学術・研究:部落探訪(283)山梨県 笛吹市 一宮町田中 西組

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

「国連NGO横浜国際人権センター山梨ブランチ」を取材するために山梨県を訪れていたのだが、地元の方から、山梨県の部落と言えば笛吹市の田中が有名と聞いた。未指定地区であるが、とある全日本同和会の幹部もここから出ているという。いつの時代のことかは分からないが、部落の子供が「やーい、穢多」と石を投げられることもあったのだという。

その部落は1935年に34戸、1965年に43戸、1990年頃は51戸と記録にある。菊池山哉の『長吏と特殊部落』にも記述があり、27戸余りと記されている。

付近には白山神社が2つある。1つはこの一町田中いっちょうたなかの白山神社。紛らわしいが「一町田中」と「一宮町田中いちのみやちょうたなか」という2つの地名がある。『長吏と特殊部落』によればもとは1つの「田中村」だったものが、日川という川が流れを変えて村の中を通ったことから、北は日川村一町田中(一丁田中とも)、南は一宮村田中となった。現在は一町田中は山梨市、一宮町田中は笛吹市に属する。

もとは、どちらの村もこの一町田中の白山神社を氏神としていたそうだ。

部落とは関係ないが、個人的に境内にあるこの遊具に注目した。暴力アニメ、ハッピー・ツリー・フレンズの第一話に出てきた遊具に似ている。これがあるのは珍しい。

こちらはもっと珍しいかも知れない。箱ブランコである。子供にとっては楽しい遊具なのだが、ある時外側につかまって遊んでいた子供が、ブランコの底の部分に巻き込まれて死んでしまう事故があってから、危険だから撤去しろというクレームが全国の自治体に相次ぎ、今ではすっかり姿を消してしまった。適切な遊び方をすれば問題ないし、貴重なものだと思うので個人的には、ずっと残して欲しい。

話が脱線してしまったが、次に本題の一宮町田中に移動した。記録によればここに部落がある。

こちらにも白山神社があるが、これは先程の一町田中の白山神社が分かれたものだ。

関東では部落と言えば白山神社なので、これが部落の白山神社なのかと思ったが、『長吏と特殊部落』には「鎮守は無い」と書かれている。そもそも部落に神社はないのだ。

部落の戸数は50戸程度のはずなのに、大きな白山神社が2つもあるのだから、これらの神社は部落のものではなく、この辺りの広い範囲のものと考える方が自然だ。

この石碑に刻まれた名字も、事前に把握していた部落の名字の傾向と違う。部落は川中島の合戦で武田信玄の家臣の山口藤左衛門と近津宗十郎が、僧を捕えて連行したのが起源と伝わる。そのため「山口」姓が部落に多く、他に宮下、鴨下などがある。近津という名字もあったが改姓したために現在は存在しないという。

ここは例外的に白山神社がむしろ部落とは無関係というケースだ。

ただ、賤民が起源であることは間違いなく、長吏惣十郎が甲州街道の取締をしていたと『長吏と特殊部落』にはある。確かに一宮町田中には旧甲州街道が通っており、過去の航空写真を見ると、いかにも宿場町に特徴的な様相が見える。

途中にこのような石碑がある。地元の偉い人のようだが、名字からすると部落の住民である。

菊池山哉の記録では全て農家である。しかし、山名伸作『埼玉県、山梨県、新潟県での現地研修記』によればウサギの皮なめし等、いろいろな商売をした人がいたようである。

なお、この文献によれば、甲府市の指定地区にわざわざ移住して、そこで属人の資格を得て住宅新築資金の借り入れをして田中に新築を建てた人がいるという。甲府市の指定地区と言えば善光寺で、貸付金があったのは事実である。詳細な仕組みは分からないが、部落から部落に移住するメリットがあったということでは。

歩いていると工場や資材置き場や会社の建物が多い。過去の電話帳を調べると「一宮実験動物鴨下商店」という店もある。

これは、民間の平屋の借家。

詳しい方からちょっとだけ話しを聞くことができた。一宮町田中は西組と東組に分かれているが、両方ともずっと昔から白山神社の氏子だという。つまりは、かなり前から融和しているのである。

山梨県と言えばブドウ。ブドウ畑もあちこちにあった。

部落の中の道路は広い。『埼玉県、山梨県、新潟県での現地研修記』によれば、1930年代に融和事業がされたためだという。

これは田中公民館、正式には田中地域農業総合管理施設というらしい。

無論、当初から同和施設ではないので、人権やら部落やらといった掲示物はない。

信号の向こうにソーラーパネルがあり、さらにその向こうに墓地が見える。『埼玉県、山梨県、新潟県での現地研修記』によれば部落民は寺の境内に墓を置けず、墓が別だったという。もしかすると、その墓地がこれではないだろうか?

まさにその通りである。宗派は全般に浄土宗。

感動したのは、この墓を発見したことだ。「近津家」とある。まさに武田信玄の家臣、近津宗十郎に由来する姓である。後に改姓したために部落では現存していないというが、墓はしっかりと残っている。

近くに馬刺しの看板がある。ここにデイリーヤマザキストアがあり、精肉店も兼ねているようだ。お土産に買っておけばよかった。

これで一通り部落を堪能したと思ったのだが、1つ気になったことがある。例の大きな石碑の向こうに何か見えていたような気がするのだ。

石碑の脇の舗装されていない道を進むと…

何か特別なオーラを感じる空間が現れた!パノラマ写真なので左右にスクロールできる。

石柱には「昭和五年四月三日建設」「田中西組氏子中」とある。いったい何の氏子なのか?そして後ろにある紙垂がぶら下がった建物は何なのか?

これらの廃墟と…

アルトワークスが砂に沈んでいるのも何か意味がありそうだ。

ここで詳しい人から話を聞くことができた。この建物は今は空き家になっているが、元は集会所だったのだという。確かに『埼玉県、山梨県、新潟県での現地研修記』には「戦前の融和事業でできた集会所が現在は人が住んでいる家になっているのがみえる」という記述がある。まさにこれがそうだろう。融和事業をしていたとすれば、これが作られた時期に融和の一環として白山神社の氏子になっていた可能性はある。

旧集会所の裏には神社らしきものが。しかし、これは道祖神なのだという。白山神社の氏子になる前はこれを信仰していた可能性もあるが、本当のところは残念ながら分からなかった。

そして、旧集会所の隣の建物、これは作業場なのだという。

「作業場」の「作」の字だけが残っている。何の作業をしていたのかというと、ここで大きな竹籠を作り、それに石を詰めて日川の横に積んでいたという。つまり、治水工事のためである。

そういった作業をしないといけないということは、それだけこの場所が水害に会いやすかったのだ。笛吹市のハザードマップを見ると、確かに旧集会所の付近は最も水害の危険が高い場所だ。

今は融和しているが、かつての部落の痕跡を見ることが出来た。お土産に桃を買って探訪を終えた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(283)山梨県 笛吹市 一宮町田中 西組」への47件のフィードバック

  1. >途中にこのような石碑がある。

    「山梨県の部落史料調査中間報告
    ~甲州の部落起源と部落寺院制度を中心に~ 」より

    山梨県で 一番大きな部落は、笛吹川の畔にあり、明治時代には同村から改善運動に従事する者 が出て、その功績をたたえる石碑が今日も建っている。

    返信
  2. >現在はいずれも笛吹市に属する。

    一町田中は山梨市であり、笛吹市ではありません。

    返信
  3. 匿名

    宮下翁頌徳碑はどのような業績をたたえているのでしょうか。差別とは関係ないのでしょうか。

    返信
  4. >いかにも宿場町に特徴的な様相が見える。

    一宮町田中は宿場町ではないですよね。

    返信
  5. 宮部になり代わり

    皆さま、間違いのご指摘ありがとうございました。
    一町田中は山梨市に属するの間違いでした。

    後ほど、宮部本人よりお詫びと訂正の報告があると思いますが、
    まずは宮部になり代わりお詫びと訂正をいたします。

    今後とも、間違いのご指摘はどしどししてくださるようお願いします。

    お詫びと訂正が遅れました事を重ねてお詫びします。

    返信
  6. β

    静岡県の被差別部落でちょいちょい見られる苗字がここにもあるなぁ。
    人の交流があったのだろうか。

    返信

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