日本基督教団にとって「反靖国」と「部落問題」は必須の二大テーマ。特に部落問題について教団内で異論を唱えることはほぼ不可能だ。教団は部落解放センターを設置し活動を支えてきた。また毎年7月に「部落解放祈りの日」を定めたが、どのような活動を行っているのか。同センターが教会に実施したアンケートを検証する。(写真=日本基督教団部落解放センター)
先鋭化の極み『礼拝と音楽209号』回収騒動

「辺野古沖船転覆事故」対策本部を設置した日本基督教団。どのような取り組みや対応をしているのか不透明だ。実情は「ポーズ」の可能性もある。反戦、対策本部といったところで反基地闘争を検証することは活動家肌の関係者が許さないだろう。
キリスト教団体というより共産党、セクト、人権団体と見間違う。その先鋭化ぶりは日本基督教団出版局の季刊誌『礼拝と音楽209号』(最終号)の回収騒動でも見てとれた。出版元は4月末に回収と返金を発表。驚いたのは記述内容ではなく執筆者の過去発言が問題視されたことである。
最終号でキャンセルカルチャーが起きたことは日本基督教団を象徴するかのようだ。
この理由については様々な憶測が飛び交う。元TBSテレビ報道局記者でクラウドチャーチを運営する小林拓馬氏は自身のYouTube企画で「個人的に一番可能性が高いと思うのは部落差別関係」だと指摘した。
在日コリアン、LGBT、ジェンダーにも力を入れる同教団だが、部落問題は特別な存在である。行政機関が恐れるのと同じ現象だ。回収と返金まで追い込める力は「部落問題」の可能性が高い。一方、問題視された執筆者が過去、ハラスメント行為を行ったとも一部で囁かれている。
日本基督教団独自の「部落解放祈りの日」
それほど日本基督教団にとって部落問題は絶対的な問題になった。教団と部落解放同盟の関係については前回の記事が詳しい。
【日本基督教団】隣保館化した教会 政治集会と化した礼拝 平和・博愛を説く一方で暴力容認の原点とは
教会側は部落問題への取り組みを求められている。その一つが7月に行われる「部落解放祈りの日」だ。キリスト教の教義や伝統に由来した記念日ではない。
1975年7月14、15日に開催された常議員会で部落差別問題特別委員会の設置が決定。これにちなんで7月第2主日を「部落解放祈りの日」としたものだ。もちろん日本独自の活動である。

驚くのは宗教団体の礼拝や行事に人権団体の主張が影響を及ぼすことだ。ビジネスシーン、産業において日本はガラパゴス化が指摘されてきたがキリスト教も同様かもしれない。
では「部落解放祈りの日」で教会はどのように取り組んでいるのか、その一端が分かる資料がある。部落解放祈りの日運動(2018)のアンケート集計報告を見てみよう。(全て原文ママ)
アンケートは以下の質問項目で行われた。
1.伝道所・教会名
2.記入者名
3.実施の概要(実施日、礼拝式又聖書箇所:讃美歌、説教内容など)
4.実施しての教会員の意見、反応
5.「部落解放祈りの日」運動やパンフレットについてご意見
6.独自に生み出された祈りの言葉やリタニーなど
これに対して以下の教会から回答があった。
島原教会(九州教区、樋口洋一)、福岡女学院教会(九州教区、多田玲一)、宇部教会(西中国教区、横山潤)、広島南部教会(西中国教区、田淵五十生)、広島主城教会(西中国教区、足立こずえ)、東神戸教会(兵庫教区、横山順一)、千里ニュータウン教会(大阪教区、斎藤成二)、高槻教会(大阪教区、藤原寛人)、埼玉和光教会(関東教区、岩河宏美)
一部を抜粋する。
島原教会(九州教区)
実施の概要→日本バプテスト連盟が出版した『キムをキムとして』 (ヨルダン社1998年)に記された差別事象を取り上げました。この事件は1994年12月19日夜、熊本市の市民クリスマス集会の後に起きたそうです。在日大韓基督教会熊本教会の金聖孝(きむそんひょ)牧師は、 日本バプテスト連盟所属の顔見知りの日本人A牧師に気軽に声をかけます。前夜みたテレビの話題を持ち出して、出演者が在日韓国人であることを教えました。するとA牧師から「なぜそんなことを言う必要があるのかね。きみたちは日本に同化したんだから、自分たちが在日韓国人であることを強調する必要はないじゃないか」という発言を受けた、 という事件です。私は熊本大分地震をきっかけに、金聖孝牧師と知り合いになりました。島原教会の会員の中にも金牧師先生とあったことのある信徒が何人かいました。知り合いの牧師を傷つけた出来事として取り上げました。
実施しての教会員の意見、反応→特に教会員から感想は聞いていません。内容が重いものだけに、礼拝の雰囲気も重苦しいものであったことは否めません。しかし通り過ぎてよいことではありませんので、あえて踏み込みました。
テーマを在日韓国人にして説教したのだが、果たして「事件」だろうか。どこに差別要素があるのか高度過ぎて理解できなかった。
いかにも〝テンプレート差別〟だ。仮にA牧師がテレビに出た出演者を「在日韓国人だ」と金聖孝牧師に話した場合、これも「差別」として批判されたことだろう。部落問題、在日問題に限らず論じること自体を差別とする考え方に通じる。
それ以前に博愛・平等を前提としたキリスト教の牧師がなぜ「在日韓国人」であることを強調したのだろう。
なお教団にとって在日コリアン問題も重要な運動だ。日本基督教団は在日大韓基督教会と協約を締結している。特に人権問題について日本基督教団は以下のような目標を交わした。
「在日韓国・朝鮮人の人権問題、移住労働者や短期滞在を含む外国人の人権問題に共に取り組む」「教区、地区(支区)で学習会(日韓交流史、在日韓国・朝鮮人および在日大韓基督教会の歴史と現実、課題など)を開く」「在日大韓基督教会が取り組む在日韓国・朝鮮人の人権回復の運動を共に担う」
また共通の課題も興味深い。
1.教団関係神学校における在日大韓基督教会の教職養成のための配慮。
2.日本の学生・生徒が日韓関係史、在日韓国・朝鮮人問題を正しく認識できる教育。
3.在日韓国・朝鮮人などとの共生の社会をめざす神学教育の確立。 4.民族的和解及び平和統一問題。
5.キリスト教団体・組織などにおける在日韓国・朝鮮人の就職の問題。
果たして協約と呼べる性質のものか。「日本基督教団は在日韓国・朝鮮人に尽くせ」という宣誓書のようだ。日本基督教団による訪朝団や朝鮮学校への支援の背景にはこの協約が影響しているのだろう。
福岡女学院教会(九州教区)
実施の概要→讃美歌のうち419番は、 「祈りの日」を覚えて選びました。当日はパンフ(再構成したもの)を配布し、週報報告欄に以下のように記しました。
【本日の礼拝は「日本基督教団部落解放祈りの日礼拝」です。日本基督教団が発行したパンフレットの抜粋を準備しましたので、お手元にご準備下さい。祈祷、説教の中で覚えます。「部落解放祈りの日」は日本基督教団の諸教会・伝道所で部落解放の働き、解放運動がなおも前進することを礼拝の中で願い、祈りを捧げる日です。日本基督教団では、大阪府大東市に部落解放センターを設置し、取り組みを進めています。本日の部落解放祈りの日を通して、差別からの解放へと思いを寄せ、思いを深めると共に日本基督教団の部落差別問題への取組み、部落解放センターの働きを覚えて祈りを合わせましょう。】
礼拝の中では、祈祷、説教で祈りの日を覚えました。特に説教の中で、九州教区部落解放講座、全国活動者会議の事に触れました。また、特に今なお部落差別が続いていること、インターネットでの差別が大きな課題である事を伝え、差別に屈しない感性を養って欲しいことを伝えました。
「日本基督教団の諸教会・伝道所で部落解放の働き、解放運動がなおも前進することを礼拝の中で願う」。非常に違和感を覚えた。
運動が前進することが目的ではなく、世の中から差別が無くなることが目的ではないのか。またそれを願うのが宗教者というものだ。教団内で解放運動が目的化したことを示す回答だった。
広島南部教会(西中国教区)
実施の概要→冒頭、当日が日本キリスト教団の定めた「部落解放祈りの日」 (以下「祈りの日」 と略称)に応える形で礼拝を行う趣旨説明があった。次に、牧師が説教用に作成した「付属資料」の一面に印刷された「水平社宣言」を朗読し、この宣言の存在を知っているか否か挙手で確認した。
「知らなかった」会員が多数であり、「知っていた」会員は少数であった。報告者が推測するに「知っている」を「熟知している」と「忖度」したからかもしれないし、会員の高齢化も斟酌しなければならないであろう。挙手確認による「水平社宣言」認知度は意外に低かった。
過去約40年間、学校教育や社会教育で「同和教育」や「人権教育」が推進されていたにもかかわらず、あまり浸透していないのではというのが報告者の率直な感想である。そのような会員の認識状態を踏まえて、牧師は「水平社運動」 と 「水平社宣言」の「歴史的な経緯」から説明を行った。
明治のいわゆる「解放令」が名目的なものであり、数世紀にわたって経済的・社会的低位に置かれた被差別部落の人々の生活実態や周囲の人々の偏見・蔑視の解消には何ら機能しなかった事実を指摘した。
政府や慈善団体などの憐憫感に基づく上からの「融和運動の推進」が、結果的には当事者の自己肯定感を回復するものでなく、国民の被差別部落への偏見は残存し続けた。続いて、過去の取り組みと比較しながら、「水平社運動」 と 「水平社宣言」がいかに画期的な内容であったか、「水平社宣言」の文章を逐一確認しながら理解を深める解説があった。報告者なりに纒めると以下の4点である。
一つは、 「水平社運動」が被差別部落の当事者を主体者にして、当事者自らを解放する運動であるだけでなく、差別する周囲の人々への人間性回復のメッセージ(*で)あった。
二つは、水平社の「荊冠旗」がイエスの荊冠と共通しており、『新約聖書』に通底する「低きものが高くされ、高きものが低くされる」 という逆説の発想と類似している。そして、 「水平社運動」が他者を尊敬する精神の回復を目指す運動であり、「荊冠旗」は運動の希望を象徴していた。
三つは、西光万吉らが「水平社宣言」に込めた差別解消の精神は、一人ひとりが自己肯定感を回復する、人類の普遍的なメッセージである。そして、今なお色褪せることなく鮮烈に輝いており、現代の我々の一人ひとりに問いかけられ続けられている。
四つは、『聖書』の「ルカによる福音書」 17章の説く 「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」 という聖句は、 「自分たちの心」や「人と人との関係性」の中にあると解釈できる。すなわち、 「水平社宣言」をどう受け止めるか、我々の心が問われているのではないかという提起である。以上の説教の後、 「水平社宣言」を会員全員で朗読して説教を終えた。
もはやキリスト教団体ではなく解放集会の様相。挙手を求めたあたりはもはや〝踏み絵〟ですらある。
そしてこう締めくくった。
部落差別をめぐる社会的状況は非常に厳しい。たとえば、メディアが橋下徹元大阪府知事の出自を執勧に暴いた時、どれだけの人々が批判して世論形成につなげたか実に心もとない限りである。まだまだ被差別部落への偏見が国民感情の末端に巣くっていると考えるのは報告者の杞憂であろうか。その意味で、教会は生涯教育機関としての使命を持っていることを確認したい。
聖書に水平社宣言の概念を無理やりねじ込んだ印象だ。そして驚いたのは「教会は生涯教育機関としての使命を持っていること」という考え方。非常に印象に残った。
共産党、左翼活動家、旧民主党系、マスコミ、大学教員、弁護士らにみられる「自分が絶対的な正義」と言わんばかりの態度である。日本基督教団にもそんな不遜さがあるならば転覆事故を契機に改めた方がいいのではないか。
金井氏も2006年に佐敷教会に赴任して以来、反基地闘争を深めた。同氏にもそのような指導者、善導者のような思いがあったかもしれない。
もし日本基督教団が生涯教育機関という自負があるならば当然、言動について責任も伴う。ならば事故に至った背景や政治活動について検証してもらいたい。



