前川部落の探訪では、かつて部落には「前」がつく名字が多かったことを聞いたが、それと同時にこのような話も聞いた。旧大山田村のとある部落の住宅地図を見たら、名字に「極」(読み方は「きわ~」または「~ぎわ」)が付く家ばかりでビックリしたというのである。
しかし、なぜそうなったのか理由は分からないという。これはぜひ理由を確かめたいと思い、現地へ向かった。
場所は三重県伊賀市奥馬野。1934年の記録では25世帯、157名の部落があったとされる。
見たところは、普通の農村。特に貧しい村というようにも感じられない。
次に、同和対策施設を探してみる。地図にあったのは、ライトピアおおやまだという施設。
これは、布引小学校という廃校になった小学校の校舎を再利用したものらしい。
掲示物からは、同和施設ということがすぐに分かる。
隣には市民センターがあるが、これは掲示物に人権とか部落がらみのものはないので一般施設だろう。非常に分かりやすい。
しかし、ライトピアおおやまだの周辺はどうだろう? 7~8軒の家があるが、どれも「極」は付いていない。住所表記は「奥馬野」だが、バス停等には「下馬野」とあり、さきほどの集落とは別の集落のようだ。
しかし、隣保館がなぜここまで離れた、しかも別の集落にあるのだろうか。
再び前の集落に戻る。空き地や廃墟が多いわけでもなく、ニコイチがあるわけでもなく、至って普通の農村である。隣保館が遠いし、もしかすると本当の部落は「下馬野」の方ではとも思った。
しかし、伊賀市のウェブサイトに掲載されている資料に、部落解放同盟奥馬野支部長として「川極」という人物が出てくる。実は事前にセブンイレブンのゼンリン住宅地図プリントサービスで奥馬野の住宅地図を入手しておいたのだが、確かにその人物の家はここにある。これで、確かに奥馬野が部落なのだと確信した。
この公園は、おそらく同和対策で整備されたものだろう。
これは、部落内にある林溪寺。「真宗高田派」と書いてある。東本願寺でも西本願寺でもなく、浄土真宗高田派なのである。これは珍しい。高田派自体が関東発祥なので、関西には多くない。ただし、高田派の総本山は三重県津市にあるので、ここに高田派の寺院があること自体はそれほど不思議ではないのかも知れない。
住職によれば、林溪寺はもともと真言宗の寺だったのが、江戸時代初期に浄土真宗本願寺派に改宗し、その後大谷派になり、1700年頃に今の高田派に落ち着いたのだという。
もとは、東大寺建設のために、この辺りの山から木材を切り出すための拠点としてこの近くに作られた庵に由来するのだという。とすると、1300年ほど前に作られた、歴史ある寺ということになる。
この地蔵は鎌倉時代のもの。この頃には既に村があったらしい。織田信長の伊賀攻めでは戦場になったとも言われる。
住職に「極」がつく名字の由来を聞いてみたが、「そんなこと知ってどうするんだ」というような反応だった。住職も「極」の由来は分からないのだという。浄土真宗ということは、極楽浄土の極かとも思ったが、少なくともそれは違うようだ。
「忍」という文字を含む墓がある。ここはもしかすると忍者の村か、と思ったが、伊賀忍はあちこちに分散して住んでいたので、そもそも忍者の村というものはないとのこと。
もう1つ不思議に思ったのは、林溪寺の墓地には、少なくとも名字が記された新しい墓には「極」が付いておらず、地元住民の墓がないことだ。1974年の『三重県部落史料集(近代篇)』によれば、奥馬野の寺は「法専寺」とされている。ということは、林溪寺は部落にありながら、部落の寺ではないということか。
「極」の由来を住民に聞いてみたが、やはり分からないとのこと。ただ、ご覧の通り奥馬野は山奥の極まった場所にある。地形由来の名字だとすれば「際」が使われることが多いのだが、何らかの理由であえて「極」を使ったのだろう。
十数年前、旧大山田村の村議会議員が奥馬野住人に対してそれとは知らずに、「あそこはこれやからな」と4本指を立てる「差別事件」があり、それ以来人権講習が多くなったという。
また、奥馬野の全ての住民の名字に「極」が付くわけではなく、「うちの実家は奥馬野だけど極は付かないから違う」と言ったり、「極」が付く名字の人を「極付き」と言うこともあったという。
残念ながら「極」の由来は分からなかった。おそらくほとんどの部落差別の起源と同じように、もともと大した理由などないのかも知れない。
いつも詳しい探訪勉強になり楽しみにしております。よければ後日、同和地区数日本一の福岡県部落、特に筑豊炭鉱部落等探索していただければ幸いです。遠方ですが、ぜひ宜しくお願い致します。
まだ直近の予定ではないですが、筑豊もいずれ探訪したいと思っています。
特に赤村と、川崎の泥棒部落に興味を持っています。
真宗高田派は名古屋の穢多頭の平野小市の檀那寺がある
まあ今回は関係無いのか
お詳しいですね。どのお寺でしょうか?
名古屋市中区の来迎寺
西区の旧平野町からは遠く非人役者村の新屋敷は近い
ありがとうございます。あなたほどの人であれば、ひょっとして本町田の部落の正確な場所も知っているでしょうか?
茨城県結城市山川新宿の北坪地区の部落姓は永藤・永井・永木ですし、愛媛県八幡浜市神宮通の吉井地区の部落姓は吉浪・吉川・吉岡・吉森です。
地区ごとに共通の字を使う傾向があるようですね。
一番気になるのは、誰の意志で同じ字を使ったかということなのですが、残念ながら分かりませんでした。
明治初期に戸籍が作られた時の経緯は、なぜか分からないことが多いです。
日本海側は同じ苗字の固まりの地域が、未指定も含めて多いと思います。例えば舞鶴市は志高や桑飼が指定地区として有名ですが、近隣の久田美(地名は腐れ水から。伏流水で夏には枯れる) やその枝郷の真壁などは指定されていないだけで、同じが多く、ズバリでは無いかと考えます。
無知で申し訳ありませんが
>ズバリでは無いかと考えます。
この「ズバリ」という意味がわかりませんので、詳しく解説をお願いします。
機会があれば、同じ伊賀市の岩倉という地域を調べてください。差別を受けていた地域と聞いております。
ありがとうございます
https://books.google.co.jp/books?id=9w1AAQAAIAAJ&q=%E4%BC%8A%E8%B3%80%E5%B8%82+%E5%B2%A9%E5%80%89+%E9%83%A8%E8%90%BD&dq=%E4%BC%8A%E8%B3%80%E5%B8%82+%E5%B2%A9%E5%80%89+%E9%83%A8%E8%90%BD&hl=ja
この辺りが参考文献でしょうか
へぇ~こんな文献あるんですね。ずばりです。波野田の名称も聞いたことがあります。
未指定だからなのか最近ひょんなことから親父に聞くまでまでそのことを知りませんでした。しかし、考えてみれば思い当たるところはありました。
・家が密集していて、路地が入り組んでいる。
・小学校の子ども会、中学校のスポーツ少年団がその地域だけ別。
・気性が荒い連中が多い。
伊賀市には強力な八幡町がありますが、それよりはだいぶ薄いようです。
しかし、家は密集していますが、未指定にありがちな劣悪な環境という感じではありません。
あと2か所気になるところがありまして。
京都府笠置の国道163号線から笠置大橋を渡って、かさぎゴルフ倶楽部方面へ行く道沿いに平屋の香ばしい建物群があります。ここはかなり環境が劣悪そうです。
もう一か所は彦根の小川原という場所。香ばしい住宅群があります。近くに広野町がありそこからあふれ出た地域でしょうか。
>京都府笠置の国道163号線から笠置大橋を渡って、かさぎゴルフ倶楽部方面へ行く道沿いに平屋の香ばしい建物群が
これですか。
https://goo.gl/maps/QzLrfiwtQYS2
笠置町の方は、ここですかね。
https://i.imgur.com/643oGsr.jpg
https://i.imgur.com/zLuGpF3.jpg
結論から言えば、現在で言う、伊勢湾台風の災害復興住宅です。
築50年以上経っている住宅がほとんどなので老朽化は否めませんが、すごく綺麗に使われています。草刈もちゃんとされていますし、道路にごみが落ちているなんてこともありません。
笠置、南山城、加茂、和束あたりは、昭和28年大水害、伊勢湾台風、第2室戸台風、昭和61年大水害と、数多くの甚大な被害を」受けていますので、こういった住宅郡もあちこちにあります。
こういうのを「香ばしい」と言うのであれば、今回水害に遭われた岡山広島の人たちの地区はさぞかし香ばしくなることでしょうね。
笠置町の方はここですかね。
i.imgur.com/cJ39oZL.jpg
i.imgur.com/ABpfhVZ.jpg
結論から言うと、現在で言う伊勢湾台風の災害復興住宅です。
ほとんどが築半世紀以上経っているため、老朽化は否めませんがすごく綺麗に住まわれています。草刈もきっちりされていますし、道路にごみが落ちているということもありません。
笠置、南山城、加茂、和束あたりは、昭和28年大水害、伊勢湾台風、第二室戸台風、昭和61年大水害等、何度も大災害に見舞われているため、このような住宅郡があちこちにあります。
こういう状況、状態のことを「香ばしい」というのであれば、広島岡山で水害に遭われた方たちや東北地震に遭われた地区はさぞかし「香ばしい」ことでしょう。
なるほど、あそこはそういう成り立ちの地域だったんですね。しかし、成り立ちはどうであれ、残念ながら差別の対象になってしまっている可能性があります。近隣の柳生出身の友人にあの地域の事を聞いたんですが「あそこの人と関わると殺されるよ」と言っていました。
そのようにして、賤民とは全く関係ない部落が、近代以降に作られた可能性もありますね。
さくらももこサンもご存知の清水区入江の栄町はどうですか?
探訪リクエストが多いので、いつになるかは分かりませんが、努力します
稲城市百村はどうですか?
千葉県野田市も色々とありますよ。
野田・関宿は昔から有名な地域ですし、機会がありましたら調べて頂けると幸いです。
知り合いに上記地域の行政関係者がいて色々と話しを聞く機会がありますが、「何処の関西地域?」と思える様な事が未だにあり、お調べになると分る事があると思います。
関宿町は野田市と合併しましたが、関宿町時代も色々と香ばしい状態でした。
承知しました。探訪候補に入れておきました。
私は、6年ほど前から伊賀市移住計画していて、できないでいます。北海道に住んでいますので、部落がわからず土地探ししているうちに、なんとなく今に至ります。
難しいですね
#768897ca44cfd348b44ea98e432a9e7f
部落に住みたいのですか?