もう4年ほど前のことだが、新潮社が発行した新潮45(2011年11月18日号)に掲載された、ノンフィクション作家・上原善広氏による「孤独なポピュリストの原点」という記事を覚えているだろうか?
橋下徹氏と言えば、昨年12月に大阪市長としての役目を終え、政界から引退したところではあるが、当時の橋下氏は大阪府知事を辞職して大阪市長選に立候補するという大胆な行動に出たところで、まさに時の人だった。そんな折掲載されたのが上原氏による記事で、橋下氏の実父の之峯氏は同和地区出身のヤクザで最期はガス管をくわえて自殺、従兄弟は金属バットで人を殴り殺して逮捕といった、橋下氏の親族の過去を赤裸々に暴露するものだった。
同時期に同じく新潮社の週刊新潮は「「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密」というタイトルで上原氏の取材に基づく同様の記事を掲載。
いずれも非常にインパクトのある記事だったため、関西地方を中心に両紙は売れに売れまくった。
公人とは言え、ルーツが「同和」であることを暴露した記事は今までにないものであり、当時の常識では大問題になりそうなものだったが、取材を行ったのが自ら同和地区出身を公言している上原氏だったためか、部落解放同盟も腰が引け気味で、ほとんど「お咎め無し」に近い状態でその話題は収束した。
と思いきや、翌年、朝日新聞出版が発行した「週刊朝日」2012年10月16日号が佐野眞一氏による「ハシシタ 奴の本性」という記事を掲載してこの話題を蒸し返した。しかし、朝日新聞出版には新潮社ほどのバックボーンがなく、しかもその記事が二番、三番煎じで質の悪いものだったから、さあ大変。部落解放同盟に目をつけられた朝日新聞出版は申し開きが出来ず、世間の同情もあまり集められなかったため、朝日新聞出版と佐野氏はお約束通り糾弾されて「フルボッコ」状態にされてしまったのである。
さらに、朝日新聞出版と佐野氏は橋下氏にも訴訟を起こされ、金銭(金額は非公表)を支払って和解するはめになってしまった。
無論、新潮社も無傷では済まず、こちらも橋下氏に訴訟を起こされ、2015年10月5日に大阪地裁は橋下氏に対する名誉毀損とプライバシー侵害を認めて、新潮社に275万円の支払いを命じた。
しかし、不可解なのは戦犯中の戦犯とも言える上原氏にはノータッチなところだ。これはおかしいのではと思っていたら、やっぱり上原氏も橋下氏に訴えられていた。
橋下氏が上原氏を訴えたのは2014年3月5日。実は2014年4月17日の毎日新聞が橋下氏が当時6件の訴訟を提起し、朝日新聞出版、新潮社、文藝春秋、そして佐野氏が相手方であることを報じている。しかし、不思議なことに上原氏も被告に加わっていることはどこも報じていない。
筆者は大阪地裁を訪れ、訴訟記録を確認したところ、上原氏が訴えられたのは、新潮45の件。橋下氏は新潮社と上原氏が共同して1100万円(1000万円が慰謝料で、100万円は弁護士費用)を支払うことを請求している。では、橋下氏が新潮45の記事の何が問題だと主張しているのかというと、これも不思議な事に「同和」に絡む事柄は一切スルーしており、「死亡した橋下氏の実父は暴力団員」という記述が名誉毀損であるという、ただ1点のみが問題とされている。
上原氏が絡む裁判で同和の話題を出すと、言ってみれば同和vs同和の争いとなり、同和に甘い傾向のある裁判官としては判断に困り、こじれることは必死で、裁判が長期化するのを避けようと考えたのだろう。
それはさておき、上原氏に勝算はあるのか?
当然、新潮社及び上原氏側は、記事は真実であり、橋下氏の名誉を毀損するものではなく、公益性があると主張している。それに対して、橋下氏は実父の前妻による「之峯がヤクザだったというのは嘘八百」という趣旨の陳述書を提出。前妻によれば、之峯の体に刺青はなかったという。
しかし、上原氏側の取材メモや陳述書によれば、他の親族や周辺人物は、之峯は刺青を入れていたし、下っ端ではあったもののヤクザだったのは間違いないと証言。前妻は橋下氏や之峯氏をかばうために、嘘をついているのではないかということなのだ。
新潮45の記事では所属していたのは「土井組」となっていたが、実際には下部組織の「津田組」であるという若干の違いはあるものの、些末なことであり、筆者が記録を見た限りでは「橋下氏の実父は本当に暴力団だったか、そうであると信じるに足る十分な理由があった」ように思える。
とすると、おそらく事実だとしても、亡き父親が暴力団だったということを暴露することが、相手が公人であっても許されるのか、ということが争点となるだろう。
ただ、新潮45の記事は週刊新潮ほどえげつなくはなかった上、裁判では同和絡みの問題がスルーされているので、ひょっとすると上原勝訴ということもあり得るか、仮に上原敗訴となっても比較的少額の賠償で終わるのでは、というのが筆者の予想である。
さて、本日3月30日13時10分、さきほどのことであるがに大阪地裁で判決が下された。判決は、橋下氏の請求を棄却。上原氏勝訴である。
判決の理由、今後橋下氏側が控訴するかどうかは不明である。
訴訟を担当した「橋下綜合法律事務所」によれば、今後の対応について「個人の訴訟であり、コメントはない」ということである。
いちばん不可解なのは、一連の橋下同和報道の嚆矢である森功「同和と橋下徹」(講談社『g2』2010年12月号)が提訴や糾弾を免れていることではないでしょうか? 森功だけがなぜお目こぼしされているのか、理由を教えてください。
森功だから、というのが大きいかもしれませんが、単純な理由としては時効もあるでしょう。
橋下徹が裁判をしようと思い立って実行したのが2014年3月5日、不法行為に基づく慰謝料請求の時効は3年なので、2010年の森功の記事はその時には既に時効になっています。
国民の多額の税金の長期間部落改善のために投入して人権教育とか教育にも介入して差別を解消しようという政策をしようとしていたのは解放同盟だろう。
その政策が成功していれば部落差別はもう解消しているはずだ。だから地名総鑑が発行されても平気なはずだ。なのに差別を助長するから発行させないという。地名総監くらいでもう差別される時代ではないから発行してみろ、というのが筋
戦後膨大なな金と暴力で部落解放政策を西進してきた解放同盟の失敗
今もって部落差別があるのは解放同盟のせい。
そこなんですよね。
半世紀以上差別解消に関わってきたのに、未だに差別がある差別があると言い続けるなら、今までやってきたやり方が問題なのではと反省すべきところ、反省しないし、諫言さえも「差別だ」と排除して、他人に責任を押し付けることばかり考えている。いつまでもこんな事を続けてよいわけがありません。
解同やその仲間(自民党を含む)の言い分を想像すると
(1)半世紀以上差別解消に関わってきたのに、未だに差別がある
(2)今までやってきたやり方が問題である
(3)だから部落差別禁止法を作ろう
こうでしょう。
そもそも何が差別なのか解放同盟が決めているし、時にそれが言いがかりレベルのもので、
何でも差別にされてしまうので、これでは差別はなくなりようがないです。
解放同盟は差別は今すぐにでもなくせる、と解放出版社の書籍に書いている。
差別は人の心の中にあることだから全員が差別はいけないという心を一人ひとりが持てば差別は今すぐなくせるというのだ。
5人10人の村社会ならがそれも可能だろう。全員が差別はいけないと思う気持ちを持てるかもしれない。きっとそんなに難しいことでもないだろう
しかし我が国は現在1億2千万人以上の人口だ。全員が「差別はいけない」、という同じ心を持つのはどう考えてみても現実離れしすぎている。中にはひねくれている奴が必ず何人かいる。それが社会だ。
解放同盟はこういう非現実的な政策をずっとしている。解放同盟の主張していることは理想としてはいいのかもしれないが現実を見ていない。差別を解消したい気があるならもっと現実的な方法に方針転換するべき。
全員に同じ考えを持たせるという所詮無理な政策ではなく一人でも多くの人に差別はいけないという政策にして徐々に差別解消を推進していくほうがずっと効果があると思う。
リバティ大阪という博物館に今度行こうかどうしようかちょっと考えているんですがこの博物館ヤル気あるんですか?
ネットで調べたんですが展示内容を言う前に開館曜日時間見てびっくりしました。
日曜祝日は休み、土曜は午後1時から5時まで。こんな博物館つぶしてしまえ。一番来館者が多い時に休館するとは普通の感覚では考えられない。展示を見てもらい差別について考えてもらうためにあるんでしょ。そういう姿勢がこの館からは感じられない。
見たいやつは平日の空いている時間に来い、という上から目線すら感じます。平日も水目金しか開館しない。
これでは差別なんて解消しないよ。なんだよ、税金泥棒の博物館だよ。土日祝日開館して多くの人に来てもらうのが普通。いかにも解放同盟が支配している博物館らしい
この博物館は客が来るのが迷惑なのかな(笑)
解同は4月4日付「解放新聞」で再び同和地区Wikiを取り上げ、「いったんインターネットから削除後、プロバイダーを海外に移し」た、と主張していますね。なぜそう信じているのか不思議。
わたし、不思議でならないのは解放同盟はどういう状態になれば部落は解放されたと認めるんでしょうか?
差別というのは不良住居や部落の衛生状態など確かに目に見えるものもありますが多くは心の中にあるもので数字に表すことのできない現象や目に見えないことだと思います。
どこでどういう判断で差別が解消した、部落は解放されてと感じるんでしょう。所詮差別がゼロになるということは無理です。他国に人権人権とうるさく言うアメリカにも黒人とかいろいろな差別があるのを見れば一目瞭然。解放同盟もきっと心ではわかっているでしょう。だから理想主義や暴力という滅茶苦茶な政策を推し進めるんだと思います。
わたしの予感では永遠位部落は「解放」されたとは言わないでしょう。「解放」されると利権も失うからです。
そもそも「解放」という言葉自体ちょっと違和感を覚えます。「差別解消」とかしたほうがソフトな感じがします。「解放」というと怖い、硬い、キツイという感じがします。
また新聞や出版社にもすべて「解放」とつくのは変。「解放」という言葉は。新聞社や出版社に付ける言葉ではないような気がする。解放同盟からすると余計なお世話で部外者にそんなケチつけられたくないでしょうがあえてケチつけます
「差別」の基準が解放同盟により決められるので、今ある差別がなくなっても、あれが差別だこれが差別だと新しい差別が作られるだけなので、終わりはないでしょう。
例えば、六曜使ったら差別とか、そういう話ですよ。