『同和対策地域総合センター要覧』(平成8年滋賀県)には、甲賀町に4地区があることが書かれており、2番目に掲載されているのが今回の古村であろう。当時の世帯数は9、人口は38。全て持ち家であり、改良住宅はない。公共施設として昭和46年に作られた共同作業所がある。また、鉄骨平屋建ての教育集会所・老人憩いの家・児童館がある。
要覧によれば「甲賀町地域総合センター」の所在地は甲賀町相模165-1となっている。小さな古村だが、甲賀町の中心部に近いために、ここに総合センターがあったようだ。

現在は甲賀市となっているその場所には、広い空き地がある。

これが、要覧に掲載された館内図。総合センターという名前の通り、同和施設の集合体である。

Googleストリートビューで2012年に時間を戻すと、まさに図面の通りの施設が現れた。

センター跡地の向かいには広いグラウンドがある。これは、元々池があったのを埋め立てたものだ。

『滋賀の部落 第1巻 部落巡礼』によれば、相模の古村は大久保から開拓のために移住してきた複数の人物から始まるという。時期は天保年間の終わりごろ。

今でこそ旧甲賀町の中心部だが、もとは荒れた山地であったという。

この市立甲賀中学校も、旧甲賀町役場も古村の住民が開拓した土地だ。

実は、隣の大原中にも古村がある。正確には古村が相模村から大原中村の境界をまたぐようになり、所属する村が違うために2つに分かれたものである。

これらの、大久保から派生した古村は『全国部落調査』に掲載されておらず、明治21年の滋賀県の調査書にも記載がないという。

『滋賀の部落』によれば「鈴木」という人物がいたことが分かる。

『同和対策地域総合センター要覧』は地名が黒塗りにされているため、4地区のうちどれが相模に該当するのか一見して分からないが、ヒントは全て持ち家であることと、共同作業所が存在することである。



まず改良住宅は見当たらないので、その条件はクリアしている。


そして、ついに見つけたのがこの建物だ。「相模共同作業所」と書かれている。住所表記上は大原中だが、1ブロック行けば相模であり、これが相模の共同作業所で間違いないだろう。『同和対策地域総合センター要覧』に掲載された9世帯の地区は間違いなくここなのだ。