小机駅と言えば新横浜駅の隣で、ここまで来るといよいよ横浜市の中心市街に近づく。そして、ここにも部落がある。
1934年の記録では22戸の「根崎」という部落がある。神権連の機関誌『人権のとも』2008年3月15日号に「横浜・小机」として当時の状況が掲載されている。
小机駅のすぐ間近にある、この駐車場から探訪を開始する。この場所で昼間最大料金900円はかなり安いのでは?
駐車場に入る道が狭く、入りにくいことが安さの理由かも知れない。
小机駅前は賑やかなのだが、大通りから少し外れただけで、寂れた風景がある。斜面が迫っており、道が狭い。
ただ、この場所が部落ではない。
少し歩くと、鳥居が見えてきた。
参道を登ると、神社がある。
白山、稲荷両宮とある。白山神社も稲荷神社も部落でよく見かけるが…
近くに曹洞宗の「雲松院」があるこの辺りは部落ではない。さきほどのは、部落とは関係ない白山神社であろう。
さらに散策すると、いくつか墓地があるが、いずれも比較的新しい時期に移り住んできた住民のもののように見えた。宗派は様々である。神奈川県では部落は日蓮宗、時宗。浄土真宗のいずれかの檀家であることが多いが、それらの宗派のようには見えない。
『人権のとも』によれば、戦後住民が寺に法事を頼んだら、住職が野球の試合に出るから法事は出来ないと言ったため、地域住民が怒って全世帯で寺替えしたということがあったという。なので、宗派が変わっている可能性もなくはない。
改めて地図を見ると、近くにもう1つ稲荷神社と墓地がある。しかし、そこに行くためには、一度大通りに出ないといけない。そこが部落であるとすれば、近隣地区と微妙に隔絶されているのだ。単に地形のための可能性もあるが、湯河原の部落でも見られた現象であることが気になる。
一度大通りに出た。こうやって歩くと、昔ながらの村と、駅前の街が隣接していることが実感できる。
そして少し路地にはいると、趣のある風景が。
この景色、見覚えがある。
『人権のとも』の写真と一致する。
古くからの村であることを思わせる部分もあるが、新しい家も多く、むしろさきほどの駐車場の周辺よりも寂れていないように見える。
墓地を見つけた。
宗派は浄土真宗。窪倉、原橋という名字が多い。
そして気になったのは、今も昔も浄土真宗だが、昭和30年頃から法名に漏れなく院号が付いていることだ。これは、寺替えした後の住職が誰にでも院号を付ける方針だったためと考えられないだろうか?
『人権のとも』によれば、この坂道と側壁は「支部の要求」で市が整備したものだという。何の支部かは想像の通り。横浜市は同和地区指定をしなかったが、独自の事業をしており、この辺りの道が比較的整備されているように見えるのも、そのことが影響しているかも知れない。
しかし、そのような歴史的経緯をどれだけの住民が知っているだろう。ここは完全に融和している。
墓地からさらに少し登ったところに稲荷神社がある。
これは『人権のとも』に出てくる稲荷神社だと思うが、写真とは鳥居の形が違っている。
鳥居には平成二十年四月とある。つまり2008年4月に建て直されたということ。これは、『人権のとも』の記事が掲載されたまさに次の月である。
当時は真っ白であったであろう鳥居も10年ちょっとで苔で汚れてしまう。この鳥居が出来た当時、自分はどこで何をしていただろうと、考えてしまった。
社殿の中はこのようになっている。
境内には集会所もある。
神社からは墓地と小机の街を見下ろすことが出来る。もはや被差別部落ではなくなっていた。
雲松院は俳優の内野聖陽さんのご実家ですね。
小机に同和地区があることと、小机城がかつてあったことは関連性はあるのでしょうか?
すみません、そのことは分かりません
臥龍山雲松院は曹洞宗の寺で、小机城の城主であった小田原北条家の家老笠原越前守信為が主君北条早雲と亡父能登守信隆の菩提を弔うために建立したもの。
江戸期以前の部落は、リサイクル業者であり掃除屋を家業としていた者の集落なので、人里や城下、門前町の様な社会性の強い集落近郊には、規模の違いはあれどほぼセットで存在すると考えても差支えないと思われる。
その意味から言えば、現在我々が同和教育で刷り込まれて来た部落のイメージとは、全く異なる存在と考えた方が良いと推察する。
関東の部落に今でもリサイクル業者が多いのは、その名残なのでしょうか?
分かった様な事を書いているが、その実ほとんど分かっていないね。
一般的な戒名の構成の基本は上から「院号」+「道号」+「戒名」+「位号」の順となり、その組合せ次第(金次第)で全部の文字数は様々。
ベーシックコースを選択した場合、「戒名」+「位号」の組合せになる。
・院号(~院・~院殿)
一応、寺院等に貢献した人に付けるのが建前だが、身分を表すものとしても機能する様になった。
しかし、江戸時代の士分(旗本、上士)の家柄でも院号が付かない人が居る為、必ずしも一致する訳では無い。
その逆も然り。
ぶっちゃけ、昔から金次第のオプションで、現在では院のみより院殿の方が高価。
元々は院のみの方が院殿より格上だったのに、文字数が多くなるなどの理由で、江戸期には既に立場が逆転したと言うとんでもオプション。
院に次ぐ廉価版として、庵、軒、斎なんてのがあり、昔は院号以上の家柄ながら親より前に死没した成年などに付けたりする例もあった。
・道号
浄土宗では誉、浄土真宗では男性は釈、女性は釈尼、浄土宗西山派では空、浄土宗時宗派は阿、日蓮宗では日または妙の号が付く事が多いが、この上に付ける。
ぶっちゃけ、昔から金次第のオプション。
・戒名
道号の下につけられる文字のことで、本来はこの部分のみを「戒名」と言う。
仏道に帰依した際の名前で、いわゆる宗教ネーム。
つまり、一般的に戒名や法名と呼ばれるものの核心部分で、これが無い戒名は無い。
・位号
仏弟子に与えられる称号で、ゲームで言う勇者とかに当たる。
死亡時の年齢により号が変わる。
成人してからの位号は、ぶっちゃけこれも昔から金次第のオプションあり。
ベーシックは上、オプションを足すごとに下の豪勢な位になる。
成人
男性:信士 女性:信女
男性:清信士 女性:清信女
男性:居士 女性:大姉(男性:禅定門・ 女性:禅定尼)
男性:大居士 女性:清大姉(男性:大禅定門・ 女性:大禅定尼)
禅定門、禅定尼に関しては、剃髪して仏門に入ったと言う建前だが、昔は院号と同じく院号以上の家柄ながら親より前に死没した成年などに付けたりする例があった。
コメント欄で禅定門・禅定尼を部落民に用いるなどと、無知も甚だしい書込みがあったが、禅定門・禅定尼は居士・大姉と並ぶ尊号であり、間違いも度が過ぎている。
未成年(数え年で16歳未満)
男性:童子 女性:童女
未成年(3歳~6歳)
男性:幼子 女性:幼女
未成年(3歳まで)
男性:孩子 女性:孩女
未成年(1歳まで)
男性:嬰子 女性:嬰女
未成年(胎内死)
水子
宗派ごとの基本的組合せは以下の通り
真言宗:梵字+院号+道号+戒名+位号
天台宗:院号+道号+戒名+位号
浄土宗:院号+誉号+戒名+位号
浄土真宗:院号+釋号+法号
曹洞宗・臨済宗:院号道号+戒名+位号
日蓮宗:院号+道号+日号+位号
昭和30年頃から法名に漏れなく院号が付いてと言った現象は、寺替えした後の住職が誰にでも院号を付ける方針だった線も考えられるが、人々の意識がかつての家格に縛られなくなったことと、全体的に裕福になったことに起因する可能性も否定できない。
つまり、昭和30年頃には解放されていたという社会背景を読み取る上のヒントになるかも知れない。
ありがとうございます。印刷して墓の宗派を鑑定する時の参考にします。