【野党研究】140文字を彷徨う 三宅雪子は Twitter真理教の 殉教者(前編)

カテゴリー: 政治 | タグ: | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

「Twitter」。わずか140文字に過ぎないSNSに政党、報道、学会、芸能人といった人々が翻弄され過ぎてはいないか? 時に暴走し、時にトラブルへ発展する。その根底にはTwitterへの異様な執着が潜む。2020年1月、大田区内で入水自殺とみられる原因で死去した三宅雪子元衆議院議員(以下敬称略)も生前、Twitter上のトラブルメーカーだった。中傷、恫喝、さらに元支持者・協力者も巻き込んだ法廷闘争に発展していく。彼女の振る舞いの裏には特定Twitterユーザーらとの交流や扇動があった。三宅と彼女を取り巻くコミュニティのその様は「Twitter真理教」というに相応しい。最期までTwitterがつきまとう三宅はその殉教者――かもしれない。

弊舎代表の アカウント凍結の裏に「来夢」という ユーザーがいた

初めにお断りをしておく。本稿に対して「死者に鞭を打つな」という批判が起きるかもしれない。それは甘んじて受けよう。確かに三宅にとって不都合な過去を指摘する場面もある。というよりも“だらけ ”だ。しかし彼女は現在もTwitter上にプライベート写真などを投稿され続けている。しかも時には彼女の家族の写真であることも。それもネット上で知り合った赤の他人によって、だ。

他方で、今でも「何らかの組織に消された」と陰謀論を展開するTwitterユーザーが存在する。彼女は死してもまだTwitter上を彷徨っているのだ。むしろ本稿によって彼女に真の永眠を捧げることができる、そう確信する。そして本題に入ろう。

11月初旬。弊社代表の鳥取ループのアカウントが凍結されたのはご存じだろうか。読者、支持者の間では疑問視の声があり、もちろんアンチらは歓迎していた。この措置をめぐっては「同和問題」についての投稿が原因と思われがちだが、それが原因ならばまだ納得できる。凍結の原因は弊社に寄せられたあるハガキを投稿したこと。文面があまりに奇天烈だったから。これが「個人情報の投稿を禁止するルール」に抵触するとの理由で凍結と相成った。しかしハガキどころか運転免許証、携帯電話番号、個人写真、より詳細な個人情報を含む投稿が散見される。ところがこうした投稿は放置されているのが不思議だ。

また同時期には著者もロック(使用制限)が度重なった。鹿の解体写真、新聞記事の写真、なぜかこんなものまで使用制限の対象になった。

繰り返すが同種の投稿は多々、確認できた。また異議申し立てをしても実際に検討されたのか痕跡が見えない。

原因は集団的に行われた「通報」のようだ。要は「何が問題」なのか、というよりも「多数の通報があった」から自動的に凍結や制限されたのだろう。その通報主は探すまでもなく本人自ら名乗り出た。「全国部落調査」裁判の判決以来、天才夢来山来夢ちゃん@mukuraimu1(来夢)というユーザーを筆頭に「雪組」というグループが通報を繰り返してきた。本人が「仕留めた」と宣言した通り「凍結」の原因は来夢氏(以降敬称略)の通報とみられる。

御尊顔。

この来夢という人物、それまで全く接点がなかった人物だが、Twitterでは通報魔的な存在として知られていた。さらに「雪組」というグループ名は三宅雪子の名を冠したものであり、来夢は三宅のマネージャー役として活動していた。面識がある人物によると

「三宅雪子と最後に会ったとされる人物ですよ。ある企業と労働争議があり慰謝料を勝ち取ったことから地元共産党や労働問題に詳しい弁護士と知己を得たそうです。三宅は共産党とも積極的に交流するようになりましたが、来夢の影響でしょうね」

といった人物像。経歴をみると高学歴でもないし、また職業エリートでもない。還暦近くで通報の成果を誇示する人生――。彼にとってもTwitterという空間は居心地がいいのだろう。

投稿を辿ると「法律論」を語る場面がいくつかあった。おそらく労働争議で得た知識とみられる。

保存された当時の投稿や関係ブログ、有志らのまとめなどをみるとまずこの名が浮上した。また生前、三宅はTwitter上で常軌を逸した言動を繰り返しており、時には法廷闘争にまで発展したがその裏には来夢の存在があった。

来夢を中心とした雪組グループは現在もこの「雪組」を冠して、ツイキャス(Twitterと連携する動画配信サービス)を続けている。活動をみるに三宅の名を冠する必然性が見つからない。グループが嫌悪する政党、議員、ユーザーを罵倒するのがせいぜいだ。

三宅雪子の「雪」を冠した単なるネットのコミュニティである。三宅はきっかけに過ぎない。遺族でも旧友でもないこの一味がいつまでも三宅のプライベート写真を共有している。それ以前に死を悼むというほどのリスペクトも感じない。要は来夢の私的グループといった様相だ。

「雪組」の行動に対して疑問を抱く元支援者も少なくなかった。だが正面から異議を唱えることはできない。なぜなら再びネット上で攻撃を受けかねないから。

Twitterユーザーの場合、先に挙げたような通報対象になってしまう。また三宅が生前、起こした訴訟の乱発に対する一種のトラウマが刻まれていた。

興味をもって元支援者らに接触を試みると「三宅雪子」「来夢」という名を告げた時点で強い拒否感を示す。もう関わりたくもない、といった様子だ。本来、SNSは相互交流ができる有益なツールのはずだが、しかしその使途一つでこれほど人を恐怖に陥れるのかと驚いた。

三宅雪子に 政治家としての 資質はあったのか?

2009年8月、民主党政権が発足した第45回衆議院議員総選挙。フジテレビ社員だった三宅が同党・小沢一郎幹事長(当時)の要請を受け、群馬県4区から立候補し当選した。こうした経緯から彼女は「小沢ガールズ」と呼ばれ、マスコミから注目を浴びる。彼女にとって小沢は政治の師であり、よく面倒を見た。我々が抱く小沢像は「剛腕」「ワンマン」「冷徹」といったところだが、その印象とは裏腹に最後まで三宅の理解者であった。

2012年、「国民の生活が第一」の支援集会にて。右は立憲民主党・森裕子参議院議員(現在)。

当時、民主党は記録的な大勝で多数の新人議員を輩出した。この時、当選した女性議員は、いわゆる市民活動家あがりも散見される中で、彼女は“ 政治サラブレッド”の部類であった。石橋湛山元首相の側近、元官房長官の石田博英いしだひろひでの孫だからだ。

通常、政界関係者、玄人筋の間では博英を「ばくえい」と音読みする。石田は自民党重鎮に違いないが、この名はむしろ「ソ連のスパイ」としても現在に伝わる。親ソ、親中の元外交官、評論家の孫崎享氏(以降敬称略)も著書、講演会などで石田を評価するが、こうした縁があり三宅は孫崎とも交流が続いた。

国会議員生活はわずか1期4年。しかし妙な存在感が三宅にはある。民主党の離党後、所属政党を転々とし、失職するが街頭演説になるとそれなりに人を集めた。またマスコミ出身者らしく発信力もあり、メディア関係者・著名人との交流も活発だ。しかし周囲の期待感ほど、彼女は政治家として資質があったのだろうか。一般的には2010年5月、衆議院内閣委員の採決で甘利明衆議院議員に押されたと訴えた一件が最も有名なエピソードではないか。残された映像からはどう見ても自ら転倒したとしか思えない。ネット上では「ダイブ三宅」と揶揄された。

彼女の存在価値とは一体何だったのか。一つに男性有権者からマドンナ的な扱いを受けたことだ。

2012年9月、荒川区内で結党間もない「国民の生活が第一」の支援集会が開催され三宅も登壇した。当時、野田政権の社会保障・税一体改革関連法案(消費税増税法案)に対する反対派議員が結集した同党。正確には小沢派グループという表現もできるが。

面白いことに三宅以外の女性議員も出席する中で聴衆の三宅に対する視線は明らかに違う。彼女が壇上に立つと

「雪子ちゃーーーーーーーん」

と声援を送る支持者が。こりゃダメだ。頭上にはハートマークが浮かんでいる。彼女が公の場で語る時はえてしてこの手の支持者を見かけたものだ。国政、地方、与野党問わず女性議員に聞きたい。街頭演説で有権者と握手をする際、異常に顔面を近づける年配男性はいない? 彼女に群がる有権者とはえてしてこのタイプに見えた。

周囲の持ち上げとは別に議員生活時代は“お嬢扱い ”が実態ではないか。本来はノンポリ。夫婦別姓制度に取り組む女性活動家の話は面白い。

「意外かもしれませんが衆議院議員時代、三宅さんは市民団体が実施した選択的夫婦別姓制度について慎重とし、その理由を“ 家族がバラバラになりそうだから”と回答していました」

回答内容がまるで市民への街頭インタビューだ。こうした場合、推進派ならば「家父長制」「イエ制度」といったテンプレート用語をちりばめ、逆に反対派は「伝統」「日本文化」といった文言を使用する。経験や知識が乏しいというよりも本来は、左右イデオロギーと無縁の人。落選後、人権問題、脱原発といった問題にも積極的に関与したが、早い話が取り巻きの色に染まったと思われる。キャラ立ちはしているがその実、無味無臭、そして無自覚。

だから日本未来の党、生活の党、生活の党と山本太郎となかまたち、と政党を渡り歩くが政治信念というよりも師、小沢一郎に追従したという方が正確だろう。2013年、生活の党公認候補として参議院選挙に挑むが三宅も落選、というよりも同党が議席を獲得できなかった。

SNSなどの利活用に長け、かつ熱心で活動的だが極めて少数、彼女を取り巻く支持層の特徴だ。これ参院選出馬以降、国政・地方問わず議員に返り咲くことはなかった。これ以降、市民集会でのスピーチ、知人候補者の応援、こうした活動を続け都内区議、地方議員などを意識していたという。ただ結果に繋がることはなかった。その裏には

「市民集会に招かれたスピーチでも自分の番が終わるとそそくさと帰っていく」(元支援者)

本人の自己主張の強さに対して政治活動への情熱が欠如していたのはではないか。

「野田首相と 戦う」千葉四区 鞍替えの 真実

議員バッチを外せばただの人。失職後の三宅は「元衆議院議員」それ以上、それ以下でもない。

この点、同じ旧民主党系の落選者でも“活動家出身 ”は逞しい。単純にバッチとカバンをトランジスタメガホンに変えればいいだけだ。揶揄している訳ではない。こうした活動も議員生活と異なる情念と行動力が要求される。

しかし三宅の場合、情念と行動力が「ネット」というよりも正確には「Twitter」に向かってしまった。結果からみれば「情念」というよりか「怨念」に近い感情かもしれない。同じSNSでもFacebookよりも不特定多数を相手にできるTwitterは確かに三宅向きだ。なぜなら失職後も議員、メディア関係者、著名人らと交流があるからなまじ発信力だけは残っていた。

後に三宅と袂を分かつ元支持者らが共通して証言したのは「激しい承認欲求」ということだ。 Twitterにはそれを満たす要素がある。

少し時間を進める。2018年、ジャーナリスト・黒薮哲哉氏は『紙の爆弾』(同年9月号)に「三宅雪子元参院議員“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理」を寄稿した。新聞の押し紙問題、マスコミ問題を追及する名うてのジャーナリストで全国紙の巨大利権と渡り合う強者つわものだ。そんな大テーマをライフワークにする同氏が「三宅雪子とTwitter」とは何やら不釣り合いで不思議に思ったもの。だが実際に読んでみると壮絶な事実がレポートされていた。同記事はWEB用に再編集されているからご参考に。

三宅雪子がTwitterで元支援者を中傷し、多数の訴訟を仕掛ける。また明らかに落ち度がない一般人に対して刑事告訴をほのめかす。しかも奇妙なことに三宅が攻撃の矛先にしたのは元支援者、実妹であった。

三宅の後援会関係者A氏は「もう忘れたい」と当惑しつつ、当時の状況を詳細に証言してくれた。

「来夢? もちろん知っています。三宅と元支援者の裁判で傍聴席にいました。なにしろ裁判所でも弁護士よりも来夢と一緒にいましたからね。ただ来夢は支持者でも後発組です。雪組というのも三宅の死後に作られたグループでしょ? 三宅が暴走を始めたのは来夢が関わる以前のことなんです。それまでは彼もネット上の一フォロワーといった存在でしたが」

A氏を含め周辺の証言をまとめると来夢が三宅の活動に「マネージャー」的に関わりだしたのは2015~2016年頃だという。ではどの時点から三宅は迷走し出したのか?

A氏によれば2012年、第46回衆議院議員総選挙だという。ご承知の通り、この時は自民党が政権復帰。また旧民主党が壊滅的な敗北で大きく議席を減らした。三宅はこの時、千葉4区、つまり当時の野田佳彦元首相の選挙区に鞍替えして大差で敗れた。

「これは報道されていませんが、対外的に三宅は“首相と戦えと命を受けた ”と発表していますが、大間違いです。自分から千葉4区に行くと決めたのです」(A氏)

また当時を知る小沢氏の元秘書、元衆議院議員の立憲民主党関係者も同意見だ。

「小沢先生は“こうしろ ”と命令される方ではありません。千葉4区への鞍替えについて三宅さんから相談があった時にただ“自分で決めなさい ”といわれただけです」

落選した後、「三宅さんは大丈夫か」という声が周辺から囁かれ出したという。

「2014年7月ぐらいから突如、実妹を執拗に攻撃し出したのです。妹さんは日本テレビに勤務していましたが、同局の役員の名前まで挙げて“妹を処分してください ”などとTwitterに投稿していました」(前出A氏)

実はこのほぼ同時期に三宅の親族の葬儀が執り行われた。献身的な支持者、ボランティアが三宅の周囲におり、葬儀を手伝った。

「“妹は病気でおかしくなったから絶対に関わらないで ”とボランティアたちに話していました。葬儀なのにですよ」(A氏)

従来から三宅は実妹を嫌っていたフシがある。三宅と元支援者の間で起きた民事訴訟の記録によると三宅家に仕えた運転手兼管理人の証言は興味深い。

「雪子さんは妹さんの子供には祖父、博英に由来した名前を使わせないと話していた」

“華麗なる一族 ”といえば聞こえはいいが、しかしそんな一族にも苦悩があるということか。

葬儀の一件は支持者の間でも不信感が強まり、三宅個人の政治団体から徐々に人が去っていく。かつては三宅にシンパシーを抱いたTwitterユーザーも同時期に異変を感じたと語る。

「私たちウォッチャーの間では通称『都ホテル事件』というのですが…」

この一件も三宅のTwitterやツイキャスに対する執着を物語る。

「2015年4月のことですが、自分の弟さんが高輪の都ホテルでトラブルを起こしたのです。親族から三宅さんに迎えに行って欲しいと連絡があったのですが、ツイキャス中を理由に無視。コメント欄で迎えのお願いが書き込まれたのですが“ 脅迫だ”と騒いでいたのをよく覚えています。結局、実況中継しながらホテルに行ったのはさすがにありえないと思いました」(同)

ご舎弟は障害者である。そんな関係から三宅は2012年に『福祉と私』を上梓した。ところが実弟のピンチにツイキャス中というのは彼女が福祉にかける情熱を疑う。家族よりSNS…空疎だ。

区議に転身? 本音は 「こんなにオイシイ話はない!」

「私の眼から見てもツイキャスの参加者たちは三宅のファンというよりもネットのバトルや騒動見たさといった感じでしたよ。喧嘩や火事場の野次馬みたいな感覚ですね」(前出ユーザー)

一方で現実的な支援者たちは三宅から距離を置き始める。

「三宅から離れたのは、ネット上のトラブルだけではありません。政治家として一体、どうなのか?というのが最大の理由ですよ。例えばある駅前で街頭演説をやったとTwitterに投稿するでしょ。“ お疲れ様です”とねぎらうと“あれはウソです。別の方の選挙区だから大問題になるの ”とあっさり白状するです」( 前出A氏 )

さらに

「一時期、三宅は区議選も検討しましたが、その理由に呆れました。2千票程度で当選できる上に議員報酬は年間1千万円。こんなにオイシイ話はないというのです」(A氏)

まともな政治活動ができていたとはとても思えない。それでも政界絡みの集会、イベントがあれば招かれていた。それも結局は賑やかしの域を出ない。

ところが2015年4月に三宅は「生活の党と山本太郎となかまたち」に離党届を提出した。以下は当時のツイッターの投稿。

党支持者(を名乗る)人物から悪質な嫌がらせを受けていることは、すでに皆さまにはご報告してましたが、その件において、私からは誠意がなく冷酷と感じた党幹部の対応が原因であり小沢・山本両代表とは一切無関係であります。

私としては、最後まで党に留まる決意でしたので、この時期にこのような事態になりましたことを、申し訳なく思いますし心からお詫び申し上げます。「国民の生活が第一」の理念は変わりませんし、この先もできる限り、外から小沢さんを支えていきたいと思っております。そして、嫌がらせに関しましては

事実無根であるばかりか、その拡散を(ネット上でなく様々な方法で)続けると聞いておりますので、恐怖を感じております。

ところがこの投稿も「全く筋違い」と憤るのは「国民の生活が第一」の元関係者である。

「党に三宅さんから“元支援者からストーカーをされて困っている ”と相談を受けたのです。党としてもその訴えを受けて、元支援者の方に事情を聞きました。ところがまるで事情が異なっており、ストーカー行為などありませんでした。それに三宅さんが怒って離党届を提出したというのが真相です。私たちもかなり対応に苦慮したのに、冷酷というのは心外でした」

ここでストーカーと名指しした元支援者に対して三宅は民事訴訟を起こした。逆に同氏からは名誉棄損罪で刑事告発され2016年に書類送検となった。来夢はこの元支援者にもTwitter上で罵倒を繰り返した。

当時を知る前出のウォッチャー。

「来夢は三宅と係争した元支援者が経営する会社付近の道路や建物をわざと投稿するんですよ。暗に個人情報を晒してやるぞ、という意味でしょうね」

三宅に同調した来夢は元支援者攻撃を始める。2016年5月31日の三宅ツイキャス中に来夢は

「●●さん!経営者ならネットストーカーをやめましょう! あなたの会社が倒産するかもしれませんよ」

「●●(アカウント名)の会社、そのうち倒産するかもな!Wこんな嫌がらせばっかしていたらW」

といったコメントを投稿した。

だが元支援者のストーカー行為など存在せず、裁判でも三宅の訴えは一蹴された。他人の投稿に対してはルール違反だとして「通報」を繰り返し、凍結させる。ある意味、三宅にとっては頼れる守護神のようなパートナーになったであろう。そして三宅は死の直前まで来夢と行動を共にするのだった。

以上が前編になるが、前出A氏の証言で締めたい。

「三宅が敵視した元支持者、協力者は、もちろん左派やリベラルに属する人たちです。今から思えば可笑しいことですが、三宅から攻撃を受けた元支持者がネトウヨとみられるTwitterユーザーと情報交換するケースもありました」

三宅をめぐる騒動は右派左派を横断し、その中心にTwitterが鎮座する。三宅のフォロワーたちは彼女のSOSに呼応して攻撃対象に中傷、通報を繰り返す。ターゲットは政治主張とは無関係で三宅が敵視するか否か、だ。まるで教組と信者。取材を進めると自然に“Twitter真理教 ”このフレーズが思い浮かんだ。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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