世界奇教特集「日本教」

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By Jun mishina

今年は改元を迎える。日本という存在について考える機会も増えるだろう。かつて作家の山本七平は日本特有の和の精神を「日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教」として「日本教」という造語を用い説明した。しかし概念としてではなく「日本教」という新宗教団体が存在するのをご存知だろうか。正確には「革真宗教日本教」(岐阜県関市上之保)という。創価学会、天理教、立正佼成会など他団体に比べると知名度こそ劣るが、約10万坪の広大な敷地に信者の宿泊所まで抱えるのだ。なにしろ名称が「日本教」とダイナミックで新年向きかと思い、同本部を訪ねてみたが----。

日本教といっても初見の人が多いかもしれない。基本的には神道をベースにした新宗教である。創始者の千載ちとせ萬香美まかみ(本名・長谷部ため)は1897年、現在の関市下之保に生まれる。1917年、岐阜女子師範学校を卒業し同年、教師の長谷部良一と結婚し、夫婦ともに県内の小学校に勤務。1932年、夫の転勤に従い上京するが、その後父や母、姉らを亡くしまた次男も原因の高熱で苦しんだ。

施設前にある庭園。

こうした経験を通じて「神による神の御行」という独自の修行を行い、様々な神霊を体験するようになった。そして1940年、父神事代主大神が降臨し、人力を与えられたという。1952年、神道真言教会として宗教法人になり各地に「神謳会しんおうかい」「不双覚醒青年会ふそうかくせいせいねんかい」「星友子供会」が結成されていった。その後、教勢の拡大のために1956年に「日本教」と宣言し、1971年に現在の名称になった。萬香美の死後は三男の 豊魂(本名・長谷部日出彦)が教主となって教団を引き継いでる。

茂りなば枯れる秋来て枯れる故 稲穂尊し実りと知らん

砕かずば玉にはならじその球は やしま(八州)をつくる黄金の玉

尊しやみもすそ川も赤き血に 染めて知らせん神の誠を

黒き目は青きにならず共々に 助けてその美かおり放たん

これらは萬香美が詠んだ歌だが、第二次世界大戦の敗戦を予言したものだと解釈されている。教義としては神系の魂を持った人々による「神系国家」の樹立を目指すというのだが、最後の歌「 黒き目は青きにならず共々に」の節にある通り、世界の国の特質を認め、これを尊重し、共和の世界、世界建設を目指す考えがあるそうだ。その一方で、 萬香美は仏教も日本の親神が釈迦を通じて教えたものと説いていることから「習合的」な要素も強い。神道系の新興宗教によく見られる特徴だ。

さて読者諸氏は新宗教の施設に立ち入ったことがあるだろうか。意外と開放的な場合が多く県内だと同じく神道系の崇教真光は一種の観光スポット化している。ところがこの日本教は実に排他的、閉鎖的なのだ。本部の施設に入ろうとするとすぐに受付の職員に止められた。見学は原則、不可ということだ。

ゲート左の警備室で進入者をチェックする。

教団敷地内には「迎愛荘」と呼ばれる信者の宿泊施設もあり、生活スペースでもあることも理由の一つに挙げていた。出家信者もこの施設内で暮らしているのだ。教主に面談をしたい場合は受付で「御祈祷請願用紙」に相談事項などを書いて提出する。これを「桑麻の交わり」というそうだ。同じ岐阜県内の新宗教でも崇教真光の場合は宗教マニア、ブロガーといった人々が観光がてら訪問することもあるのに対して日本教は全く独自の道を歩んでいる。ある信徒の遺族は言う。
「敷地内には信徒の供養施設もあり、祭壇もあるがこうした閉鎖性がゆえか、親族や友人らがお参りに来ても容易に入ることはできません」

広大な敷地を石垣が取り囲む。

その他、神道系の新宗教と決定的な違いがなかなか見出せなかったが、あえてその独自性を挙げるとすれば「葬儀」だろうか。とにかく「葬式が異様なほど派手」という点で信徒や関係者は一致していた。

「葬儀場はまるでお祭りみたいな雰囲気。部屋中に花が飾られるんですよ。そして“ さようならーさようならーごきげんよー”と絶叫して送り出します。普通のお葬式しか知らない人が見たら本当に仰天するでしょうね」

最盛期の70~80年代は週末になると関東、関西ナンバーの車が本部前に列を成したというが、最近では随分、訪問客も減少したということだ。 おそらく信徒や教団関係者の高齢化も進んでいるだろう。しかし今後、教勢の拡大というのも難しい。少子高齢化は新宗教にとっても切実な問題のようだ。

バス停の名前にもなっている。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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世界奇教特集「日本教」」への11件のフィードバック

  1. みっちー

    よくぞ記事にしていただきました。東海地方の親戚がここに入ってしまい驚きの連続でした。葬儀は紅白の幕です。昇天したからめでたいそうです。火葬した後の遺骨は捨てます。金ヅルにならなければ意味がないのでしょう。幼い頃から子供心に見ていて気持ちが悪い「神さん」(ここの人はそう言います)でした。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      紅白の幕ですか。それもすごいですね。私が聞いたのは商店街にありそうな
      八重桜の模造花が一面に飾られていたとか、まあそれはド派手らしいですが。
      出家信徒は施設内で居住しているということですが、どんな生活をしているか
      気になります。

      返信
  2. たくみ

    県道の橋に教祖の名前がついてたりすごいですね。
    教主はテニスがお好きなんですかね。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      教主といってももうずいぶんお年ですが。なんでも創始者の次男は
      高校で英語を教えていたとか証言もありましたが確認できませんでした。
      インテリ一族ではあるようです。

      返信
  3. みっちーさんへ

    遺骨は捨てる、というのは文化の違いでそういう民族って今でもありますよ。
    魂が人の根であるから、そのイレモノには関心がないという。
    日本人もちょっと前まではそんな感じだったのですけどね、裕福になってから骨とかいろいろ
    大事にするようになりました。
    お墓とかも、結局商売ですからね?高度成長期以前はこんなにまで墓乱立していなかったのです。
    土まんじゅうに目印のせて終わりです。

    さ、あなたも先祖供養にこの数百万円の石を…

    返信
    1. みっちー

      文化の違いかもしれませんが、身内としては悲しいです。その辺りの気持ちも分からない人に冷静にコメントされても。。。祖父母や近い親戚の遺骨が捨てられて穏やかにはいられませんでした。

      返信
  4. 両親と祖父母が信者です。
    遺骨ないのは本当です。
    灰になるまで焼くんじゃなかったでしたっけ
    幼少時の強制がすごくて子供からしてみればいい迷惑です

    返信
  5. まる

    みっちーさん
    自分が産まれながら、日本教に入っています。
    家族(親、兄が継いで)は信仰していますが、姉は結婚して、私も新年に祈願に行く程度です。

    数年前に祖母、祖父を亡くし、初めて親族の葬式をしました。華やかな装飾に、私自身も仏葬しか行った事がらなかったので驚きましたが、私は華やかに送ってあげる事にネガティブな事を思いませんでした。
    「逆に線香くさくない?とかなんか、暗くて重くて、塩で清める」って仏葬ってやだなって思いました。
    お花がいっぱいで、重い雰囲気ではなくて、家族や親族、地域の人本当にたくさんの人に囲まれての葬儀でした。

    ちなみに、親達は宗教内でも幹部などですが、遺骨は持ち帰りましたし、お墓に入れました。
    考えとしては、「さよなら、また生まれ変わってね」という意味で骨を残すことで未練やこちらに残す物がないようにという意味なんでしょうか…私も詳しくはわかりませんが、一般的な仏葬が普通と思うのも変だなと言う事。

    宗教という物はネガティブな考えです。
    私も知らない宗教にはネガティブな考えです。
    日本人は元々無宗教ななのに、新年に神社、年末寺、結婚式でキリスト、日本人は世界と比べると格差がなくかに縋りたいと思うことなく、幸せな人が多いから信仰する人が少ないだけ。

    何が言いたいというと、私も強く日本教に信仰しているわけではないけど、死んだら華やかに送ってもらいたいなと思ったので(長生きする前提で)日本教スタイルの葬儀がいいと思ったという事です。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      もう少し詳細をお聞きしたいのでもしよろしければ弊社にメールでも頂戴できれば幸いです。

      返信
      1. 大根おろし

        僕も曽祖母の代から日本教の家庭で育ちました。
        宗教色の強い家に生まれたからこそ、無知ではいけないと思い、世界にある様々な宗教について勉強しています。

        返信
  6. 北陸

    偶々このサイトを見ましたので事実だけを
    書きます。私は今70代ですが40数年前に
    知り合いにご一緒させてもらい、例大祭に
    行ってきました。
    41号線から脇道へ入りひたすら山道を走り
    ました。やがて開けたとこに出ると、広大
    な建物が目に飛び込んできました。境内に
    入り小さい建物もの中で大太鼓を一つ叩き
    広い講堂に入りました。沢山の人で200人
    位でしょうか。時間になり冠装束の創始者
    ちとせまかみ宗祖が舞台の奥のほうから現
    れ拍手でお迎えしました。
    講話の内容は全く覚えていません。終わっ
    てから個人的に相談ができるということな
    ので私も申し込みし運よくお会いできました。

    神様がお住まいされているという建物の下の
    部屋で宗祖さんと直接お話ししました。
    最初は私の将来についての悩みを聞いてもら
    い指示をもらいましたが、突然「女は好きか」
    と尋ねられました。私は間を置かず「はい」
    と答えると「困ったな」とおっしゃり理由は
    お話になりませんでした。この言葉の意味は
    10数年後にわかりました。
    私がお会いした宗祖さんの印象は常人を超えた
    能力をおもちだったと今でも思っています。

    返信