琵琶湖の沖合約1・5km付近に浮かぶ日本で唯一の淡水湖の有人島「沖島」(近江八幡市沖島町)をご存じだろうか? 沖島への交通手段は同島の自治会が運営する「おきしま通船」で、近江八幡市本土と島をつなぐただ一つの足である。そんな28日午前、おきしま通船が沖島漁港付近で水中の人工物に衝突し、乗客、船員計9人が重軽傷を負ったという。残念ながら事故のニュースで話題になってしまったが、この珍しい淡水湖の島について紹介しよう。
おきしま通船が衝突で事故? 第一報を聞いた時に驚いたものだ。琵琶湖で一体、どんな障害物があるか疑問に思ったが、東近江行政組合消防本部によると「沖島付近のテトラポットに衝突した」という説明だ。海と異なり岩礁などは存在しないが、本来は波消し役で沿岸を守るはずのテトラポットが事故の原因になってしまった。ともかくおきしま通船は本土とつなぐ貴重な島の足である。今後の無事の運航を祈るのみだ。
さて沖島について、である。「一家に一台、小型船舶を持つ」「猫がたくさんいる」こんな風に紹介されることもあった。特に猫好きの間ではかなり有名で島の猫目当てに渡島する人も少なくない。なにしろ島にはコンビニもないし、わずかに飲食店、民宿がある程度でいわゆるリゾート施設といったものは皆無だ。なにしろ道路というものがない。だからもちろん信号機もない。自動車といっても港付近でわずかに使用される程度。島内の移動は徒歩か「三輪自転車」である。だから観光に行くというよりも、自動車も信号も大きなビルもない非日常の世界を味わいに行く。こういう楽しみ方が向いている。
7人の侍によって村ができた
あるいは歴史マニア、郷土研究家、こういう人にとっては実に興味深い島かもしれない。沖島の歴史を紐解こう。沖島に人が定住した正確な年代ははっきりしない。しかし島の漁師の網には魚や貝とともに和同開珎、万年通宝、神功開宝といった古銭が混じっていた。これらの貨幣が島にも流通し、商業活動も行われていたことの証左だろう。通説としては保元・平治の乱で敗れた源氏の落ち武者、南源吾秀元、小川光成、北兵部、中村磐徳、茶谷重右衛門、久田源之丞、西居清観入道の7人が定住し、島を拓いたという。そして現在の島民はこの7人の侍の末裔と伝わっている。
これは『日本姓氏語源辞典 』 (宮本洋一)を見てもよく分かる。例えば「西居」姓の分布を見ると都道府県順位は1位が滋賀県300人、市区町村順位は近江八幡市200人、小地域順位では沖島町がトップで100人。沖島の割合がとても高い。また「久田」姓は小地域順位8位の80人、「茶谷」姓は6位で40人だ。あるいは電話帳を見ても島民はこの7つの姓のいずれか、といってもさしつかえがないほど。平安時代からの姓を現代に留めているかのようで、日本の姓氏を検証するという点でも貴重な地域かもしれない。
人口減、漁業後継者不足という難題も
しかしこれほどの歴史がある沖島だが、過疎化・高齢化は深刻な問題になっている。近江八幡市のデータによると最盛期である1955年(昭和30年)には808人の人口があったが、2013年(平成25年)には330人まで減少してしまった。また高齢化率は約60%という状況だ。このことは水産業にも大きく影響してくる。滋賀県の水産業の生産額は約10億円だが、そのうち近江八幡市が約3億4千万円で県内1位だ。もちろん沖島の漁業が大きく貢献していることは言うまでもない。しかし2025年までに近江八幡市の漁業就業者は65名程度にまで落ち込むという予想もある。沖島の高齢化は近江八幡市だけの問題ではなく琵琶湖の水産業にも大きなダメージになるだろう。
かといって大規模な開発の地域振興を行った場合、沖島の魅力は無くなってしまう。今後、どう沖島を守り抜いていくのか?
この記事は読んでいてほのぼのとしてよかった。
風景は残してほしいけど残すにはパワーがいりますね