【名古屋市】なぜ千種署員は保護した猫を現場に戻したか? 2013年遺棄事件が影響したとも

カテゴリー: 動物愛護問題, 未分類 | タグ: | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina
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「また愛知県警か」。東海地方の保護猫活動家がこう憤る。7月9日夜、名古屋市千種区のオフィスビル敷地内で地域住民が子猫を発見。駆けつけた千種署員は「遺棄事案」と判断し、一時預かりとして猫を引き取った。ところが同日、発見者に対して同署は「元に戻した」と説明したという。子猫は現在も発見されておらず、地域猫活動家らは遺棄事件として告発する方針だ。愛知県内の警察署では2013年に同種の事案が発生しており、専門家やボランティアの間では関連性を疑う声も少なくない。(写真=愛知県警)

旋回行動中の危険な状態で発見された子猫

7月9日、千種区覚王山通りのオフィスビルのエレベーター前で白黒で生後2、3か月の子猫が段ボール箱、紙トレー、紙のコップと共に放置されているのを地域住民が発見した。現場は大通りに面しており人の目につきやすい場所だ。

通報により千種警察署の署員4人が現場を調べ、状況から「遺棄」と断定したという。ところが遺棄事件の可能性もある中で、発見者に対して「一時預かり書」が発行されたという。

「遺棄」との判断なのに「一時預かり書」が発行されたというのは拾得物として処理されたことになる。不可解な対応だ。

保護活動家らによると子猫には、同じ方向へぐるぐる回り続ける「旋回行動」がみられたという。旋回行動の原因としては、中耳・内耳の障害による前庭疾患、あるいは脳炎、頭部外傷、先天性神経疾患、中毒などもあり得る。健康状態が良好とは考えにくい。

何らかのケアが必要だったかもしれない。その後、発見者に対して「子猫は私たちの判断で元に戻した」との連絡があった。ボランティアも加わり子猫の捜索が始まったが結局、見つからず現在も消息不明ということだ。

ある関係者は「遺棄事件の可能性があるのに、物的証拠であるはずの子猫を元の場所に戻したというのはおかしい。証拠保全上問題のある対応ではないでしょうか」と訴える。

通常、こうした場合は名古屋市動物愛護センターに連絡して引き取ってもらう。ところが千種警察署は同センターにも連絡していなかった。本来、動物保護は警察・行政の連携で進められるのだが、それもなかったという。

なぜこのような事態が起きたのか。関係者はいずれも2013年、保護猫をめぐる東海署と愛知県動物保護管理センター知多支所の遺棄事件の影響を指摘していた。愛知県内の動物保護行政にとってもある意味で〝トラウマ〟というべき事案である。

東海署が保護センター所長を道連れにした?

2013年8月と10月、愛知県内の東海警察署に計3匹の猫が届けられた。東海署の会計課職員は、愛知県動物保護管理センター知多支所に引取りを依頼。

ところが、当時の支所長から「自力で生きられる猫は逃がしてください」と指示を受け、警察署員が同署付近の畑に猫を放した。

県内の保護団体は、これを遺棄事件として告発した。

これを受け、愛知県警は2014年4月、東海署会計課の男性職員を動物愛護管理法違反(遺棄)の疑いで書類送検した。また、猫の保護を断ったうえ、「逃がしてください」と職員に遺棄を促したとして、同センターの支所長も遺棄教唆の疑いで書類送検した。

当時は、どのような行為が遺棄罪に当たるかについて明確な判断基準が示されていなかったが、県警は支所長の発言が職員をそそのかす行為に当たると判断した。

保護活動家提供。


名古屋地検は2014年7月30日、両者を不起訴。検察側は「自活できる場所に放した行為は犯罪に当たらない」と判断した。

そもそも健康な野良猫を元の生息場所へ戻す行為が、直ちに遺棄罪に当たるとは限らない。事件を受けて大村秀章知事は「自活可能な猫を放すことは遺棄とは考えない」「遺棄の定義が曖昧で、現場が対応できなくなる」などと説明した。

県の施設にも限りがあり自活可能な猫までを保護するのは困難だ。「愛知県警は愛知県動物保護管理センターを〝道連れ〟にした」と行政関係者やボランティアの間では囁かれていた。このため愛知県側は警察に対して不信感が募ったという。

トラブル発生後、2013年12月24日、警察内部では「愛護動物の人為的置き去り事案の対応について」という文書が通達された。猫を放ったことが問題行為だと認識したからだろう。

本件の影響は大きかったようだ。事件後、環境省は2014年12月12日、動物愛護管理法違反となる「遺棄」の概念を明確化する通知を全国の自治体に発した。愛護動物を移動させたり置き去りにして場所的に離れ、その生命や身体を危険にさらす行為が「遺棄」に該当すると定義したのだ。

環境省の通知。

腰の重たい官公庁を動かしたほど行政に影を落とした2013年の遺棄事件。地元ではこの一件で行政側が愛知県警に対して不信感を抱き、関係が悪化したという見方が強まっている。

そもそも今回起きたトラブルは千種警察署が名古屋市動物愛護センターに相談すれば済んだ話なのだ。

過去の事件をきっかけに行政側と関係悪化した警察がセンターへの相談を躊躇したことも考えられる。

名古屋市動物愛護センターによれば千種警察署からの連絡はなかったという。また愛知県警とは動物の取り扱いマニュアルを共有しており、協力体制はできていると説明する。

少なくとも、2013年の問題が尾を引き、センターが引取りを拒否したということは考えにくい。それに取り扱いマニュアルがあるならば、現場の署員に周知徹底がされていないことになる。となると千種警察署のミスが問われても仕方がないだろう。

そこで愛知県警に見解を問うた。

(1)子猫は遺棄と断定しながら一時預かり書を発行したのはなぜか(2)なぜセンターに連絡しなかったのか
(3)2014年の動物保護管理センター知多支所との保護猫拒否をめぐり行政との協力体制ができていないのではないか(4)殺処分ゼロが現場の署員の負担になっている面はあるか

この4点について聞いてみた。

「上記(1)~(4)の質問事項については、現在調査中につき、回答を差し控えさせていただきます」(愛知県警広報課)

以前も類似のトラブルがあったにもかかわらずその反省が活かされていなかったとすれば問題だ。地域猫活動家らは遺棄事件として告発する方針である。

現時点では、今回の対応に2013年の事案が影響したかははっきりしない。名古屋市と県警の間には動物の取扱いに関する協力体制があるという。なぜセンターへの連絡が行われず、子猫が元の場所へ戻されたのか。県警には、署員が子猫の状態をどう判断し、どのような手順と判断に基づいて対応したのかを明らかにしてほしい。

【もう一つの論点】政治的アドバルーン化した殺処分ゼロ

犬猫の「殺処分ゼロ」は各自治体で競うように取り組まれてきた。また政党、議員の公約にも盛り込まれる。

もとは2002年、熊本市動物愛護センターが、全国に先駆けて「殺処分ゼロ」を目標として掲げた。安易な引き取りを抑え、飼い主への説得、返還・譲渡の拡大などに取り組んだ。徐々に注目され、環境省が2013年11月に「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト」を開始。2014年6月に、殺処分をできる限り減らし、最終的にゼロを目指すアクションプランを公表した。

『殺処分ゼロ』という数値目標が自己目的化しているのではないか、という疑念も生じる。

「自治体が掲げる『殺処分ゼロ』には、全国一律の定義がない。自治体によっては、重病・攻撃性などを理由とする致死処分や収容後の死亡を除き、「譲渡できる犬猫を、収容スペース不足など行政側の事情で殺さなかった」という意味でゼロ宣言するケースもある。

したがって殺処分ゼロは「行政施設で死んだ犬猫が一匹もいない」「地域で行き場を失った犬猫がすべて救われた」という意味ではない。

国の統計上の「殺処分」は以下のように定義されてきた。注意すべきは一般に自治体が「殺処分ゼロ」と宣言する場合、国の①②③すべてをゼロにしたとは限らないことだ。

保護猫活動に精通する自治体議員は「その典型例が東京都です」と説明する。小池百合子知事は、2016年の就任以来「ペット殺処分ゼロ」を公約や政策の柱の一つに掲げ、譲渡の推進や普及啓発を行ってきた。

東京都は①動物福祉上必要な致死処分②引取り・収容後の死亡③それ以外の致死処分と分類してきたが、このうち殺処分と定義されているのは「③それ以外の致死処分」だ。

重病や著しい攻撃性を理由に致死処分した犬猫や、収容後に死亡した犬猫がいても、「殺処分ゼロ」と発表できる。もちろんこれ自体が違法でもない。

また回復不能な動物を苦痛から解放する安楽死と、健康な動物を施設都合で処分する行為を同列に扱わない考え方には合理性がある。問題は「すべての命を救った」かのような印象を与える広報をしていることだ。

この辺りは役人得意の〝アリバイ仕事〟というもの。数字の扱いや言葉の定義次第で「殺処分ゼロ」が達成できる。

一方で愛知県の動物愛護管理推進計画は、単純な「全致死処分ゼロ」ではなく、環境省の分類を踏まえた「理由なき殺処分」の削減を掲げる。

県の目標は、2018年度の殺処分数に対し、「理由なき殺処分」の数を2030年度までに半減させるというもの。

つまり、愛知県は現時点で「殺処分ゼロ」を数値目標にしているわけではない。回復不能な病気や著しい攻撃性などにより、動物福祉上必要となる安楽死を除き、譲渡可能な犬猫を人間側の事情で処分するケースを減らすという考え方だ。

これは大阪市が提唱した「理由なき殺処分ゼロ」に近く、現実的な方針と言える。

自治体によって方針は様々だが、注意すべきは、「殺処分ゼロ」が実態を伴わない政治的スローガンになることである。

殺処分ゼロは、本来、年度末の帳尻を合わせる数値目標ではない。救命可能な犬猫を、譲渡先や収容場所、予算がないという人間側の都合で死なせないための政策である。ところがゼロそのものが目的化すれば、引取り拒否や民間団体への過度な負担、長期収容、傷病動物の放置といった別の問題を生むおそれがある。

問うべきは「殺処分の数」だけではなく、行政の外に置かれた動物を含め、どれだけ適切に保護できたかである。

ところが政治、行政の「殺処分ゼロ」という喧伝が逆に現場で責任回避を引き起こし、「保護したら負け」という風潮を生み出さないか。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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