同和奨学金返還業務は大阪市職員の墓場?(同和と在日2011/3)

By 鳥取ループ
三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年3月号

「大阪市の同和奨学金返還業務の職員が激務でダウンしている」「訪問先で激しく罵倒され返還を拒否された」「職員のスクラップ工場と化している!」
 こんな情報が当編集部に寄せられたのが先月のこと。情報提供者の話を聞くと、かつての〝解放奨学生〟、そしてその保護者にオロオロする職員、こんな光景が思い浮かんでしまう。ある意味、同和事業の最大のひずみとも言えるこの同和奨学金。奨学金と言いつつも地域によっては実質的な給付金制度の場合もあり、また返還をめぐって各地域でトラブルになることも少なくない。
 実は「部落民」とは誰かという問題を検証する際に、「同和奨学金」は一つの重要なキーワードであり、解放運動とは何であったかを考える上でも欠かせないものだ。
 同和奨学金は本人や親の希望で積極的にというよりも、教師や地元解放同盟支部からすすめられて取得するということが圧倒的に多かった。同和奨学金は解放運動により「勝ち取られた」ものであるから、それを受け取ることで、部落解放同盟の行事に参加しなければならないという暗黙の圧力が生ずる。各学校では同和奨学金の受給者により解放奨学生の会が組織され、各地の解放奨学生の交流集会や合宿が行われた。そういう場面では、必然的に周囲は全て「部落民」なのである。
 すなわち奨学金を受け取ることで「部落民」であることを意識させる。というよりも誓わせる、といった方がいいかもしれない。同じ地区内で周囲のほとんどが同和奨学金を受け取っており、解放奨学生のイベントに参加しているとすれば、自分だけ奨学金を受け取らないということは難しい。受け取りを拒否する理由を説明することも困難だ。「アイツは部落の子供と一緒にされたくないと思っている差別者だ」と言われかねない。なので、地区によっては同和奨学金への加入率が一〇〇%となり、解放奨学生たちは解放運動のために協力せざるを得なくなる。そのため、同和奨学金は部落解放同盟の組織拡大策という言い方もできる。
 考えてみれば実に過酷な制度だ。奨学金によって新たな「部落民」を生み出した可能性すらある。多くの子供は、いずれそのような実情に疑問の持ち、冷めた目で見るようになるのだが、中には解放運動にすっかり染められてしまう子供もいる。そのような子供たちの行動は、さしづめヒットラーユーゲントか、文化大革命下における紅衛兵のようだ。
 水平社博物館の守安(もりやす)敏司(としじ)氏は「被差別とアイデンティティー」の中で自分の妻の経験談として、こんなエピソードを明かしている。
 高校教員だった守安氏の妻が解放奨学生の合宿研修の教員として参加していた。女生徒たちが鏡ばかりを見て、集合時間に遅れているので「集合時間に遅れるよ。あなた鏡を見るのが好きなのね」と注意した。すると数十名の奨学生に「管理教育粉砕」「部落差別をされている子供の気持ちが分かるのか」と深夜まで問い詰められたという。ところが翌朝、生徒がやってきて「先生ごめんな。うち先生の苦しみが分からんかってん」と謝罪した。この守安氏の妻も被差別部落の出だということを誰かが話したのだ。妻はこれを聞いてこれは一体何だ、と思った。彼女は管理教育の権化とされたことを正面から受け止めるつもりで、決して「部落出身」と言わないと決めていた。ところが部落出身と分かった途端、生徒たちの怒りは収まった。部落と分かれば皆兄弟仲間。こんなことが部落民の優しさなのか、と怒りよりも悲しみに包まれたという。
 一読すると「生徒たちが部落民であることを理由に時間を守らなかった身勝手さ」について批判のポイントを挙げることができるだろう。だがそれ以上に注視すべきは部落民という異様な結束と連帯感の根底にはこの解放奨学生制度があったことである。
 奨学金はいわば解放運動家養成ギブスのようなものだ。小林(こばやし)道弘(みちひろ)大阪市議は二〇一〇年九月一四日の文教経済委員会でこう述べている。

もう同和地域の中でも経済的に非常に、いわば奨学金がなくても親は子供を高校に行かせる家庭も出てきたと。そしたら、そういうところはもう奨学金は要らんのちゃうんかと。けれども、一つの運動の中で、いやいやいや、この奨学金、本来は、もともと、先ほど今課長から説明あった意義もあるけども、もう一つの側面でいうたら人材育成という目的あんねんと。人材育成という目的があるということは、これ奨学金をもらえる家庭でね、経済的に豊かであったとしても、もらうべきちゃうかと。つまり、なぜかというと、この奨学金を受給することによってさまざまな取り組みに参加するんですよ

 本来は地区内外の経済格差の解消が目的だったはずが、結局は解放運動の拡大に使われるようになった。同和奨学金にはこんな性質もあったのだ。そして大人になった解放奨学生から奨学金を回収するというのだから、それは「激務でダウン」もするだろう。さぞかし大変な惨状だろうと思い、大阪市教育委員会事務局の担当者に確認すると、意外にも若干事情は違っていた。
 同和奨学金は建前上は貸与制度であるのだが、大阪市の場合は返還金と同額の補助金を本人に支給し、それをもって相殺(そうさい)することにより、市が返済を肩代わりしてきた。実質的な給付金だったのである。しかし、この措置が市の要綱で行われていたことが後々問題となった。要綱は行政による取り決めに過ぎず、議会の議決を経たものではない。同様の措置を行っていた京都市では、市民から相次いで訴訟が提起され、その結果「同和奨学金の肩代わりは行政の裁量権の逸脱である」として裁判所から賠償命令が出された。大阪市でも監査委員会から違法性を指摘され、ついには「肩代わりする」とした過去の〝口約束〟を撤回しなければならないところまで追い詰められたのである。
「平成一三年以前に返済期を迎えた対象者は三二五四人で免除額が一六億三七四七万円。地対財特法失効後の平成一四年以降に返還期間が始まった対象者は五二三人で四億九七七九万円。いずれの場合も免除する方針でしたが、平成一八年に市の随時監査があって平成一四年以降の対象者の免除については無効になりました。そちらが返還業務とおっしゃられているのは、この平成一四年以降に返還期間が始まった方に対する業務です」
 ただし平成一四年以降の対象者も救済策があり、所得が生活保護基準で算出される額の一・五倍以下の世帯であれば五年間返済が免除され、期限がきたらまた免除申請を行う。ただし申請は必要で、申請がなければ返還に応じなければならない。
 つまり職員は、十分に返済の余力がある世帯には返済を求め、低所得世帯には免除申請を依頼しに訪問しているのだ。
「確かに大変な作業ではありますね。教育委員会所管の各部署の課長と係長がペアを組み六二のチームで対処しています」
 と、現在では一部の職員だけに負担が集中しないように、組織をあげて対処しているという。また、過酷な回収業務により歴代の担当者をつぶしてきたという伝説は、実際はかなり違っていたようだ。
「申し上げたように、これまで回収業務自体をしてきませんでした。しかし、もともと奨学金貸付業務自体がお金を扱うため神経を使いますし、市全体の業務を係長と職員二人の計三人だけで担当していたものですから、激務のためにつぶれてしまった職員がいたという話は聞いています」(同事務局担当者)
 他府県でもある話だが、もともと奨学金をしぶしぶ受け取らざるをえなかったケースも少なくないという。だがそれも奨学金を受け取った当時は、返還も免除申請も必要がないということが安心材料ではあったのだろう。一見すると申請さえすれば免除されるわけだから美味しい話ではある。ただ一方でこんな対象者もいるという。
「すでに結婚された方に免除申請をお願いする場合は、プライバシーの問題もありますから、保護者を通じて慎重にやっています。結婚相手の方に同和奨学金を受け取っていたことを知られたくないということで保護者の方も〝なんで今になってそんな申請がいるんや〟とお叱りを受けることもありますね」(同)
 これにははっきり言って「がく然」とした。奨学生たちは「部落民」を意識し、名乗ることで奨学金を受け取っていたのではないのか? 大人になるころには堂々と「部落民」と言える世の中が来るものと信じて解放運動に参加した元解放奨学生たちは、「同和地区出身」が結婚相手にばれるのではないかと恐れながら日々を過ごしているのだろうか。未だに「部落解放」を達成できない運動体と、「府民は未だに差別をしている」と言ってはばからない行政はなんと罪深いことであろう。
 数十億円を投じた結果がこの結末である。こんな複雑な思いと、もともと無理がある同和奨学金制度のツケを背負わされる市職員たち。今後も徒労の日々が続くのだろう。(三)