曲輪クエスト(371) 沼津市 “栄町”

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By 宮部 龍彦

静岡県社会課『地方改善実例』大正十三年三月には次の通りに記されている。

沼津市本字栄町

戸数三十九、人口二百二十六、職業商・工・雑業。交通東海道線沼津駅より数町。

一般民と同等の交際を為し、たまたま其部落民たるを知るものあるも、町全体としては、より下級のもの幾多存すると、其実力の侮るべからざるものもあることにより、軽蔑するものなく、かつ町民の多数は其部落民たるを知らずして商取引万端何の支障を見ず。区民中十数戸は市内中心地に出でて営業し、自然に同化の実を挙げ、又巨万の資産を有するもの二、三戸あり

後に菊池山哉はこう記している。

◯本町と言ふから、沼津として一番古い町である。今は町の真中で、細工屋、靴屋、太鼓屋、肉屋等雑業が多い。特異な曲輔の一つである。三十六戸ばかり。

◯鎮守は八幡神、境内に安産守護子持石なる大石がある。

駿河の他の古村同様に八幡神社があったことが分かるが、その八幡神社が合祀されたというのがこの末広神社だ。

確かに、現地に書かれた由緒には昭和33年12月に八幡宮と厳島神社が合併して末広神社ができたとある。

付近に山神社もあったという。

それでは、栄町はどこだったのか。付近で聞いてみると、神社の南にある御成橋通りの向かいに靴屋があって、その辺りが栄町と呼ばれていたという。

通りに橋があり、川が流れている。この川の両岸だったという話もあるが、西側が市道いちみち町で東側が末広町。市道町側は違うという話もある。

市道町側には細長い公園があるが、ここは昔は線路だったそうだ。

ビルの隣にある古い家が昔靴屋だったところで、ここが栄町なのは間違いないという。

そして、「さかえ」という名前の理容店。閉店してしまっているが、これは間違いなく町名由来だろう。

靴屋の跡地と理容店の間の通りには、太鼓店、履物問屋、肉店がある。ここまで状況証拠が揃えば十分ではないか。ここだと確信した。

なお、通りを南に抜けたところに、こんなものがある。ここは宿場の出口で、見張り番所があったという。いかにもあり得る立地ではないか。

別途ここを訪れたという方から上の画像を頂いた。説明板の地図部分の画像だ。一見して不自然な箇所がある。中央少し上の部分、これは「エタ」と読めるのではないか。その下も何やら削られているように見える。

画像提供者によれば、おそらくは説明板が設置された後に問題があると判断されて当該部分が目隠しされた。その後、それが気になった誰かがまた目隠しを剥がしてしまったために、こうなったのではないかということだ。

地図に「エタ」と書かれた部分、あるいは書かれていたと推定される部分を現在の航空写真上に図示すると概ね上のようになるだろう。

永明寺の裏手にあるこの細い路地も、一応範囲に入っているようだ。

そして、決定的な話を聞くことが出来た。永明寺の隣りにあるこの駐車場には、現在は地域の駐車場になっているが、昔は八幡宮があったという。毎年、「十二日講」があり、その時に太鼓店が作った太鼓を叩いていたそうだ。

栄町は「カーボ町」とも呼ばれ、旧駿河国の古村、あるいは東京でもそれらの地域に伝手がある人とだけ婚姻等の交流があったという。ただ、戦後になってからは全く知らずにこの地に移り住んでくる人もいた。

十二日講の世話役は毎年各家の持ち回りであった。しかし、特に何も知らずに移り住んできた人には煩わしい行事であり、新しい住民が八幡宮を厳島神社に合祀することを提案したという。それを古村の頭役が受け入れて末広神社が設立された。その時に十二日講の道具も全て寺に納められたのだそうだ。

八幡宮の氏子は御成橋通りの北側にも何軒かあり、さきほどの地図の「エタ」の範囲から少し東に離れた場所にもカバン屋があったという。

39軒、36軒というのは、おそらく昔は確かにその通りであった。しかし、現在は融和が進み、住民は散り散りになり、移住者の家と混ざり合っている。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(371) 沼津市 “栄町”」への8件のフィードバック

  1. 匿名

    2023年2月の沼津市バラバラ殺人事件の現場も該当地内ですね。
    #e064f1a6391be125580bb2e981465fe2

    返信
    1. 白山のび太くん

      >通りに橋があり、川が流れている。この川の両岸だったという話もあるが、西側が市道いちみち町で東側が末広町。市道町側は違うという話もある。

      というキャプションのついた画像の右側の三階建ての建物ですね!(沼津市真砂町◯◯-◯)

      なお、グーグルマップでこの住所のグーグルストリートビューを見てみると、2022年2月の画像だが、この犯人の住んでいた、死体の解体現場で、死体の発見場所である三階建ての建物は現在「スモーク処理」されていて、確認できない。

      返信
    2. 匿名

      そこは末広町ではないがよ
      土屋姓は末広町や公文名や三島市の日の出町東町に居るな
      #fa2402ca6a54e29439f3f68f4ab02adb

      返信
  2. 匿名

    入江南町も栄町だな。
    かつて勝澤靴店が有ったが西久保の代表的な姓。
    中井太鼓店も2001年頃まで稲由太鼓店だから中井さんはマスオさんで頭の姓じゃないと思う。稲木姓だろ。
    #fa2402ca6a54e29439f3f68f4ab02adb

    返信
  3. 匿名

    「エタ」の表記に気付かなかった事で役所は糾弾されたのでしょうか。
    #278fc8072e7ea50eb3a86d186f3b8843

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  4. 匿名

    「本行寺 本堂改築喜捨芳名」より
     ・稲木文太郎 → 稲文商店(履物卸問屋・現副島姓)
     ・稲木由蔵 → 中井太鼓店(旧稲由太鼓店)

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