学術・研究:部落探訪(254) 京都府 相楽郡 笠置町 有市(前編)

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

笠置町は京都府内では井手町に次いで同和関係者の比率が高い自治体として知られる。その理由は、笠置町自体が全国でも最少クラスに人口が少ない町である上、有市という農村部にしては大規模な同和地区を抱えているためである。

戦前の記録では有市地区の戸数は65、人口は427である。現在は100戸程度で、人口は300人強と考えられる。急速に過疎化が進む笠置町では2021年12月1日現在の総人口が1212人なので、同和関係人口比率は25%から30%と推定される。

せっかく笠置町に来たので、とりあえず笠置寺を訪れた。この猫のキャラクターは、ゆるきゃらの「笠やん」。

笠置町という町名の由来である笠置石。文字通り、天武天皇が即位する前の大海人皇子であった頃に、目印として笠を置いたという伝承がある。

さきほど出てきた「笠やん」。これは実在した猫がモデルになっており、1990年から1994年まで笠置寺に住み着き、観光客等に可愛がられていた。

笠置山からの眺め。木津川の湾曲している部分の左側の集落が有市。

さて、笠置町では昨年、総務省管轄の「過疎地域等集落ネットワーク圏形成支援事業」補助金を不正受給した容疑で警察の捜査が入り、京都府職員の石川栄基、笠置町職員の小林慶純、事業の事実上の委託先である「合同会社笠置クリエイツ」代表の山本博幸の3人が補助金適正化法違反の疑いで書類送検された。その後、不起訴になったものの、町は補助金の大半の返還を迫られた。

石川氏が補助金の受給を提案し、 小林氏が事務処理を行い、総務省から町を通じて「笠置創造・デザイン会議」に1900万円の事業費が振り込まれた。しかし、デザイン会議は笠置クリエイツに事業を丸投げし、95万円の管理費を除いた額が笠置クリエイツに振り込まれた。山本氏はデザイン会議の会計をしており、デザイン会議の代表者の知らないところで、勝手に行われていたという。

1900万円という金額は、地方都市ならともかく、地方自治体でありながら大きな町内会程度の人口しかない笠置町ではとても大きな金額だ。それだけの事業がここまでずさんな形で進められたことが不可解であるが、関係者によれば、3人が町長も知らないところで事を進めてしまい、「笠置町のため」ということで小林氏が強引に事後承諾を取ったというような経緯があるという。

「笠やん」と笠置寺について紹介したのは実はこの件と大いに関係がある。笠やんのウェブサイトに「©2009 H.Yamamoto」と書いてあるが、これは前出の山本博幸氏のことである。そして、町職員の小林慶純は「笠置寺の息子」ということなのである。

笠置山を降りて、京都でも有名な心霊スポットであるという笠置トンネルを訪れた。このトンネルは1980年に開通し、それまでは川沿いの七曲りと呼ばれる道を車が走っていた。

七曲りは封鎖さており、自動車は通行不可だが、歩くことはできる。

その七曲りから見上げると、廃墟となったホテルが見える。

人気の廃墟であったが、不法侵入が多く、逮捕者も出たという。そこへ上る道は封鎖されている。しかし、明らかに最近も誰かが入り込んでいる形跡が有る。

そのトンネルの近くの釣具店と押しボタン信号がある辺りが有市の部落の入り口だ。

その近くにある「Engエンジン. ヤマモト」という会社。実は前出の「笠置クリエイツ」が名称変更したものだが、代表者は変わっていない。そして同じ場所にある「株式会社山本組」の代表者は山本幸男解放同盟笠置支部長であり、 博幸氏はその息子という関係だ。

デザイン会議からの委託で空き家の整備を行ったものの、実際は庭の木が切り倒されただけ。当時の笠置クリエイツに渡った1805万円の行方は明らかにされていない。最終的に約1179万円が不正受給と認定され、加算金約368万円と合わせて総務省に返還しなければならなくなった。

有市が部落とされるようになった理由はよく分かっていない。事実として分かっているのは、かつては「七曲り」さえなかったので、伊賀から奈良方面に抜けるのは有市の中にある峠の細い道を抜けるしかなかった。街道沿いということは、監視の役目や、斃牛馬の処理をやっていたのかというと、そうでもないようだ。皮革産業のようなものもない。

ここは長山寺。浄土真宗本願寺派である。さきほどの笠置寺は真言宗であり、よって笠置町の多くの住民は真言宗なのだが、有市に限っては浄土真宗である。明らかに政策的な作為がある。

かつては谷に住宅が密集していたことから、街道を通って困窮者がここに集まったというのが可能性が高いと思うがどうだろう。

現在は同和対策で整備され、改良住宅が立ち並んでいる。当然、家賃は格安だったのだが、現在では普通の公営住宅と同じ基準の家賃になってしまったので、戸建てを買って改良住宅から出ていく人が増えたという。空いた部屋の入居者を公募しているというが、見たところではやはり空き部屋が多い。

京都の同和地区では改良住宅の近くには、廃車が放置されていることが多いのだが、このような田舎でも事情は変わらないようだ。

ここが隣保館であるところの笠置会館。「お互いに人権守って~」の標語は、全く同じものが現在町の仮庁舎となっている「笠置いこいの館」にある。

有市全域が部落ではない。隣保館の前に橋のかかった川があり、この川を境に木津川の上流が「下有市」、その先が「中有市」「上有市」といった具合だ。単に有市と言えば部落を指すというわけだ。

件の補助金不正受給については、前出の3人が賠償した。しかし、均等に支払ったわけではなく、石川氏は退職して退職金で約1000万円、小林氏は約500万円をそれぞれ支払った。山本氏については100万円を支払うと約束したが支払ったのかどうか定かでないといった噂が町全体に広まった。

町が公開した報告書でも、そのことがそれとなく触れられている。こういった噂は名誉毀損や営業妨害で犯罪となり得るとまでも書かれているものの、結局真相はどうだったのか明らかにされていない。複数の町民から語られる、さきほどの賠償の分担の話、事情を知る町政関係者に事実なのかどうか聞いてみたところ、否定も肯定もしなかった。

なお、真相を山本氏本人に聞こうとしたが、自宅では取材を受けないということであった。

石川氏は辞職、小林氏は処分を受けて二階級降格で首の皮一枚つながったような状態。一方で一番の「受益者」である山本氏は何のペナルティも与えられず、「笠やん」が公式ゆるキャラとして今も堂々と活動しているのはおかしいではないかと、事情を知る町民は憤る。

そして、さらに調査を続けると、疑惑は補助金不正受給にとどまらなかった(次回に続く)。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(254) 京都府 相楽郡 笠置町 有市(前編)」への6件のフィードバック

  1. 匿名

    どこが、学術研究かようわからん。
    単なる、個人的な紀行文でしかない。探訪の何が目的なのかよくわからない。同和地区はここだと宣伝でもして、銭儲けてるだけの団体?
    同和利権そのものの団体としか映らないのは私だけだろうか?

    返信
  2. 匿名

    田山花袋の日本一周という紀行文集でこういった文章があります。(死後70年以上経っているので本文そのまま載せます)
    有市に関するものとは限らないですが、ご参考までに。

    笠置の案内者は、本堂だの石だのいろんなものを説明して、そして最後に頂上に上つて、東の谷合を指して『あそこに村があるでせう。そら、あの谷合の村、あそこのものが賊軍に間道を教へたんです。その為め、お山は落城するやうなことになつたのです。ですから、その村のものは後々までも他の村から爪弾きをされて、人間の交際が出来ないんです。今でもいくらかはさうです』かういって旅客に教へる。成程、向ふに小さな川があつて、それが山合ひから木津川に流れ込んでゐるのが見える。その向ふに人家が五六軒見える。

    返信
  3. 南朝の拠点・笠置

    ここの部落を考えるにあたっては、現在でこそ京都府であるが、江戸時代のほとんどの期間は
    津藩 (三重県津市) の領地であったことを念頭に置く必要があるかもしれませんね。

    返信

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