部落探訪・番外編「飯塚のホワイトハウス」

By 鳥取ループ

中原京三著『追跡・えせ同和行為』(1988)には、福岡県で「鉱害利権」に関わった人々のことが書かれている。その中に、松岡福利という人物が出てくる。その松岡氏が10億円以上かけて建てたという物件が現在でも飯塚市内に現存するようなので訪れてみた。

そして、その後偶然にも松岡氏が健在だった当時近所に住んでいたという人から当時の様子を聞くことが出来た。

…ということで、飯塚市にやってきた。飯塚と言えば麻生太郎代議士。偶然にも宿泊したホテルのすぐ近くに事務所があった。飯塚に来たことを実感させられる。

『追跡・えせ同和行為』には、松岡氏のことが次の通り書かれている。

 他の一人は、全日本同和会常任理事で飯塚支部長・九州協和建設社長の松岡福利であった。松岡の直接の容疑は、鉱害認定地を安く購入したうえで復旧費で宅地を造成し、さらに転売して二重の利益を得たという詐欺事件であったが、叔父の副社長(全日本同和会飯塚支部事務局長)ともども逮捕されている。
 飯塚市の二人目の市長ともいわれた松岡は、暴力団山口組と地元暴力団の対立抗争の引金となった「夜桜銀次殺人事件」(一九六二年)の首謀者の一人として服役するなど、暴力団がらみの噂のたえない人物で、出所後は全日本同和会飯塚支部長として行政にも強い影響力を発揮してきた。松岡は、その黒い経歴と同和会幹部の一肩書きを巧みに使いわけながら、この地方最大の鉱害屋にのしあがったわけである。
 松岡が九州協和建設を設立したのは、七九(昭和五四)年五月のことであった。そして早くも二年後の八一年度には九件・一億四千万円の鉱害復旧工事を受注しており、翌八二年度には三十二件・六億八千万円、八三年にも三十二件・五億二千万円と急増させてきた。また、八二年からは飯塚市の指名業者となり、ここでも、八二年度の受注工事高六百万円を、八三年度には一億五千万円に増やしている。八二年三月の市議会では、高鍋徹夫飯塚市長夫妻が松岡の招待で前年五月に日田市の川開きに一泊旅行している、との疑惑が指摘され、また同市の炭住改良事業で松岡が異常に高い土地を市に売りつけ、一年半で二億七千万円の差益を得ていると、土地ころがしの疑惑も追及された。市長はいずれの疑惑も否定したが、陰の市長の存在に市民が気づかぬわけはなかった。
 松岡は、山田市政にも深くくい込んだ。それを象徴しているのが、八五(昭和六○)年一月に完工した飯塚地区消防組合(組合長・高鍋飯塚市長)山田消防署の入札をめぐる疑惑である。同消防署の入札は八三年五月に行われているが、当然落札するものと思われていた地元山田市の業者が落ちて、協和建設の松岡が最低制限価格を二十万円上回る一億八百万円で落札した。神業としかいいようのない落札価格であった。
 市民のなかには、十億円以上かかったといわれる松岡の豪邸を飯塚の“ホワイトハウス”と呼ぶものもいるが、それは同時に松岡の利権あさりの先棒をかついでいる行政への不信の裏返しでもあった。
 全日本同和会飯塚支部の結成は、九州協和建設設立七ケ月後の七九(昭和五四)年十二月である。翌八○年六月からは、飯塚市はそれまで部落解放同盟だけを交渉相手としていた、いわゆる窓口一本化を改め、同和会も対応団体として認知し、毎年千二百万円の補助金をだしている。松岡が鉱害復旧工事や公共事業で異常に業績を伸ばしてきた背景に、同和会飯塚支部の存在があったことはすでにのべてきたところでもある。
 松岡はまた、NTT関連の通信設備会社「日比谷総合設備」の営業上のトラブルに介入して同社から一億三千万円を脅しとった容疑で、八七年三月に逮捕されている。

文中にある「飯塚の“ホワイトハウス”」の写真は本には掲載されていないが、松岡氏の住所は過去の電話帳で調べることができた。

そして現地にあるのがこれである。写真など掲載しなくても「ホワイトハウス」という一語で十分に表現可能だ。本に書かれた建物が現存していることがすぐに分かった。

ここは「緑ヶ丘」という住宅地で、住所表記上は幸袋こうぶくろと川津にまたがっている。ここには昔ボタ山があり、1970年代にそれが撤去され、跡地が住宅地として整備された。

『追跡・えせ同和行為』には松岡氏について「暴力団がらみの噂のたえない人物」と書かれているが、地元住民や警察からは完全に「ヤクザの親分」という認識だったようである。そのためなのかは分からないが、「ホワイトハウス」周辺の土地だけは売れなかったため、飯塚市が買い上げて周辺の大学教員向けの住宅としたのだという。

現地に来て驚いたのがその眺めの良さだ。ホワイトハウスは豪邸であるだけではなく、立地にもこだわっている。

正門には「松岡」の表札が掲げられている。立派な庭は今も手入れされている。

元住民によれば平成初期までの飯塚は、まだ炭坑不況の名残があり、元炭鉱夫の生活保護受給者、暴力団が非常に多かったという。教育環境はお世辞にも良いとは言えず、例えば中学校ではシンナーを吸う生徒が普通にいた。

しかしそれよりもっと問題だったのは、教育委員会が解放同盟の言いなりで、同和関係の授業が異常に多く、平和学習と言って廊下に中国での日本軍の蛮行とされる写真が掲げられ、給食前に南京大虐殺の話を延々とするということもあったそうだ。その他の授業にしても、悪名高いゆとり教育の一環である「新学力観」に傾倒しており、本質的な学力よりも授業中の態度等他の部分で評価されてしまうため通知表が信用できなかったという。

なお、元住民はこの家をホワイトハウスではなく、「白亜の館」と呼んでいたそうだ。筆者が訪れた時は門の前に番犬がおり、激しく吠えていた。

ヤクザの親分の家の周辺ということで最初の頃は逆に治安がよかったのだが、ある時を境に周辺で泥棒が多発するようになったという。そして、ホワイトハウス自体が特に泥棒のターゲットになっていたというのである。

皮肉にもそれは松岡氏が亡くなった後の事で、松岡氏の威光がなくなって周辺の不良グループが増長し始めた上に、松岡氏が残した「宝物」が狙われたのではないかということだ。

ちなみに、元住民は一度だけホワイトハウスの中に入ったことがあるそうだ。元住民によれば中にはアメリカのホームドラマに出てくるような、らせん階段があり、大きな静物画や高そうな壺、ソファーがあった。亡き松岡氏の評判とは裏腹に、遺族は誠実そうな人に見えたという。そして、突然ホワイトハウスや周辺の家が泥棒のターゲットになり始めたことに困惑しており、当時から犬がいたそうだ。

現在この建物は松岡氏の親族が代表を務める介護福祉サービス会社となっている。

建物に罪はないが、善意であるはずの政策が驚くほど巧妙に私利私欲のために使われてしまうということは、過去の経験として忘れるべきではないだろう。

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