8月、世間はいわゆる〝戦争月間〟の真っ只中。特に8月6日、9日、広島と長崎への原爆投下から15日の終戦日までマスコミ、活動家たちが血道を上げるものだ。各地で関連行事が行われる中、部落解放同盟全国連合会が広島市内で講談師・神田香織氏をゲストに行った「8・3ヒロシマのつどい」はむしろ狭山闘争と見間違う内容なのだ。
平和、反戦という割に怖い活動家が大挙する

広島、長崎への原爆投下、そして終戦日まで本来はしめやかに哀悼の意を捧げて欲しいものだ。ところが毎年6日、広島市で行われる原爆死没者慰霊式と平和祈念式周辺には到底、平和的とは似つかわしくない活動家が大挙して機動隊と睨みあう。
その振る舞いは「哀悼」というよりもむしろ筆者には〝待ってました〟と闘争の具にしているとしか思えない。
また戦争月間下ではマスコミの論評記事も〝我こそ地上を司る善導者〟といった筆さばきを披露する。もっともそこには「検証」や「論考」といった高度な作業は不要。「あの日〟(原爆投下日か終戦日)」「ヒロシマナガサキ」と書いておけばそれなりの反戦記事が仕上がるものだ。
戦没者への供養というより、この期間に便乗して自身の主義主張を訴えるのが「戦争月間」の実態ではないか。中には〝ヒロシマ〟に狭山闘争を抱き合わせてきたのが件の団体である。
全国連のヒロシマ集会で狭山闘争を熱弁

広島市内の住民はこう話す。
「市営住宅の掲示板に『8・6ヒロシマのつどい』という反戦集会の案内状が貼ってありました。講談師の神田香織さんが公演するというので参加したのですが、まるで解放集会のようでした」
主催の部落解放同盟全国連合会(全国連)。全国連とは部落解放同盟大阪府連を除名されたメンバーが1991年に設立した同和団体である。発足以来、中核派活動家も参加していたが2007年に関係は断絶した。弊社とも因縁があり、過去たびたび「鳥取ループ・示現舎への公開質問状」が送られてくる。

ゲストの神田氏は左派団体の御用達芸人だ。脱原発、護憲、野党共闘集会など活動場所は広い。また自身も2001年の参院選に立候補をした過去を持つ。またこの時期は『はだしのゲン』をテーマにした演目を各地で披露している。


被ばく者への黙祷は同種の集会でも行われるだろう。ところが狭山事件の石川一雄さんへの黙祷というのは広島の原爆とどう関係があるのか。それも「全国連だから」ということだろう。
神田氏はこう始めたという。
「中沢啓二さんが描いた漫画『はだしのゲン』を講談にして39年目になります。広島でお話ができるということで大変嬉しく思いやってきました」
広島の平和記念資料館で『はだしのゲン』と出会った神田氏は同作に心酔。1985年に中沢氏の自宅を訪問して、講談にする許可を得たという。横浜米軍機墜落事件(1977年)や福島原発事故も講談にしたといったエピソードを披露していく中で話は狭山事件に及んだ。
「鎌田慧さんに声をかけてもらって石川一雄さんの講談をやらせてもらいました。差別問題は常識的に知っていた程度です。鎌田さんの著書『四十一年目の真実』をもとに講談を作って何度かやらせていただきました。今年5月の2回、埼玉と東京で応援講談ですよ。今度は黒川みどりさんが書かれた石川さんご夫妻の聞き取り本を引用して『石川一雄~塀の中の学び』という講談を作りました。ところが3月11日にお亡くなりになりました」
話は続く。
「年老いた方がなくなるのは諦めなければいけないんですが、石川さんについて全国の弁護士や支援者はもっともっと諦めきれない。私のようにまだ関わって10年ちょっとでも諦めきれない。今でも忸怩たる思いを持っているんですよね。石川幸子さんが第4次再審請求を始められています。これを支援して何としても再審無罪を勝ち取ろう。私の講談も追悼公演のようになってしまいました。気持ちも新たに応援講談として機会があればどんどん話していきたいなと思っております」
講談後は各地域の活動家によるリレートーク。
「長崎・在日・被爆二世の視点 – 被爆体験の継承と講談への期待」「朝鮮人強制労働「朝鮮坑」遺骨返還運動 – 海底遺骨収容をめざす最新の取り組み」「狭山事件(石川一雄氏)の第4次再審支援 – 解放同盟・弁護団の課題と今後の闘い方」「上関原発・中間貯蔵施設反対運動 – 瀬戸内の自然と地域住民を守る決意」
狭山闘争以外でも朝鮮人労働者の遺骨返還や上関原発の反対運動が報告された。
ヒロシマと銘打ったものの、狭山闘争の比重が大きい集会だ。参加者をして実質、解放集会と感じたのも無理はないだろう。通常、左翼団体や左派の市民団体には〝つながっている〟という考え方がある。例えば「部落差別も沖縄差別もLGBTも根はつながっている」といった活動スタイルだ。
いざ大規模集会やデモが起きると大量に各種団体から動員されるのは「つながっている」という連帯意識である。このため反戦・反核がテーマだが、部落問題も扱われることは起こり得ることだ。
しかし本来、広島の原爆問題に慰霊したい人にすれば「狭山闘争」に抵抗を感じることもあるだろう。主催者に意図を聞いてみると―――。
「疑問に思った人が連絡してこればいい。あなたと話をするつもりはない」
ということだった。今年も戦争月間はまだ続く。
神田香織の義父は『思想の科学』の武谷三男なんですよね。中共の核実験を擁護した物理学者。日本共産党員ではないが代々木の周辺にいた人。広島や長崎への原爆投下を「反ファッショ」の「人道的行為」だと礼賛した御仁。広島の福島町や長崎の浦上の部落民は原爆で酷い目に遭ったんですが、そんなことはどうでも良かったのか、単に専門バカで歴史の知識がなかったのか。
武谷三男も『狭山裁判と科学』なる本を書いています。
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コメントありがとうございます。
貴重な情報ありがとうございます。
神田さんの活動の原点をみた思いです。