成しますか、反対しますか? つまり、明日から日本国内で生まれる“在日”は強制的に日本国籍になるとしたらです」
この質問は、かなり意外だったらしく、生徒もしばらく黙っていた。
実は、筆者は「在日」の問題について語る場合は、常にこの質問をすることにしている。なぜなら、血統主義を取りつづける限り、永久に在日の問題は解決することはなく、せめて特別永住者に対しては出生地主義を適用するしか現実的な解決策はないと筆者は思うからだ。おそらく今の多くの日本人のルーツにも含まれているであろうと思われる「渡来人」が来ていた時代は、日本も事実上の出生地主義だったはずだ。
そして、国が血統主義・出生地主義のどちらを採用するかという問題は、善悪や優劣に対して中立的な問題なので、よもや「在日を強制的に日本人にする出生地主義は差別だ」とも言えない。
そして、沈黙の後の答えはこうである。
生徒「…やっぱり、在日にとって祖国の思いは大きいんです。反対か賛成かと言えば…反対です」
筆者「年々、朝鮮学校の生徒は減っていて、財政も厳しい。この校舎も耐震強度の問題があって、もう限界に来ていると聞いています。今後、朝鮮学校はどうなっていくと思いますか?」
生徒「確かに、状況は厳しいです。何十年も先も今と同じ学校があるとは思わないですが、例えば建物が小さくなっても、何らかの形で続くでしょう」
さて、なぜ朝鮮学校が存在するのか。それは在日の「意地」の問題である。そんな事を感じた筆者であった。
歴史的経緯かどうかわかりませんが、外国人学校の生徒は
違法行為をしても絶対に逮捕されないらしいです。
だからやりたい放題するそうです。治外法権地域みたいです。
米国のインターナショナルスクールを卒業した生徒さんが言ってました。
それは、校内では日本の警察は手は出せないということなのでしょうか?
外国人に日本の法律の適用が出来ないから、逮捕しなかったみたいです。
法律的には十分可能でも政治力が働いてダブルスタンダードやっていただけかもしれませんけど。
たぶん、比較的軽い犯罪の場合は、外交案件として相手国の大使館が面倒を見るということで、逮捕せずに在宅捜査にした上、起訴猶予にするということではないでしょうか。
「何故、朝鮮学校に通う子はわかりやすい向こうの服装で通うのか?」(一時期嫌がらせが多発した時期でも)
「何故、日本で生まれ育っててわざわざあちらの学校へ通うのか?」
という疑問が長年あったのですが、その疑問が解けました。
正直、自分とは縁もゆかりもない国に対して、どうしてそこまでの思慕ともいえる情を抱けるのか不思議ではありますが、それはきっと家族の中で代々受け継がれてきたものなのでしょうね。
かといって、在日三世四世にもなれば「祖国に帰る」という選択肢もまた、ないのでしょうが……。
私の行っていた高校はこの学校に近くにあり、帰路にバスでなく徒歩で帰るときには、時々そこの生徒さん達に遭遇しました。
ある日、私は文化祭のパレードの練習のためバトンを持って帰路を歩いていたのですが、突然、その学校の女の子に「これ、なーに?」と言って、いきなりバトンをとりあげられてしまったのです。あ、とられてしまうのかな、という考えが一瞬よぎりましたが、私は、それが何なのか、何にどうやって使うのかを淡々と説明しました。そうしたら、その子はバトンをしげしげとながめながら、「ふーーーん」と言ってしばらくしてそれを返してくれたのです。ホッとしました、たぶん彼らは、対人習慣が我々と少し違って、あたりさわりのない、日本流の前口上をあまりしらなかったのでしょう。日本人なら、あ、ちょっとすみません、それはなんですか?持ってみてもいいですか?などと言ってから触らせて貰うものですが、そういう社交、対人術をまだ会得していなくて、悪気はなかったんだなぁ、先入観はいけないなあと思いました。でも、日本で生きていくなら、これからもう少し日本流を会得して行った方が、彼らにとっても有益なのになあ、と思いました。
田舎の、いわゆるDQN高校がそんなノリでしたね…