武委員長在籍の 新淀生コンが 広域協組を脱退

三品純 By 三品純

2018年8月28日、関西生コン支部・武委員長ら組合員が滋賀県警組織犯罪対策課に逮捕されてもうすぐ2年目。そしてこの間にのべ89名(実数57名)の組合員が威力業務妨害などで逮捕された。武氏らの組合員の裁判では被害者から「コンプライアンス活動」の生々しい実態が語られ、同和利権と同等にタブーだった関西生コンの内情が解明されつつある。すでに武委員長は6度、逮捕されており生コン支部はリーダー不在の状態が続く。その最中、武氏の出身会社「新淀生コンクリート」(西淀川区)が大阪広域生コンクリート協同組合(協組)を脱退したとの情報が入った。

「マスクを用意したり、寒いけど集会途中で窓を開けて換気したり開催するのも大変ですよ」

ある市民団体の代表者はこう苦笑する。もう説明の必要もないだろうが、現在コロナウイルスで政治集会にも「自粛」「中止」が押し寄せている。しかし関西生コンの支援活動は活発だ。労組、市民団体などが集まる「2・9総決起集会」では関西生コン逮捕がテーマになり、担当弁護士の講演が行われた。また昨年1月の『ストライキしたら逮捕されまくったけどそれってどうなの?(労働組合なのに…)』の出版に続き、今月6日、2冊目の『労働組合やめろって警察に言われたんだけどそれってどうなの?(憲法28条があるのに…) 』が刊行。あるいは武氏のドキュメンタリー映画『とげ』の上映会も各地で開かれている。単に抗議活動だけではなく、メディア活動も盛んだ。

イラストやネットスラングなど若者を意識したイメージ。

こうした取り組みが続くが関生支部の活動家が減少しているのも事実。またネットなどに激しい口論や小競り合いの様子がアップされており、組合員たちも以前ほど表立って活動できなくなった。ある裁判で「コンプライアンス活動でストレスが溜まり吐血した」と証言する元組合員もいた。こうした運動スタイルも関生離れの原因かもしれない。

「最強の労働組合」と呼ばれ西日本の建設関係者を震え上がらせた関西生コンだが決して楽な状況でもないようだ。

支援活動が広まっている。一つには形骸化した組合活動の中で「闘争」を実現しているのは関生だけという思いを支援者たちは抱いているという。
ストや組合が悪いとは思わない。組合員がストレスで吐血という実態は本当に労働者のためなのか?

脱退の理由は語らず…

一方、関西生コン支部と対立関係にある大阪広域生コンクリート協同組合(協組) だが関生裁判の証言の中で暴力団関係者の関与が指摘されたこともあった。古くから業界的に「ヤドチョウ」(ヤクザ・同和・朝鮮)と揶揄されてきたわけで双方にこうした「黒い人脈」があるのは想像通りではあるが…。

2018年には広域協組関係者が民族活動家を伴い、連帯ユニオン川口本部(大阪市西区)に抗議活動を実行。この際「建造物侵入」を問われ、このため協組本部(大阪市中央区)にも家宅捜索が入った。この一件が「協組内でもやりすぎというい声が挙がった」(捜査関係者)という。このため以前のような行動はもう控えているが「不可解なことがある」とは前出の捜査関係者。

「実は3月に武氏の出身生コン・新淀生コンが 大阪広域生コンクリート協同組合から脱退するというんですよ。武と関係が深い会社である以上、業界的にはインパクトがある話ですが、少しも話題にならなくて…」

実際に広域協組HPの会員企業の欄を検索してみると、新淀生コンの名前はなかった。

広域協組にそのいきさつを聞いてみると担当者不在で総務担当者が応対してくれたが「確かに脱会届は出ていますが、それ以上のことは分かる者がいません」との回答だ。

また新淀川生コンにも事情を聞いてみたが「答えられるものがいないので後ほど連絡させて頂けますか」との返答だったが、結局連絡は来なかった。同社が広域協組を脱退するということは今後、広域側の要請や生コン価格などには応じないという意味なのだろうか。長年、生コン価格やストをめぐって対立してきた両者。

「2010年に大阪駅北地区再開発プロジェクトで関西生コン支部は大阪広域生コンクリート協同組合に対して無期限のストを通告したんですよ。府内の約70%の生コン会社が操業を停止して建設現場に生コンが搬入されないという異常事態が起きました。作らせない・運ばせないというのだからお手上げというわけです」(大阪の建設業経営者)

もちろんこのストで損害を受けた企業は少なくないが、広域協組と対立を深めたのは言うまでもない。新淀生コンの広域協組脱退はどのような影響をもたらすのか注目していきたい。

武委員長在籍の 新淀生コンが 広域協組を脱退」への2件のフィードバック

  1. アバタータカタタイスケ

    初めまして。何を隠そう父親が新淀生コンに在籍していた過去があり、僕自身、兵庫県南部地震特需のおかげで私学高校に通えたと言っても過言ではない人間です。論より証拠で当時の父親の年収は軽く1,000万円を超えていました。「中卒」の「単なる運転手」のはずなのに…。これはひとえに労組が確固たるものであり、時代が「そういう時代」であったのは事実でしょう。父親は淡路島出身で、中学を卒業後大阪・佃にて当時の三黄通運(大阪協同組)に就職。後に改編された「新淀生コン」を65歳まで勤め上げ、66歳で他界しました。木村さんや柿内さん、川口さんなどと親交があった僕の父親は当時のことを懐かしく語っていたのを覚えています。淡路の瀬戸内気候で育ったせいか非常に温厚で面倒見が良く、困っている人を目の当たりにするといてもたってもいられなくなり、職場恋愛で結婚した僕の母親は「自分の生活もままならんのに、すぐ他人に金をやる(あげる)。ええかっこしいなんか、ほんまにお人よしなんかようわからんわ。」とよく言っておりました。そんな父親の性格と連帯の相互扶助の精神が合致したのか、よく組合活動にも参加しておりました。万博公園でのお祭りや、時にはミキサーパレードの横乗り(子供からするとドライブ感覚)、ブックローンや伊丹産業、はたまた大谷生コン事件時の連帯側の「動員」にも子供ながらとはいえ、わからぬままに同行していたのを覚えています。しかしながら、大谷生コン事件の際には父親も少々戸惑っていたのを覚えています。「これは単なる弾圧ではないのか」「大谷生コンの運転手にも家族はおるでなぁ」と…。
    このころからでしょうか。父親が組合活動に疑問を呈したのは…。無論、今でも当時の父親の後輩が連帯に在籍しており、僕の家内の労働相談にも乗っていただいたのは事実ですが…。本文拝見するに、新淀生コンが広域協組から脱退すると言うことは、新淀生コン、すなわち住大セメが過去からの卒業を図ったという事と、武カラーの払拭を図ったという事ではないでしょうか。イメージ改革の一片なのか、最近納入されている新淀生コンのミキサー車はキャブ塗色が往年の「えんじ色」ではなく「白キャブ」になっています。コスト削減なのか、イメージ払拭なのか…。社会的使命の大きい公共事業を担っている「生コン屋」が純然たる使命を果たすこべきこの世の中で、利権を主張しすぎる生コン業界の放埓状態に世の中が釘を刺したということではないでしょうか。

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