学術・研究:部落探訪(259)千葉県 印旛郡 酒々井町 上本佐倉

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

千葉県では酒々井町の上本佐倉かみもとさくらが解放運動の中心地として有名なようである。ただ、昭和初期の戸数は27と小さな部落である。しかし、現地を地図で見ると2つの同和対策集会所と隣保館がある。

この部落に興味を持ったのは先日報じた盛り土をした会社が存在するということもあるが、故・鎌田行平こうへい部落解放同盟千葉県連事務局長の地元でもあるからだ。解放同盟千葉県連は「鎌田県連」と言われるほど、鎌田氏の影響力が強かったというが、実は全国部落調査の裁判を通して、鎌田氏とは奇妙なやりとりがあった。

まず、見ていただきたいのは現地の同和対策施設の写真である。上は上本佐倉同和対策集会所。

その隣に酒々井町隣保館がある。

そして、こちらが佐倉市将門同和対策集会所である。

お分かり頂けただろうか。将門町まさかどまちは上本佐倉に隣接しているが、こちらは酒々井町ではなく佐倉市である。別の自治体であるが、同和施設のネーミングセンスが同じだけではなく、看板の書体までもが酷似している。

昭和初期の地図では、酒々井町側のごく一角が部落だが、後に家が建っている範囲が広がった。それが隣接する佐倉市将門町までにじみ出て来たために、佐倉市でも同和地区指定がされたものと考えられる、

現地は行政区画の境界が入り組んでおり、今いる場所が酒々井町なのか佐倉市なのか地図を見てもすぐには分かりづらい。おそらく、部落は酒々井町上本佐倉・本佐倉、佐倉市大佐倉おおざくら・将門町のそれぞれ一部にまたがっているのだろう。

さて、前出の鎌田氏は自分で出生地が部落ではないことを認めており、東京都世田谷区の生まれと言っている。ただ、現在の住所本籍地は全国部落調査に記載された部落の中にあるとして、被差別部落出身者と主張した。しかし、その住所本籍地は佐倉市内である。全国部落調査によれば部落は酒々井町内であるし、なおかつ同和対策集会所の名前になっている将門町でもない。

しかし、鎌田氏は部落の地名に挟まれている場所にあるから部落なのだと強弁した。それに対して筆者は、ある住所が部落の地名に挟まれた場所にあると普通の人が気が付くわけがないし、そうだから部落だという根拠もないという趣旨の反論をした。

それに対して、鎌田氏は住所と地図を示せば一目瞭然だとし、地図を示しつつA4の書面で5ページにもわたる反論をした。それに対する私の再反論は、5ページにもわたって長々と反論していること自体が「一目瞭然」ではない証拠ではないか、ということだ。

過去の地図で部落は小さな領域に過ぎなかったこと、現在の地図で行政区画の境界が入り組んでいることからその時点で一目瞭然でないことは分かるのだが、実際に現地を訪れてもそうだ。特に家が密集しているわけでもないし、明らかに新しい住民の家がたくさんある。もし同和対策施設がなければ、予備知識無しにここが部落だとは私でも気が付かないだろう。

他に同和地区であることを思わせるものがあるとすれば、このごく小規模なニコイチ群である。

実際、歴史的に部落だったのは、この白山神社と玉光神社の周辺の一角である。

氏子の分布を住宅地図で調べると、確かに佐倉市の領域にもはみ出していることが分かる。しかし、明らかに氏子でない住民と混在している。また、鎌田氏の名前がこの中にないことから、新しい住民は氏子に入っていない可能性が高い。これでは住所だけで伝統的な部落民を識別することは不可能であるし、ましてや部落の地名に挟まれているからといった言い訳は通用しないことが明らかであろう。

なお、神社には解放同盟上本佐倉支部と将門支部から寄付がされていた。

何より不可解なのは、部落にルーツはないと認めておきながら、現在の住所本籍が部落であることさら主張することに意味があるだろうかということだ。「自分は部落出身ではないけど部落解放運動をやってきた」と主張しておき、あとは黙って裁判所に判断を任せておけばよかったはずだ。

実は過去の電話帳を調査したところでは、鎌田氏は以前はここから少し離れた佐倉市本町に住んでいた。それは90年代半ばくらいに先の上本佐倉同和対策集会所のすぐ近くで佐倉市内の場所に移転している。本人がそこを部落だと認識していたのであれば、わざわざ部落に移転したという作為的なものを感じるし、同じ市内での移転でわざわざ本籍地まで変えるというのも、何の意味もないことなので普通はやらないように思う。

残念ながら鎌田氏が亡くなってしまったので裁判所が判断することはなかったし、本人に問いただす機会もなくなってしまった。

世田谷区出身の鎌田氏が、形だけの部落出身にあそこまでこだわったのは、いったい何故だったのだろう。千葉県で絶大な影響力を誇る部落解放運動家でありながら、裁判所に「部落出身でない」と判断されることを恐れたのだろうか?

差別解消・平等を叫びつつ、実は自分が一番人の属性や出自にこだわってしまっているという、解放同盟の活動家の心の影を見たような気がした。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(259)千葉県 印旛郡 酒々井町 上本佐倉」への13件のフィードバック

  1. 社会運動等標ぼうゴロ

    「しすいまち」と読むんですか。Googleで調べれば良いですけど。
     長嶋茂雄さんの出身地と勘違いされる所ですか?

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      長嶋茂雄さんは佐倉市の臼井台ですね。実はそこの部落も探訪しました。

      返信
      1. 特殊知能集団等

        ⬜︎私は社会運動等標ぼうゴロ、ではありません。
         臼井台、未読です。探します。
        260の中から。

        返信
      2. 特殊知能集団等

        私の父の実家、香取市佐原(旧佐原市)なんです。そこから3km南にinside valleyという地区があります。私の実の祖母、父を出産した後、男と失踪したんです。大正15年の「苗字でポン」ありますか?

        返信
  2. かずさ

    いわば「千葉の本丸」に来ましたね。この一帯は本佐倉城があったところ。

    以前は、男性は荒川区や墨田区の皮革工場に通勤、女性は東京への行商が多かったようです。
    将門町を北に進むと京成大佐倉駅に出られますが
    彼女たちが毎朝、地元産の農作物を入れた行李を背負い、行商専用の車両に乗り込む光景はテレビでも放送されました。

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      通勤ですか。八広駅まで1時間くらいですね。
      でも、首都圏ではそのくらい普通なのでしょうね。

      返信
  3. 匿名

    例の本のおかげでボクの先祖が部落出身らしいとわかったので
    「部落出身じゃない人間が同和を語るな!」
    って言って逆に気合い入れてやろうかな(笑)

    返信
    1. 社会運動等標ぼうゴロ

      「例の本」って何ですか?H22-9-15文書みたいな物ですか。amazonで買えますか?私ルーツが千葉なもので、是非手に入れたいです。

      返信
  4. 人権同和教育研修会 2006/05/24 酒々井町

    《登壇者肩書・氏名》
    (社)人権啓発センター常務理事 鎌田行平(カマタ コウヘイ)
    《登壇者略歴》
    千葉大学卒業
    1976年 部落解放運動団体を結成
    (社)千葉県人権啓発センター 常務理事
    (社)社会福祉法人 鼎 エコトピア酒々井 理事長
    人権講演会講師として県内外で活躍

    返信
  5. 匿名

    90年代前半はまだ大型店舗もその前のバイパスも無かったのでもっと閉鎖的な雰囲気がありました
    親には近づくなと言われていました…

    返信
  6. グーグルストリートビュー

    上本佐倉570-2の改良住宅の西側の住戸は、建物とたぶん違法な路駐車にぼかしを入れてもらってますね。
    また将門町74-2辺りの路上には、上半身裸のおじいさんが…w

    返信
  7. 『人権について学ぶ ~千葉県人権センター・本佐倉城跡~』

    講 師:千葉県人権センター 常務理事 鎌田行平氏

    酒々井町の部落の起源は、本佐倉城大手門の門衛として始まり、当時「長吏」「清め」など
    と呼ばれていた部落の先祖の役割は「社会を清める」こと。具体的には、城内に犯罪者を
    取り締まるなどの警備の仕事、
    軍馬や農耕馬の死体から革をつくり、鎧などの武具を生産する仕事、芸能民の取り締まり、
    竹細工、薬の製造等々。千葉氏とともに誕生し、栄え、城下を支えてきました。
    特に、皮革産業が戦国武将にとって極めて重要な軍需産業であったことか
    ら部落の役割の重要性が伺えます。

    返信

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