部落解放同盟の支持政党と言えば歴史的に旧社会党・社民党、旧民主党、そして現在は立憲民主党。おおかたこのような系譜になるだろう。少なくとも建前上は反自民の立場だった。ところがこのところ解放同盟も自民党に接近し、また自民党議員も解放同盟の旗開き(新年会)、全国大会に出席するなど関係を深めているようにも見える。解放同盟といえば反体制、反権力を鮮明にしてきたはずだがもうそんな時代でもないのだろうか。そんな折、解放運動の故郷・奈良県御所市の“ ドン ”こと 部落解放同盟奈良県連合会(通称、川口県連)委員長、奈良県議の川口正志氏が先の統一地方選で自民党に推薦願いを出していたという情報が舞い込んだ。川口氏は元社民党の議員のはずだがなぜ自民に? 話を受けて現地にて川口氏周辺を取材してみると―――。
人生100年時代を体現する男
それにしてもどこから話を始めるべきなのかとても悩ましい。 一県議、一解放運動家であるこの人物が全国的にどの程度の知名度があるのか知らない。 やはり本題に入る前に 「川口正志」 という人物に触れておきたいが「導入部分」だけで説明がつくほど生易しい人物ではない。
部落業界では間違いなく高い知名度を持ち、マニアならばその名、活動歴、そして全国部落調査の原告の一人というのもご存じだろう。 あるいは人権連(全国地域人権運動総連合*共産党系の同和団体)の方々にとってはこの名は陰惨な記憶とともに想起されるかもしれない。評価、立場は様々だが確実に言えるのは奈良の解放運動の象徴的存在ということ。 それから基本的な知識として抑えておきたいのが冒頭で記した「川口県連」という意味。1993年、部落解放同盟奈良県連は川口率いる県連と、山下力氏(元県議、奈良県部落解放同盟支部連合会理事長)の「山下県連」に分派した。
山下氏はかつて“ 糾弾屋”との異名を持ち激しい運動を展開したが、川口氏に批判的になり自著『被差別部落のわが半生』で過去の活動に対し自省している。
こうした経緯があり奈良県では各地域で川口県連と山下県連に分かれている。例えば奈良市は川口県連。「奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件」のポルシェ中川こと中川昌史は「川口県連」の同盟員だった。また山下氏の地元、磯城郡や天理市は山下県連、という具合である。
語りたいことはたくさんあるが、ともかくまずは奈良の同和のドンという理解で以下を読み進めて頂きたい。
さて本題。先の大阪府市W選、統一地方選、大阪補選、堺市市長選では維新が話題を独占していた。また近頃、左派の市民団体、活動家の間ではN国こと「NHKから国民を守る党」も関心を集めている。どうしてもこのような話題のトピックスに飛びつきがちだが、マニアックな現象でもちゃんと「定点観測」している通はいるものだ。
とある関西在住のウォッチャーから「4月の奈良県議会議員御所市選挙区は見ましたか?」との連絡がきた。さすがに御所市選挙区とはニッチすぎるが話を聞いてみると実に面白い情報だった。
「川口県議が当選したんですが、自民党に推薦願いを出していたというんですよ。今は無所属でも元社民党で解放同盟の役員だしおかしな話じゃないですか?」(同氏)
現在こそ無所属だが、旧社会党、社民党の議員であり保守・革新という区分けをするならまあ後者なのだろう。これまでの活動歴を考えても自民党に推薦願いを出すのはおかしな話。それも解放の故郷、御所市の部落問題のシンボルが政権与党に接近するのだから事実ならば「違和感」どころではない。
とはいえ仮に推薦の有無に関わらず選挙には強いはずだ。初当選は1979年、当選10回を誇る超ベテランだ。そんなドンの選挙といえば――。
「『人生100年時代を体現する男、川口しょうしです!』このフレーズが好きなようです(笑)。その言葉通り、高齢だけど今でも活動的ですよ」 (同ウォッチャー)
こんなフレーズを好んで使ったという。御年85歳の川口氏は元御所市議で無所属新人の丸山和豪氏(48歳)を破り、11期目の当選を果たした。この意欲は確かに人生100年を思わす。
候補者氏名 | 党派 | 得票数 |
---|---|---|
川口 正志 | 無所属 | 6,789 |
丸山 かずたか | 無所属 | 5,494 |
- 当日有権者数 22,870人
投票者数 12,888人
投票率 56.35% - 投票総数 12,888票
有効投票 12,283票
無効投票 605票
*平成31年4月7日執行 奈良県知事選挙及び奈良県議会議員選挙(御所市選挙区)開票結果より抜粋。
昨今、地方議員のなり手がいないという現状がある。都道府県議会選挙でも対立候補なしという選挙区は少なくない。そんな中で御所市選挙区は接戦。本来は川口氏の横綱相撲のはずが新人の丸山氏がかなり肉薄した。「地元では川口さんの影響力もだいぶ落ちたんとちゃうか? という声もありました」(同ウォッチャー)との声も寄せられた。しかし逆に外部から見ると、高齢議員の多選に批判がある中で、接戦を勝ち切る集票力があるのかと驚いたものだ。氏のホームタウン御所市の地の利というやつか。
ドンが推薦願いをあっさり認めた!
もう真偽は本人に直撃するしかないだろう。これまで過去記事でも解放同盟員の役員や活動家に直撃してきた。おおかたは「ノーコメント」「無視」なのだが、それよりも最強の答えが“ 知らんがな”である。例えば本人の主張や著書、記事、あるいは講演内容と矛盾している、こういう指摘に対し「知らんがな」とのリアクションだ。これはグーの音も出ない。実に無敵の回答なのだ。とにかく「知らんがな」でもいいから川口氏から言質を取るべく現地に向かった。
川口氏は水平社博物館がある御所市柏原に事務所を構えている。この御所市という町。ご存じの通り、水平社発祥の地で「解放のふるさと」「人権のふるさと」などと呼ばれている。
御所市で印象的な出来事は2011年に同市役所が人権・同和対策課を廃止したことだ。水平社発祥地の自治体が「同和」を冠した部署を廃止するというのはインパクトがあった。これは別稿でも指摘したことだが、奈良、福岡、大阪といった自治体が同和離れをしているのに対して逆に新潟、佐賀、島根といった同和が盛んではなかった地域に波及する傾向がみられる。御所市の組織改称はその一例とも言えよう。
御所市柏原に入ると水平社博物館の案内板があり、なにやら人権標語の立て看板が立っている。確かに解放のふるさとだなあ、という風情だ。川口氏の事務所は水平社博物館とは目と鼻の先にある。立派なビルで、個人の後援会やティグレ(中小企業連合会)も入居していた。
「おはようございます。ごめんください」
事務所の扉を開いた。
「お?」
いきなりご本人、ドンが目の前にいた。スタッフを介し名刺を渡す。
「あんたとこ訴えとる会社やないか。話なんかすることないぞ」
ドンはこう言う。事務所には複数のスタッフ(支援者)がいたが、むしろ彼らの方が色めきだっている。同和の話ではなくて、政治向き、統一地方選挙の話が聞きたいと告げる。すると意外なことに「どういう話か分からんけどほなまあ」と招き入れてくれた。そして単刀直入に聞いてみた。
「先生は自民党に推薦願いを出したという情報がありますが、本当のことでしょうか」
こんな風に話を振ってみた。すると川口氏、なんだそんなことかという表情だ。本来、特に都合のいい話でもないのにむしろ嬉々とされている。
「おお。出したよ」
なんと意外にもあっさり認めた。 解放同盟は立憲民主党を支持しているはずだが? こんなことも聞いてみた。
「うん、確かに全体としては立憲民主党を支持しているよ。だけど私は今、無所属だから。自民党はもちろん、共産党の人ともお付き合いがある」。そしてこう付け加えた。
「いろいろな支援者、知り合いがいるからね。その中の一人の人が私のことを考えて自民党に推薦願いを出してくれた」
推薦願いは出したが、あくまで周辺が川口氏を思って代わりに出してくれたという説明だ。とりあえず認めたことも意外だが、ただ支援者が推薦願いを代行して出すというのも不思議な説明だ。ただ与えられた時間はここまで。
「もうええやろ。アンタらと話すことはないわ。出てってくれ」
スタッフたちも退出するように促す。もう少しどういういきさつで自民党と接触したのか聞きたかったが、時間はほんの数分。まあにしてもとりあえず「推薦願いを出していた」という事実の裏が取れたのが大きい。本誌とは係争中にあるがそれでも話をしてくれたのは当選11回という政治家としての余裕なのか。
応じてくれたのはありがたいがなかなか気持ちが整理できない。左派・リベラル・革新を自称する人たちはまず「反自民」を鮮明にするものだ。川口氏は同盟員で、元社民党。もう彼の中で「革新」という意識はないのだろうか。かといって全日本同和会や自由同和会のような「融和的」な考えを持っているわけでもない。おおかたの解放同盟員に「自民党寄りだ」と言ったらまず反論、否定するはずだ。だがドンは全く意に介していないどころかむしろ良好な関係をアピールした。
ではこういうスタンスに対して仲間たちはどう感じているのだろう? 水平社博物館正面にあるこれもまた解放のシンボル、西光寺の清原隆宣住職を訪ねた。住職は川口氏と同じく水平社博物館の運営委員だ。そして事前に「清原住職は川口を批判している」こんな情報を得ていた。もしかしてその批判は川口氏の政治スタンスにあるのではないかと思い、清原住職に話を聞いてみた。
清原氏は取材に応じてくれた。川口氏との不和というのはあっさり否定。意外だったのは住職も解放同盟員であることだ。もちろん示現舎のことも知っていた。川口氏の自民党の一件を聞いてみる。すると
「自民党政権が部落差別解消法を作ったでしょ。ああいうことも自民党がやるから政権とも協力して差別撤廃をやったらええんやない」
清原氏も全く自民党との関係を否定しない。むしろ評価しているフシもある。解放のふるさと、御所市のツートップがこんな調子だ。逆にあっさり認めすぎて脱力してしまった。では逆に自民党側はどうとらえているのか。市内の自民党有力者に取材をすることができたがこれもまた意外な事実が待っていたのだ。
一部の解放同盟員は「部落解放同盟という看板あげてるけども、外したらやってること言うてること自由同和会とそんなに変わらへん」(『創』1995年2月号「匿名座談会 部落解放同盟のマスコミが書けなかった内部事情」p.106)と昔から自認してはいましたね。「私のことを利権屋と言うけれども、私は部落の人が全員、ハタからみてうらやましがられるような金持ちになって欲しいと思っている」という川口の発言も自民党的であり同和会です。
解放同盟の基本は利権屋の野合ですから、自民党との距離も個人差が激しいのではないでしょうか。同様に自民党の基本も利権屋の野合であり、解放同盟との距離が個人によって激しいといえます。
貴重な資料をご紹介くださりありがとうございます。
取材の中でその話に近いコメントをもらったので次回に
紹介するつもりです。
×自民党的であり同和会
○自民党的であり同和会的
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