部落探訪(46)
鳥取県鳥取市嶋

By 鳥取ループ

部落の地名を公開することで部落民が特定され、差別に利用されるという。しかし、地名が部落に一対一で結びつくわけではない。

部落の地名にやたらと敏感な行政に対して、「同和対策で作られた隣保館や教育集会所はどうなのか」と問うと、「それらのある場所が必ずしも同和地区ではないから問題ない」という。確かにその通り。であれば、地名だって同じはず。「同和行政や運動団体は常に正義で、差別をするのは一般市民だ」という言説にとって都合がいいように、その時々でコロコロ基準が変わってしまう。

そのような不可思議な問題を検証するために、今回は鳥取市の「しま」という地区にやってきた。

1795年に書かれた『因幡誌』には旧因幡国(現在の鳥取県東部)の穢多村、屠児村、鉢屋村の場所が書かれているが、嶋については賎民が居住していたとの記述はない。それから約50年後の、1849年の「高草郡村々組合帳」に「嶋村穢多」が6軒存在することが記述されている。

そして、1897年の『山陰之教育第20号』で、「氣高けたか豐實村とよみそん島村」に「新平民」の世帯が9戸あったとされる。これが1923年の記録では7戸、1935年の記録では8戸、そして最新の資料である1997年の『同和問題の解決のために・鳥取市職員同和問題研修資料』では7世帯とされる。

「高草郡村々組合帳」によれば、旧高草郡には穢多の村は同和地区指定された場所よりももっとたくさんあった。例えば布勢、安長、徳尾、赤子田といった場所にも穢多の居住地があったとされる。しかし、それらはいずれも5軒以下の小さな村だったので、散り散りになったか、あるいは現存しているとしても忘れ去られているのかも知れない。

なお、賀露には14軒の鉢屋があったが、こちらも同和地区指定されていない。鉢屋は穢多と同様の世襲身分と見なされていたが、手工業や芸能など土地に縛り付けられない職業の者が多かったことから、散り散りになったものと考えられる。

さて、嶋は山陰自動車道の鳥取西インターの近くにある。現在、鳥取西インターから先の山陰自動車道はまだ未開通なので、兵庫・岡山方面から鳥取へ向かえば、ここがどん詰まりということになる。


ここが同和施設である「嶋地区会館」である。見たところ立派な自治会館で、消防ポンプをしまうためのガレージもある。

比較的建物が新しいのは、2010年に山陰自動車道のインターの建設に伴って移転・建替えがされたためだ。

地区会館近くの集落に入ると、細い道、古い家がある。何も知らなければ、「いかにも部落だな」と思ってしまうだろう。

しかし、事前の知識とは辻褄が合わない。どう見てもこの集落は7戸という規模ではない。実際、25戸ある。

では、このうちの7戸が部落ということなのか? と思ってしまうが、それはあり得ないことだ。このような鳥取の郊外の村では人の出入りが少なく、昔と比べて戸数がほとんど変わっていないことが多い。また、歴史的には部落は本村の枝村という形で存在したはずで、部落と一般の家が入り混じっていることは考えづらい。

農作業をしていた住民がいたので、「同和行政について調べているんですが、この地区会館は同和事業で作られたものですよね?」と聞いてみた。

「そんなこと調べてたら、怒られるで」

「いや、もう怒られてますから…」

そんなやり取りから始まり、地区会館について詳しく聞くことができた。

鳥取の他の部落と同じく、嶋も「かみ」「しも」と一般と部落が分かれていたが、現在は1つの自治会で、様々な行事も一緒に行っているのだという。特に、地区会館が移転してからは、嶋全体で会館を利用するようになった。もう、同和がどうとかいうことは言わないことになったという。

「本当に一緒なんですか、学校の登校班なんかも?」

「一緒一緒。別なのはゴミの集積所くらい」

地区会館の位置づけは、市の施設とは言っても、普通の自治会館のように認識されているという。土地と建物を市から借りているような状態で、水道光熱費は自治会の負担、今後建物の修繕が必要になっても自治会が負担するのではないかということだ。

集落の中は軽自動車でなんとか入れるくらいだが、ここは部落ではない。空き地・廃墟・ニコイチといったものは見られない。しかし、ここが部落だと思っている人が多いだろう。

さて、さきほどの集落の北東、鳥取西インターチェンジをまたいだところに、自動車のタイヤショップがある集落がある。ここの戸数を地図上で数えてみると、7戸あり、『同和問題の解決のために・鳥取市職員同和問題研修資料』の戸数と一致する。戦後間もないころの航空写真でも、ほぼ同じ数の民家が存在しているので、こちらも古くからの集落であることが分かる。

ここも住所表記上は嶋なので、こちらが部落ということになるのだろう。

しかし、ここには比較的立派な家が立ち並んでおり、かと言って不自然な豪邸やニコイチ住宅は見られない。さきほどの集落とこちらを見比べたら、ほとんどの人は先程の集落が部落だと思っていまうだろう。これは鳥取市内の他の部落でも見られることで、鳥取市が同和地区の呼称として大字名を使ってきたため、実際の部落の範囲に関係なく、その地域全体が部落と思われ、住民が部落民と思われている実情がある。そういった意味で対外的な「心理的差別」の面では部落と部落外の住民は平等な立場にあるはずで、そのことが部落周辺住民から問題にされることはほとんどないのに、ことさら部落の地名が知られることが差別につながると主張されるのは不可解なことである。

また、確実に言えるのは嶋地区会館は同和地区外にある同和施設の一例であり、それだけでなく事実上は同和施設としての利用はされていないということだ。

この児童遊園も地区会館の移転・改築と同じ時期に同和対策で整備されたもの。少子化によってこのような施設が草ぼうぼうで放置されているということはあり勝ちなことだが、ここがそうなっていないのは、地域全体で利用していることを伺わせる。

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